突き詰めすぎた

 物事には本質がありまして、その本質のためならば手段は関係ありません。故に手段の前に本質、つまり手段によって獲得したい何かを極限まで意識することが重要です。


 ってのを最近まで考えていたんですが、しかし手段もまた重要であるのは確かなようで、最近の僕はそれが分かっていなかったように思います。そんなお話。




 あるフレンチの料理店があり、私はそこで働いている。お客さんの満足した「ごちそうさまでした」を見るのが最近のやりがいになっていて、次の出勤日が楽しみになるほどだった。

 客商売は素晴らしい、私はこの商売をすることでお客さんを仕上げにするために生まれてきたのかもしれない。そう思っていたくらいだ。


 そんなある日一人のお客さんがやっていた。中肉中背の男性客。こういう人ほどよく食べるんだよなぁと注文を待っているのだが、しかし見開きのメニュー表を見ながら唸っていてなかなか注文が来なかった。


 どれも美味しいですよ、オムライスなんてどうですか? と言ってもいいのだけれど、初めてのお客様だし足を突っ込みすぎるのも考えものだ。ここは我慢と考えていると「すみませーん」という声。少し弱々しさがあるその声は、後は食べてみなきゃ分からない、という投げやりさがあった。


「ご注文は何になさいますか?」


「ええと、この、だけどぉ」とまだ悩んだ後に「うん、これで!」とビーフシチューを注文した。


「かしこまりました」と言って私は調理場に注文を伝えようとする。

 が、しかし待てよ? お客様のことをもっと良く考えろ。彼は何しにここに来た? ご飯を食べに? ご飯なら良いのか? 否、それは手段であって目的じゃない。とするとその目的を考えるべきだ。そんなの無論だろう、幸せになるためだ。ビーフシチューという料理を心置きなく堪能することで、その時間を幸せに過ごす。それが彼の目的なのだ。


 ならば、と私は調理場にある事を告げた。そしてしばらくして調理完了。私は自慢気に彼の前に料理をサーブした。


「お客様、ビーフシチューよりもオムライスの方が当店ではオススメですよ」


「いやビーフシチュー食いたかったんだよ! いらねーよオムライスなんて!」


 お客様と調理場の人にめっちゃ怒られた。泣きそうになった。

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