第24話
次に目が覚めたとき、俺はまだ自分の身体を保持していた。
清水が差し出す経口補水液を何本もがぶ飲みして腹がたぷたぷになったところでようやく人心地つく。
「ええと、ここは」
「きみの部屋」
「え」
視界がクリアになるにつれ、恐ろしい状況が判明した。
しかも清水は俺を抱えて自宅まで送ってくれたのだという。
「本当にありがとうございます。愚息がお世話になりました」
母さんが床に手をついて清水に頭を下げている。
「弓弦は大事な友人ですから。当然のことです」
さらりと嘘をつく清水。母がますます恐縮したように眉を下げた。
「弓弦のお友だちとなると大変でしょう。この子ほんとにバカですから。清水さんは人間ができているんですね。頭もいいし姿もいいし、弓弦も少しは見習ってほしい。これからも仲よくしてやってくださいね」
「僕がもっと気遣えばよかったんです。退院したばかりだと知っていたのに。ですが弓弦の母上にご挨拶できてよかった。これからはちょくちょく遊びに来させてください。勉強を教える約束もしていますので」
「まあああ、なんて素敵な約束。ほら、弓弦、頭を下げてありがとうって言いなさい」
「痛いよ、母さん」
にこにこと微笑む清水に向かって、母さんは俺の頭をぐいぐいと押す。熱中症になりかけた息子をもっと心配してほしい。
「もういいよ、母さん。そろそろ教室が始まる時間でしょ」
「ああ、そうでした。ではゆっくりしていってくださいね、清水さん」
俺が高校進学するときに、母さんは近所の高校を調べたことを思い出した。品行方正な生徒が多い、清水の通う高校を母さんは気に入っていたのだが、息子を入学させることは叶わなかった。知能が足りていなかったからだ。母さんは残念がっていたがこればかりは仕方がない。
憧れの学校に通う清水に対して母さんの評価が然と高くなるのも当然のことだ。悔しいけれど。
母さんが階下に消えると部屋には俺と清水のふたりきり。美羽はどこへ行ったのか。
「目をきょろきょろさせてどうしたの」
「なんでもない。それより、どうやって俺の家を知った?」
「ポケットの生徒手帳。緊急時だし、非難は勘弁してくれ」
「で、いつから友人になったんですかね、俺たちは」
「恋人と言った方がよかったかい?」
「ぐ」
「近所でよかったよ。きみを抱き上げて……お姫様抱っこで歩ける距離だったし。ああ、でもさすがにちょっと疲れたかな」
俺は両の拳を握った。殴るためではなく、怒りをこらえるためだ。清水は人を挑発するのが得意なようだ。挑発でごまかされるほど俺は単純ではない。
だがしかし──
「ありがとう。おかげで再入院しなくてすんだよ」
礼儀だけはつくしておかなければ高村家の一員ではない。それはそれ、これはこれだ。
美羽の事故の話を聞いたばかりだ。誰もいない歩道橋で足を滑らせた美羽、もし発見が早かったら助かっていたかもしれないという話だった。炎天下の公道で放置されたら、たとえ助かっても後遺症が残っていたかもしれない。清水に助けられたことには変わりないのだ。
その状況で放置をするのは相当歪んだ性格の持ち主だけだとは思うけれど。
「だが、それはそれ、これはこれだ」
「なんだい、弓弦」
「倒れる前の続き。うやむやにしないでくれ」
「ああ、落下事故の真相のことか」
清水はふっと笑むと腰を上げてベッドの端に座った。目線の高さが同じになっただけでなく、物理的な距離が近い。
「な、なんでこっちくんだよ」
「正座で足がしびれた」
「じゃあ、あっちの椅子に座れよ」
「別にこっちでもいいだろ」
「近い近い」
清水の顔が近づいてくる。伸ばされた手を払い落とすと、その手は俺の腿の上に落ちた。掌からじんわりと熱が伝わってくる。
背筋がぞくぞくとする。夏風邪だろうか。
清水は不思議そうに首を傾げた。
「おかしいなあ。僕に告白してきたのは、ほんとうに弓弦?」
そこへ「ぎゃあ」という悲鳴があがった。美羽が戸口でかたまっている。視線が合うと顔を真っ赤にしてすっ飛んできた。
「抜け駆けなんてずるい。ちょっと弓弦、替わって、いますぐ私に譲ってよ」
いま譲ったら俺の肉体が無事ですむわけがない。
「告白のことは忘れてくれ。俺……頭ぶつけて脳みそに不具合が起きてるんだわ」
「ふうん、そうなんだ」
「だからにじり寄ってくんなって。お……!?」
清水は俺の頬に軽くキスをした。あまりにすばやくて、顔が接触したことにすぐには気がつかなかったくらいだ。
「な……」
「このあいだは赤い顔、今日は青い顔か、ふうん」
面白そうに清水が笑う。その後ろで美羽が悔し涙を浮かべている。
「いい加減にしろ。煙に巻こうったってそうはいかないからな」
俺は清水を押し退けてベッドから降りた。
「弓弦は悪ガキだね。卑怯者だ」
「なんだと」
「テスト用紙、盗もうとしただろ」
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