第12話

「あ、きんぴらが腐ってる。煮物も嫌な臭いがするねえ。ああ、これも」


 美羽の母親らしき中年女性はぶつぶつ言いながら冷蔵庫の中身をゴミ袋に放つ。

 固化したヨーグルトらしきものが底で押し潰された。

 父親とおじさんは居間で酔いつぶれている。

 仏間に行き、保険証券を見る。

 手に取ることができないのがもどかしい。わかる範囲だけだと死亡時支払額は1000万円。思ったほどには高くない。

 仏壇の横に何かが立てかけてある。額縁のようなそれは、遺影だった。

 遺影にはまっすぐに前を向いた女の子が映っていた。目鼻立ちのはっきりした美少女。


「こんな顔だったのか……」


 この子が事故で死んだのだ。その体はすでに火葬され、今は俺の身体を使用している。

 美羽が死んだときの状況はどうやったら知ることができるだろうか。

 どうしたら美羽を救えるのだろうか。

 そのとき、インターフォンが鳴った。こんな夜遅くに誰だろうと興味をひかれて、俺は仏間から玄関を覗いた。母親が物憂げに玄関に向かう。


「すみません、夜分遅くに」


 現れたのは美羽だった。美羽の視線は仏間の俺とピタリと合った。なんで戻ってきたんだろう。


「僕、高村弓弦といいます。生前、美羽さんとは仲良くさせていただいていました。お線香だけでもあげさせてください」

「美羽の友達? そう、ちょっと待ってて」


 わずかに惑う色を見せた母親だったが、断るのも変だと思ったのだろう。美羽を玄関に立たせたまま仏間に急ぐと、仏壇を片づけ始めた。白木位牌を起こし、線香を用意して、証券を引出しに隠し、空いたところに遺影を置いた。思い切り息を吹きかけて溜まった埃を飛ばす。


「あ、どうぞ。上がってきてくださいな」

「お邪魔します。あ、これ、患者衣に似てますけど、パジャマです。友人から連絡がきて、さっき美羽さんが亡くなったことを知ったんです。取る物もとりあえず着の身着のままで来ちゃったので、すみません」


 仏間のすみで俺は、遺影を見上げる美羽を見守った。自分で自分に線香をあげるのは複雑な気分だろう。

 母親は一度キッチンに消えたが手ぶらで戻ってきた。なにか飲みものをと考えたようだが、ろくなものがなかったのだろう。


「差し支えなかったら教えてください。美羽さんはどのように亡くなったんですか?」


 美羽が戻ってきた意図がわかった。自分の死んだ状況を明らかにしたいのだ。

 俺は耳をすました。


「歩道橋の階段で足を滑らせたの。地面に頭を強く打って……」


 母親は美羽の前にうなだれて座っている。目を合わせようとしない。


「歩道橋……ああ、ショッピングモールの手前にある歩道橋ですか。美羽さんはお一人でお出かけだったんですか。事故を目撃した人はいたんでしょうか」

「一人だったそうよ。だから発見が少し遅れたと、あとから警察にきいたの。すぐに救急車で運ばれていたら助かったかもしれないってね。まったく不運な子だよ」

「それはお気の毒だ。お母さんもさぞ悔しかったでしょうね」

「ええ、まあね」


 母親は頬を強張らせている。悔しさや悲しさは伝わってこない。表情を無理して作ろうとしているように見える。


「そういえばあの歩道橋、ノンスリップがすり減っていましたね。危ないなあと思ってたんですよ」

「そうなの。だから市役所にクレーム入れようかと」

「ああ、そうですね。歩道橋の補修管理はたしか……あれは県道だから、県の建設局の担当ですよ。街路灯も切れかけているから建設局に談判してみてください。煌々としていたら美羽さんの発見が早かったかもしれないですし」

「そうよねえ、そうよ、建設局の過失よね。助言してくれてありがとう。改善してくれたら美羽も少しは浮かばれるわ」


 改善ではなくて見舞金目当てではないのか。


「対応を渋るならメディアを味方にするといいと思いますよ。ところで美羽さんはモールになんの用があったんでしょうか」

「警察の話ではたしか……書店で買物した帰りだったとか。あの子は勉強が好きだったから……」

「優等生でしたもんね。可愛いうえに頭もいいなんて、凄い素敵な女の子だったと尊敬していました。憧れていたんですよ、僕」


 自画自賛すぎないか。高村弓弦の意思を捏造しないでくれ。


「そういうことを親に報告する子ではなかったから……知らなかった」


 母親が困惑している。誤解が生じていないか。


「ご家族の方は……美羽さんが亡くなられてお辛かったでしょうね。お変わりはありませんか。美羽さんは生前からご家族のことを気にかけていらしたので」

「え、そうだったの。まったく関心がないと思ってたけど……どんなことを……?」


 さぐるような目付きで、母親は美羽を見た。


「心配されていたようです。自分がいなくなったらどうなるかって。美羽さんが買った本はなんだったんですか」

「さあね、憶えてないよ」


 母親が急にむすっとした口調になった。


「美羽さんの部屋、見せていただけないですか」

「ちょっと図々しいんじゃないの、あなた。もう帰ってもらえるかしら」

「美羽さんに高額の死亡保険金がかけてあったという噂があるんですが、本当ですか」

「帰りなさい! さっさと出て行きなさい!」


 案の定、美羽は叩きだされた。

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