幕間:1892年、イゾルゴロド、地下パルチザン
「新年、おめでとうございます!」
小さな声で、けど気持ちだけは盛大に。
とある共同住宅の地下の一室にミハイルさんとリーナママを呼んで、小さなお祝い事をすることにした。スオミの人たちは、私たちにそこまで悪い感情を抱いていないから、ちょっと優しくすれば色々な物資の融通は簡単に利いた。
「おめでとう。まさか新年を地下で祝うなんてね。帝国時代でも想像したことなかったよ」
「リーナは平気かしら。あの子、優しい子だから。……今も元気に空を飛んでいるといいのだけれど」
「大丈夫ですよ、リーナママ。ヴォルシノフで一番の腕を持つパイロットが簡単にやられるわけないですって!」
あの空軍に直接スカウトされたんだから、リーナはきっと、今も楽しげに飛行機を駆っているだろう。贈ったマフラー、まだ持っているのかな。戦時中だからなにか起こって捨てられちゃったり燃えちゃったりもしているかもしれないけど、今も巻いていてくれたらすごく嬉しい。
リーナが軍人として頑張っている一方で、私たちも一般市民なりに祖国に貢献をしていた。
「では、いつも通りに現況の報告もしておきましょうか。お祝いの場ですが、ここはしっかりしておきましょう」
「それじゃあ僕から。航空クラブで働いていたのが役に立ったよ。最近は飛行場でスオミの人たちの飛行機のメンテナンスさ。何発か戦闘機の弾もくすねて来たけど、使い道は思い浮かばないなぁ。スハーヤちゃんはどうだい?」
ミハイルさんは飛行機の技術者として徴用された。不幸中の幸いなのは、大衆ゲルマンではなくスオミの人たちに徴用されたことだろう。あっちなら、そこまで扱いはひどくない。ただ、党への忠誠を表明したりすると酷いことになるらしいけど。『不穏分子』としてバン!
「変わらず飛行機の研究の手伝いですね。技術的な機密には簡単に触れられる立場ですから、どうにかして写すことが出来れば祖国に貢献することも難しくなさそうです。リーナママは……」
私は工科大学の学生として、大衆ゲルマンの研究に従事させられていた。工科大学の設備は世界でもトップクラスだから、そこが活用できるのは奴らにとって非常に重要なことだったのだろう。だから、私みたいに専門的知識への素養があったり、研究者として働いていた人たちは、そのまま研究を手伝わされている。もちろん強制。
「しっかり魔法が使えているわ。水も火も、ちょっとずつ上手になってる。リーナがパレードで魔法を使っていたから試してみたら、案外簡単なのね。私もこの国に貢献することが出来て嬉しいわ」
リーナママは、傷病者の手当や魔法による水の生産、料理などを行っている。本来なら敵の物資を奪い取らなければならないものが人の身から生まれてくるのだから、大助かりだった。魔法というものに抵抗を持っていた人々も、次第に抵抗感が薄れていって、実は……と魔法が使えるのを秘密にしていた人からの助けをもらうこともできるようになっていた。
これで魔法が使えなかったら、私たちは相当ギリギリの戦いをずっと続けないといけなかった。魔法様々だ。
「各々で無理のない範囲で祖国に貢献しましょう。でも、忘れないでくださいね。何よりも大事なのは生き残ることですから。今年こそ、リーナたちが助けに来てくれます」
「そうね。……そう信じましょう」
「……さて!」
今のところ、聞こえてくるのは負けているという情報だけだった。首都まで押し込まれてはいないようだったけど、時間の問題だろう。
いつ開放されるかわからない不安は平時とは比べ物にならないストレスを引き起こして、どうしても報告の時は暗い雰囲気になってしまう。
けど今回は別だ。実は、サプライズとして良いものを持ってきていた。新年のお祝いだから、たまには贅沢をしないと。
「じゃじゃーん! ケーキです!」
机の上に置いていた箱から取り出したのは、真っ白なクリームが塗られた美味しそうなケーキ。
なんでも、はるばるクレプスキュールから取り寄せてくれたらしい。私のために、敵国の民間人の気を引くために。
クリスマスにプレゼントされた時は『健気だなぁ』って思いながら心は冷ややかに、けど顔は満面の笑みを浮かべながら喜んで受け取った。あの人とも、平和な時に出会えていたらもっと健全な付き合いもできていたかもしれない。
でも、今ではただの敵だ。いくら好意を向けられても、何も感じない。
「うわ、クレプスキュールのお店のじゃない? まだやってるところあったんだね」
「ふふ……大衆ゲルマンの中にも優しい人はいるらしくて、そういう人が責任者の占領地ではいつも通りの日常が過ごされているらしい……って、ケーキをプレゼントしてくれたスオミのお兄さんが言ってました」
「あらノーラちゃん、
リーナママはどこからか包丁を取り出して、ケーキを切り分けてくれた。この中で唯一敵軍に協力していないのがリーナママだった。
危ないから、って……。私からもそのまま返させてほしい。不審な動きをしたら真っ先に疑われるのがリーナママなんだから。
「今だけですよ。使えるものはなんでも使っておきませんと。工科大学の試験に比べたら、人を手玉に取るなんて簡単すぎます」
「……なんていうか、リーナちゃんの親友なだけあって、どこか似てるねえ」
ミハイルさんも、手作りしたらしいポットからちょっと
「そうですかね? あの子はもっと……いや、母親の前で学校のことを言っておくのはやめときます」
「え〜なによそれ。すっごく気になるわ。リーナには言わないからさ、秘密にしとくから、教えてくれない?」
「……秘密ですよ? リーナからも口止めされてますし」
「うんうん。口は堅いから任せてちょうだい」
「実は……やっぱりやめときます! これはちょっとリーナママには言えないことです……! 今は心も入れ替えたでしょうし……」
思わせぶりな言動をしまくった挙げ句、クラスの男子全員と同時に付き合うことになっていたリーナの話なんてできる訳ない。
最後には航空学校に進んでいったからよかったものの、あのままヴォルシノフに居続けていたらリーナの周りでとんでもない修羅場が起こっていたのは想像に難くない。
『ヤバい事になっちゃった、ノーラ……』なんて真っ青な顔をしながら相談に来たリーナの情けない姿は今でも思い出せるし、笑っちゃう。
リーナの自業自得なんだけどね。あの子が全部悪いんだぞ。男子たちは被害者だった。
「そ、そんなことよりケーキはどうですか? 実は手に入れてからちょっと時間が経っちゃったので……」
「すっごく美味しいわよ! 戦争が始まってから2ヶ月しか経ってないのに、スイーツなんて久しぶりな気分ね。そのくらいダイエットで我慢することなんて何度もあったのに」
「嗜好品の類は隠さないといけないですし、砂糖も貴重になってきましたからね。僕も、実はケーキが大好物だったんですが、ずっと我慢していて。ありがとうね、スハーヤちゃん。お陰で頑張れそうだよ」
「そうですか。良かったです……!」
コーヒーを飲んだり、ケーキを食べたりしてちょっとした雑談をしていると手元のケーキはあっという間に無くなった。
もっと切り分けようとケーキのところにいくと、まだまだ残っていた。
「まだ半分以上残ってますね、お二人の分も切りますよ!」
手を差し出してお皿を渡すように催促しても、2人は椅子から立ち上がろうとしなかった。
リーナママが手のひらを私の方へと向けて、言ってきた。
「私は大丈夫よ。大人は甘いものをたくさん食べられないもの」
「僕も平気。ちょっとで満足だよ。スハーヤちゃんはまだまだ若いからね、僕たちが食べられない分、たくさん食べて欲しいな。残すのも勿体ないからね」
「……良いんですか?」
「遠慮しないで。ねぇ、ミハイルさん?」
「そうそう。頭を使うお仕事は、甘いものが大事って言うからね」
ミハイルさんは穏やかに笑って答えた。
「……ありがとうございます!」
甘くてしっとりしているはずのケーキは、時間が経ったせいか少しぱさついていたけれど、熱くなった口内でクリームはすぐに溶けて、ちょうど良かった。
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