29.エース

 12月31日。

 この年末の日には、ちょっとしたお祭りが行われる。

 ほとんどのパイロットや陸海空軍の士官が呼ばれて(貧乏くじを引いたかわいそうなパイロットももちろん居た)、地元の人も呼び集めて、首都の党本部でのお祭りだ。


 私が呼ばれたときは驚いたものの、よくよく考えてみれば私も少尉。真っ当な士官だ。不思議じゃない。

 イゾルゴロドで焼かれてしまったものの代わりに、着ていく礼装は党が新しく仕立て上げてくれた。戦時下でも空軍に甘いのは相変わらずらしい。

 そして採寸をしているときに聞かされたところによると、お祭りの際にエースの授与式やら表彰式のようなものをやるらしい。

 言ってしまえば戦意高揚のプロパガンダだ。でも、人の前でなにかやるのは悪くない。私たちの気分も上がるしね。


 最近の大衆ゲルマンはすこし大人しい。無理な攻勢を続けたことによる息切れなのか、はたまた嵐の前の静けさなのか。

 みんなが好き勝手噂するものだから、どれも本当のことに思えてしまう。私たちがお休みだったクリスマスの日には戦闘が一切起こらなかったらしいし、噂は妙に真実味を帯びている。

 兵站線が伸びて物資が足りないのも事実だろうし、奴らがこの程度で満足するはずもないから、嵐の前の静けさなのも事実だろう。


 ……いくら考えたところで私にできることはないから、目の前のお祭りを楽しむことに集中しよう!


「今日こそは指導者様に会えるんですかね?」


 今日も分隊はみんなで一緒に行動していた。

 党本部の建物は大きい宮殿のようだった。首都にあるからクレムリンのような建物かと思っていたけど、エルミタージュにそっくりだった。変なところで違いが出る。

 少佐たちも私と同じく礼装だ。初めて見たけど、しっかり似合っていた。さすがだね。


「どうだかなあ。もし会えるんだったら握手のひとつでもお願いしたい所だぜ」

「私は日々の感謝を伝えたいわね」


 本部の中に入って、受付を済ませて、私たちは待合室のようなところに通された。そのまま会場に行くと、一般開放スペースに突入してしまうらしく、他のパイロットやお偉いさんたちも同じように待合室に固まっていた。

 逆に、そうした一般市民の皆様方と触れ合いに行くのは党の偉い人の仕事だった。人脈でも作っておこうと思ったんだけど、この場には軍の人しか居ない。

 指導者殿も同じく。新聞に顔が出ることはなく、肖像画が飾られていたりもしない唯一の最高指導者。まあ、ラジオではよく声を聞くからしっかり存在しているんだけど。

 妙に隠されているから、その正体はいろいろと推察されている。実は革命前の皇帝じゃないのか、とか、皇族に連なる人物じゃないのか、とか、あるいは、若すぎるから表に出さないのだ、とか。

 正体がなんであれ、人民みんなから愛されているのは事実だった。


「お、お偉いさんだ。何の話だろうな」


 周りの人も交えてちょっとした雑談をしながら待っていると、待合室の扉が開かれて党の偉い人が入ってきた。ちょっと禿げたその頭と、丸っこい眼鏡には見覚えがあった。どこだったかな……全国農務委員会の人だったっけな。

 食糧事情を統括する立場だから、偉い人の中でも偉い人だったはずだ。


「同志諸君、こんばんは」


 お偉いさんが挨拶をしてきたので、私たち軍人も、各々で「こんばんは」と挨拶を返した。党と軍の関係が悪いということもなく、お偉いさんが汚職をしていたりすることもない。お互いにリスペクトし合っているため、変ないがみあいが起きることもない。


「同志書記長から頼まれたので、君たちの面倒は私が見ることになったよ。戦時中のため、我が国の農業生産量は幾許か減少してしまった。あまり豪勢なパーティーとすることはできなかったが、党の全力を以て君たちを歓待させていただくよ」


 ぱちん、とその人が指を鳴らすと、背後の扉からいろいろなお酒を入れたグラスを持って、給仕さんたちが入ってきた。わお。

 シャンパンにワイン、ビールもあれば日本酒とか紹興酒みたいなものまで。

 一番多いのはもちろんウォトカだ。


「食前酒だ。好きなだけ飲んでも良いが、あまり羽目を外しすぎないように。この後のご馳走にありつけなくなるからね。それと、エースの方々は一杯で我慢してくれ。表彰する時に千鳥足では、あまりに……な」


 眼鏡のお偉いさんのその一言で、軍人たちは湧き上がった。


 お酒を前にしたこの国の人が我慢なんてできるはずもなく、会場に行ける人は三分の一くらいにまで減っていた。

 ……少佐たちは、その三分の二に入ってしまっていた。なにやってるんだか。

 苦笑しながら「お先に行っていますよ」と伝えると、ミラーナ少佐が「がんばってぇ~」と呻きながら返事をしてくれた。リーリヤ少佐はもう駄目だった。







 会場は大きく3つに分けられていた。軍人の区画と、党員の区画と、一般の区画。

 軍人の区画はスカスカになっていた。一方、党員の区画はちょうどいい。一般の区画はぎっちぎち。

 ……面目ない。私が悪いわけではないんだけど、すっごい恥ずかしい。酒くらい我慢しろ!!


 一般の人たちとの交流みたいなのは終了して、今は表彰式が始まる前だった。

 壇上には軍と党のお偉いさんたちが集まり始めて、会場はにわかに熱を帯び始める。そりゃそうだ、戦争の英雄みたいな人たちがこれから祭り上げられるんだから。

 その中には私も入っているけど。正直小っ恥ずかしい。まだエースの実感は持てていない。


 ちょっと身だしなみを整えながら、少しソワソワもする。人前に立つのは嫌じゃないけど、慣れているわけでもない。緊張を落ち着かせるために小さく深呼吸をした。

 司会の人が壇上に立った。それから、お偉いさんたちの紹介が始まった。

 さっきの農務委員会の人だったり、政治部の人だったり、内務部の人だったり。軍からは、陸海空軍から元帥たちが登壇していた。外国からも偉い人たちが何人か来ていた。


 そうして、表彰式は始まる。


「撃墜数5機、――――」

「撃墜数16機、――――――」

「撃墜数7機、新進気鋭のエース、エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ少尉」

「はい」


 他の人の名前が2つ読み上げられてから、私の名前も読み上げられた。

 返事をして壇上へと上がった。カメラのフラッシュだったり会場の照明だったりで、結構眩しい。

 私が呼ばれたのは3番手だった。前の2人は5機と16機、2人とも親衛連隊グヴァルディヤの人だった。

 軽く会釈をして、隣に並ぶ。色んな人の視線が私に集中してきて、ちょっと胃が痛い。


 それから更に何人か名前が読み上げられていく。親衛連隊以外からもそれなりにエースは輩出されていて、空軍の高い練度が窺い知れた。


「撃墜数56機、我が軍における首位、アンナ・イヴァノヴナ・チェレンコワ大尉」


 そして最後に、アンナさんの名前も呼ばれた。けど、どこにもその姿はなかった。







 表彰式の後は立食パーティーみたいなものだ。ご馳走が沢山並んでいた。これには抽選で選ばれた一般の人も参加していたから、いくつか摘んで、残りはその人たちに譲ることにした。

 空軍は戦争中でもお腹いっぱい食べられるけど、普通の人はそうとも限らないからね。今日くらいは楽しんで!


 ちょっとお酒を飲んでほろ酔い気分。

 酔い醒ましに外の廊下をふらふら歩いていたら、少し背の高い、凛々しい人影が私の前を歩いていた。

 その後ろ姿には見覚えがあった。アンナさんだ!


「チェレンコワ大尉!」


 声を掛けて、駆け寄った。


 しかし、振り向いたアンナさんの目付きは鋭く、冷たいものだった。殺意すら込められていたように思えて、私の足は固まった。

 けど、声の主が私だと気がついた瞬間には、いつものアンナさんに戻っていた。


「……エカチェリーナ。ご無沙汰ですね。壇上でのあなたは、この場よりも大きく見えましたよ。立派になりましたね」


 アンナさんはひどくやつれていた。

 ……外見は変わらないんだけど、雰囲気がそうだった。疲れていて、厭世的で、そう――目にハイライトがないような、そんな雰囲気。


「チェレンコワ大尉……いえ、アンナさん。なにか、悪いことでもありましたか? その、すごく、やつれています」

「……やつれた? そう見えますか。あなたがそう感じるなら、きっとそうなのでしょう。エカチェリーナの直感は鋭いですから」

「他の人にはそう言われませんでしたか?」

「誰にも言われませんでしたよ。『目付きが鋭くなった』とは先ほど母親に言われましたが」

「そう……ですか。えっと、それより! エースおめでとうございます! 大活躍じゃないですか!」

「ええ。ありがとうございます。からも敵からも、『霜夜の魔女』なんて呼ばれるようになってしまいました。戦闘に魔法を活用することは悪名を生んでしまうようですね。エカチェリーナは二つ名を付けられましたか?」


 ――アンナさんの二つ名は、尊敬や名誉が伴ったものではなかった。

 この世界において、『魔女』という言葉は不吉の象徴。

 裏切り、敵、許されざる者。

 一つの言葉に憎しみの意味が無限に込められている、そんな最低の言葉だ。

 敵から呼ばれることはあっても、味方から呼ばれることなんて絶対にいけない。


「私は、まだです。でもそれよりその二つ名は――」


 私が文句を言い始めようとすると、アンナさんは私の言葉を遮るように、透き通った氷みたいな声で呟き始めた。


「ふふっ、そうですか。……きっと、あなたなら、可憐な二つ名になってくれるでしょう。いつか聞くことを楽しみにしていますよ」

「前線にまで届いてくれると良いのですが。そうだ、前線です。自分から前線に向かうなんて。さすがです、アンナさん」

「ああ……。正しておきましょう。前線に向かったのは左遷ですよ、エカチェリーナ。革新的なこの国においても、先進的な空軍においても、妬み嫉み僻みは決して無くなりません。」

「左……遷……。そんな、そんな事あるんですか!? 戦争中に後方から前線に向かわせるなんて、死んでくれって言っているようなものじゃないですか!」

「その通りなんでしょうね。あなたたちの世代は、私たちがしっかり守っていることができているようでなによりです」


 ……そういえば、第33航空連隊は党がわざわざ指定した女性だけの航空連隊だった。そして、そんな小さな連隊に少佐が2人。今思えば過剰だ。

 私の知らない場所で、私たち新人女性パイロットは突然訪れる上からの悪意から守られていた。


「でも、ですが、我が国は先進的で……」

「ええ。一方で、時代遅れの骨董品が存在するのも事実です。戦争になって喜んでいるような、旧世代の司令官のような人も存在しているのです。そして、運悪くそうした人物の標的になったのが私でした」


 絶句した。

 アンナさんに悪いところはひとつも無いのに、上官の気分を損ねただけで、死の危険がすぐそばにあるところまで左遷されたのだ。……許せない。

 そして、私の目から床に視線を移して、自嘲するように、訥々と言葉を零した。


「……私の母の出自が問題でした。私が女なのが問題でした。私が男を愛せないのが問題でした。私が真面目な軍人なのが問題でした。私が魔法使いなのが問題でした。ええ、私の何もかもが問題でした」

「なんですか、それ。アンナさんの問題なんかじゃないですかっ!」


 泥濘のような粘ついた悪意が、アンナさんに纏わり着いていた。

 党の上層部がいくら頑張ろうとも、人民の殆どが良い人であろうと勤めていても、どうしようも無い人間は居るらしい。


「名前を教えてください! ……アンナさんがやらないなら、私が対処しますよ。恩人にそんな事されて放っておけません」

「気持ちはありがたいです、エカチェリーナ。ですが、恨んではなりません。軍人になるという道を選んだのは私です。そして、上官に逆らえないのが軍人というものです。それに、彼の標的が私に向いている間は、あなたや他の子たちが被害を被る可能性は少なくなりますから」


 どこまでも、清廉潔白な人だった。

 自身よりも、守るべき人々のことを最優先するアンナさん。魔法使いには犯罪者が多いなんてことを聞くこともあるけれど、目の前の素晴らしい人を見ているとそんな考えはただの偏見だということがよくわかる。


「けど、アンナさん。……その人が軍に居たままだと、その」

「裏切りを心配しますか?」


 ……けど、残念な事実もある。アンナさんはリヒトホーフェン卿という敵国の高級軍人と親戚で、かつ、関係も悪くない。

 様々なニュースに対する反応を考えると、自身のルーツはこの国よりも大衆ゲルマンに近いという考えも持っているだろう。

 裏切りは、決してあり得なくない。むしろ、悪くない考えだ。負けが見え始めているこの国よりも、絶好調の敵国に寝返ろうと考えている人なんて、少なくない。

 国家ならスオミがそうだった。人にも、私が知らないだけで何人もいるだろう。


「当然の懸念です。リヒトホーフェン卿からは、事あるごとに伝えられていましたから。『不満があれば、何時でも我が国に来ると良い』。そんな事を」


 どのように答えても嘘で、どのような答えもアンナさんを欺いてしまいそうで、答えに窮していると、その様子から私の考えは伝わってしまっていた。

 アンナさんは、冬の青空のような色の瞳を伏せた。何か言おうと逡巡して、口を開こうとして、すぐにつぐんだ。けど、その逡巡も一瞬だけ。一秒にも満たない。

 顔を上げたアンナさんは、私の目を見据えてはっきりと言ってきた。


「……リーナ、共に逃げませんか? 合衆国でも、東方帝国でも、夜見でも。とにかく、東へ。戦火から逃れて、2人で暮らしませんか?」

「……すごく、魅力的な提案です。平和な時に言われたら、一緒に世界のどこへでも行っていたかもしれません。ですが、今は守るべき国が、戦友が――なにより、友人と家族がいますから、どこへも行けません」

「そう、ですか」


 声は小さくなっていた。


「ふふ……。期待はしていませんでしたが、いざ断られると悲しいものですね。ごめんなさい、エカチェリーナ。惑わしてしまいました」

「そんな、謝ることでは」

「……レフとミロスラフにも、よろしく伝えておいて下さい。少し、酔いすぎました。私は先に帰ります。さようなら、エカチェリーナ」


 それだけ言うと、アンナさんは身を翻して会場の出口の方へと去っていった。

 物悲しげなその背中に手を伸ばしても、空を切るだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る