24.ヤークト・フロイライン

 キィィン、という甲高い音で私たちは飛び起きた。

 外から聞こえる。サイレンではない――なぜなら、サイレンは警報を叫んでいるから。


「何事ですか!?」

「空襲よ、敵の数は不明!」

「嘘だろおい、ついにここまで来やがったか――うおっ!」


 爆音と共に、夜闇が光で照らされた。燃料タンクが爆発したみたいだ。急いで窓から外を覗くと、飛行機だった残骸がいくつも転がっていた。

 そして、甲高い音は今なお続いている。どこかで聞いたことがある音だった。


「リーリャ、少尉! 動いちゃダメよ! 窓から離れて、屈んでいなさい!」

「あ、ああ! クソ、こういう時に木造建築は心許ねえな……!」


 心臓がどくどくと動く。緊急事態になるとアドレナリンが大量に放出されて、息が荒くなる。……今は必要がないから、深呼吸して心と身体を落ち着かせた。追い込まれるとこうなるから、案外、歩兵のほうが合っていたのかもしれない。

 敵機は今も飛んでいるようだ。でも、絨毯爆撃のようなことはされていないから、攻撃機による襲撃だと思う。

 爆発の音はするけど、爆弾が大量に落ちてきているわけではない。不幸中の幸い……でいいのかな。


「ていうかいいのかよアタシらは出なくて! 空襲だろ、撃墜しねえと!」

「無理ですっ! 滑走路で破壊されます!」

「だよなわかってたけどよ! クソ、縮こまってるしかねえのか!」


 木造の宿舎で、私たちは身を屈めてどうにか襲撃をやり過ごそうとしていた。


 しばらくすると、爆発の音や機銃掃射の音が落ち着いてきた。


「……どうやら襲撃は一段落したみたいね」

「だが敵は……去っていないな。まだ変な音がする」

「ですね。どうします?」


 私が聞くと、ミラーナ少佐は少しだけ考え込んだ。

 桃色の髪が炎で照らされて、絵画みたいに美しかった。


「生存者の救出をするわよ。敵機に気付かれないように、隠れながら」


 この状況ではそれが一番師団のためになる。ずっと隠れていてもよかったのに、人のために動こうとするミラーナ少佐はやっぱり連隊長に相応しい。

 私とリーリヤ少佐は頷いて、ミラーナ少佐の近くに行き宿舎の玄関に向かった。

 燃える音がする。近くでも、なにかが燃えているみたいだ。


 がちゃり、とほんの少しだけ扉を開けて、ミラーナ少佐が敵機の確認をした。


「……敵は……嘘、1機だけ……? それでこんな被害を……いえ、驚いている場合じゃないわね」

「1機だけなら楽だな。そいつから隠れるだけだ」

「それもそうね。出たらすぐ、一番近い格納庫……の残骸の影に向かうわよ。誰か巻き込まれてるかもしれないわ」

「わかりました」


 よし、それじゃあ――とミラーナ少佐が呟いた。


「3、2、1、今!」


 玄関の扉を開け放ち、私たちは一気に走り出した。そして、その時初めて、この基地に空襲を行った敵機を見ることが出来た。


 ……ジェット機だった。

 私でも知っている。元の世界とこれは同じらしい。世界初のジェット戦闘機――シュヴァルベツバメだ。

 私たちがレシプロの新型機で喜んでいる間に、奴らはジェット戦闘機を実用化させていた。


 地味な色をしていた。旋回するときに見せた背面は森林迷彩で、下から覗く腹面の色は曇天の空のような、灰色がかった青だった。

 敵は1機だけで基地に攻撃を仕掛けてきた。恐らくエース。信任が厚く、誰がどう見ても無茶な作戦なのに、許可を出された人。

 真っ赤な機体の『赤公爵リヒトホーフェン卿』ではなく、真っ黒な機体の『黒騎士エリカ』でもない。だが、初めて見るこんな機体を任せられるのは彼らのようなエースの中のエースだけだろう。

 となると、残るのはただ1人。


 攻撃機を駆る、エースパイロット。かつて話した時に、彼女は攻撃機に乗っていると言っていた。地上攻撃において、彼女よりも優れた人はいないはずだ。1機で基地を襲撃するようなこともやるかもしれない。

 そう、あのジェット戦闘機シュヴァルベのパイロットは――


 『狩淑女ヤークト・フロイライン』ハンナ・リヒトホーフェン。


 ……噂をすればなんとやら。リーリヤ少佐がエースの話なんかするから!


「う、ぐぅっ」


 駆け寄った残骸の中から、うめき声が聞こえた。生き残りだ。


「聞こえたわね!?」

「ああ、助けるぞ! 少尉、来てくれ」

「はいっ――あっ、上です、気を付けて!!」


 上空の敵機が旋回して、こっちを向いていた。

 どんだけ目が良いんだ。炎で明るいとはいえ夜中だぞ!

 確か、シュヴァルベの機関砲は大口径だったはず。近くに着弾するだけでも危険だ。


「敵機接近してます! 左右に避けて下さい!」

「わかったわ。……ごめんなさい。リーリャ、少尉の言う通りに!」

「……クソ、了解!」


 私たちが散開したその瞬間に、シュヴァルベの機関砲が火を吹いた。空気の避けるような音と共に、小銃なんかとは比べ物にならないほどに大きな鉛玉が、私たちがいた場所へ――生き残った人が取り残されている残骸の場所へと降り注ぐ。

 ……残骸は切り裂かれた。機関砲の弾は小さな爆発をして、鉄とコンクリートは高いところから落とした陶器のようにバラバラになった。


「中の人は……!」

「…………次の地点に向かうわよ! リーリャ、少尉、第19格納庫へ!」


 ミラーナ少佐の声は震えていた。


「ああ、すぐ向かう。ラーナ、平気か?」

「なんとか、ね。緊急事態だから細かいところまで頭が回ってないわ」

「そうか、じゃあ今は目の前のことだけ考えとけ! 細けえとこはそうだな……少尉に任せとけ」

「私ですか!?」


 全力疾走は久しぶりだった。航空学校では毎日走っていたけど、第33航空連隊に所属してからはそういうこともあまりやらなくなっていた。でも昔取った杵柄、なのかな。全力疾走をしても息切れをすることは殆どなかった。

 そして、そんな夜闇を駆ける私たちは随分と目立ったようで――


「やべえ、アイツまたこっち来てるぞ! なんでアタシたち狙うんだよ建物狙えよ!」

「もう、どうしましょう……ともかく伏せて!」

「一か八か……私が勝手に使ったのは黙っててくださいよ!」


 ここで伏せるだけではたぶん逃げられない。敵機の照準は正確で、私たちの身体は一瞬の内にひき肉にされてしまうだろう。


「何かあるのね、いいわよ、好きにやって!」

「光り、弾けよ。――『花火』!」


 手のひらを敵機に向けて、私は魔法を唱えた。目眩ましと虚仮威こけおどしでしかない『花火』の魔法だけど、基地からこれが放たれたら対空兵器のようにも見えるだろう。偽高射砲だ。

 私の目論見通り、突然の魔法に驚いたのか、迷彩色のシュヴァルベは『花火』を回避するために複雑な機動を開始した。


「うお、やるじゃねえか!」

「魔法が使えるのね……! 少尉は敵の牽制をお願い、無理しないで、危なかったらすぐ逃げて! リーリャ、私たちは生存者の救出をするわよ!」

「了解!」

「……わかりました!」


 言葉ではそう言ったものの、たぶん、今のままでは変わらない。燃料がギリギリになるその時まで敵はこの基地の襲撃を行うだろう。

 私はある格納庫へ向けて走り出した。――私たちの愛機がある格納庫だ。運が良ければ、まだ乗れる。

 その間も『花火』を何発か使う。私の魔法に警戒しているようで、敵機は慎重な動きになっていた。

 先ほどまでのように、動くものを見つけたら殺すような動きではない。


 格納庫は幸運にも無事だった。ハンナさんの狙いはわからないけれど、この近くには燃料タンクがなかった。だから不便だったものの、そのお陰で無事だったのかもしれない。

 真っ白な機体に1つの撃墜マークが描かれたMik-3に乗り込んで、エンジンを始動させた。後で、今日の分のマークを描き込んでもらわないと。


 真っ直ぐ滑走路を進んでいたらハンナさんの良い的になる。とすれば、私が取るのは必定無茶な選択。

 短距離で離陸してやろう。確か、この近くにちょうど良く盛り上がった場所がある。


 フラップを全開にして、エンジンを一気に緊急出力まで押し込んだ。こんなことをしたらすぐにエンジンは故障してしまうだろうけど、緊急事態だ。

 私が格納庫を出ると、やはりハンナさんは私に方へと向かってくる。風防を少し開けて、その隙間から『花火』の魔法を使った。何もわからなければ、戦闘機から急に対空砲火を食らったようなものだ。ハンナさんは急転回して私から距離を取った。

 どうやら、燃料もギリギリだったらしい。そのまま攻撃を終了し、基地から逃れる進路を取り始めた。


 ――こんな良い所で逃がすものか。

 

 心臓がばくばく動き始めた。手が震えて、夜なのに外は明るい。吐く息はすごく熱くて、口角が上がっていくのを感じる。

 格納庫からそのまま、盛り上がった土に向かって真っ直ぐ突っ込み始めた。速度は150キロ。不十分だけど、十分だ。

 操縦桿を目一杯引いて、私の機体を浮かび上がらせる。失速寸前になって、着陸装置ランディングギアがどこかにぶつかって、鈍い音と共に地面に残骸が落ちた音がした。


 250キロ、300キロ、十分に加速できた。もうやりたくない博打だったけど、私は成功した。

 周りを見渡して、シュヴァルベを見つけ出した。星明かりと月明かりに照らされて、それでも見にくい迷彩を施されたシュヴァルベが遠くに見える。

 ハンナさんは燃料を節約しているようで、私の機体でも追いつける速度で飛行していた。


 無線の電源を入れて、出力を強くした。強引に敵の無線に割り込む。


《お久しぶりですハンナさん。あそこは私たちの基地でしてね。評議会共和国にようこそ、お一人なんて珍しい。迷子ですか?》

《その声は……カレーニナ少尉。お久しぶりです。いえ、もう大人ですので、1人で帰れますよ》

《では、私が家までお送りしますよ。どうやらふらふらしているようですしね》


 喋っている間にも私の機体は速度を増し、次第にハンナさんの機体に近付いていく。しっかりと照準に捉えようとするが、雑談をしても油断はさせられなかったらしい。

 私が後ろへ着こうとすぐ旋回し、それなら上を陣取ろうとするとエンジン出力を少し上げて私のちょっと上を維持する。

 エースの名前は伊達じゃない。隙がない。


《ごめんなさい、カレーニナ少尉。これ以上は……。折角のお誘いですが、どうか、私1人で帰らせて貰えませんか? 急に友人を連れてきたら、お父様に怒られてしまいます》

《それは少し難しいですね。帰宅するというなら、もう真夜中です。乙女フロイラインの一人歩きは危険ですから。私が最後までエスコートしますよ》


 その間にも、上下左右へと私たちは忙しなく機動を行っていた。地上が上に行ったり下に行ったり、頭の中身がミキサーされている気分になる。

 この状態でもエンジン出力を上げないあたり、燃料は本当にギリギリなのだろう。


《……どうしても駄目ですか?》

《ええ。どうしても》

《そうですか。警告を聞いてくれないのなら――》


 今まで低速で飛行していたハンナさんの機体のエンジンが、唐突にフルで動き始めた。一気に加速して、上空まで登っていく。私も対応して機首を少し上げたが、それ以上は無理だった。すぐに失速しそうになる。

 一方のシュヴァルベはぐんぐんと上昇し続けた。そして、大きく旋回する。

 満月を半分に割ったような半月を背後にして、私に向かって落ちてきた。


《あなたを堕とすしかありませんね。うふ、ふふ……ンフフ……!! 勝手に着いてくる不審者に家が割れるのは困っちゃいますからねぇ。ごめんなさいねエリカ。……私、先につまみ食いしちゃうわぁ》


 地上のハンナさんは包み込むような母性や優しさを身に纏う、無害な人だった。大衆ゲルマンに珍しく、普通の良心的な人に見えた。

 しかし、無線越しのこの声は――ヘドロの様に黒く、粘つき、醜かった。

 草むらから急に大蛇が飛び出してきて、首に纏わりつかれたような、そんな錯覚をする。

 地味な色をして、地味な見た目をして、その蛇に気が付いた時には、もうおしまい。


 狩淑女ハンナさんの迷彩色のシュヴァルベが、眼前まで迫っていた。

 その機体に取り付けられていたのは戦闘機に不釣り合いな大砲。瓦礫を粉々にした榴弾を発射した、50mmの航空砲だった。

 そして、機首に描かれているのは、歩兵を丸呑みにする蛇。


《ンフ、私、ただの女の子なんですよ? うふふ、なのにみんな私を恐れちゃって……狩りを楽しんでいるだけなのですが、フフフ……! 不思議ですねぇ?》

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