TS飛行士は空を飛ぶ

むあのむあむあ

戦前

1.私の心は奪われた。

 前世の話はどうでもいいだろう。

 適当な身分証と好きな享年を思い浮かべて貰えればそれで結構。


 もっと重要な話があるから巻きで行こう。

 私は転生したらしい。女の子として。


 なんだかソ連めいた国らしい。

 内戦を経てなくて、(私たちの歴史と比較すれば)平和的に国家の体制は変わった……って学校の授業で習った。

 レーニンめいた指導者も生きてるし、ほかの国のいいとこ取りを目指そうぜ! って方針らしくて、平和主義で進歩的なわりと良い社会を築けている。

 皇族も普通に議会にいる。いいの?


 問題はほかの国――ドイツみたいな国がそうでも無いってこと。

 歴史の修正力なのかわかんないけど、ほかの国のゴタゴタが全部その国に集中していた。

 大恐慌はそこから始まってインフレまみれ、さらに内戦まみれ、植民地は維持できなくて、政治家はみんな過激。

 地獄みたいな国だった。あっちに転生しなくてよかった、ほんと。


 なんとなくの予感だけど、たぶんうちらは戦争になる。その国と。

 で、このままだと私たちはぼろ負けだろう。平和主義の良い子ちゃん国家だもの……。


 でも軍隊はあるからまだマシ。なお憲法には「国家による武力」の不所持が明記されてるけど「党の軍隊」として事実上の国軍がある。

 違憲だけど、みんな見て見ぬふりしてる。諸外国も。

 良い子ちゃん国家だからみんな甘い。


 そんな私は学校に居る。絶賛居眠り中。

 だって放課後には待ちに待った――比喩抜きですごく待った航空クラブにようやく行けるのだから。

 そのために体力を温存中。数学なんて前世の知識で試験も余裕よ……。





 学校が終わると同時に走り出して、いくつかバスを乗り継いで郊外に着いた。

 本物の飛行場だった。複葉機だったり単葉機だったり、いろんな飛行機が停まっている。

 戦闘機もあるかなーって見渡してみると、流石になかった。民間の飛行場だし当たり前か。


「こんにちは。クラブの子かい?」


 きょろきょろしていると、後ろから急に話しかけられた。驚いて肩が跳ねた。


「は、はいっ! 今日から航空クラブに入会します!」


 振り向くと、おじさんがいた。筋骨隆々のすごいムキムキだった。熊みたい。


「ようこそ、革命記念第24飛行場へ。」

「革命記念……えっと」

「はは、ややこしいよね。正式名称なんて誰も呼ばないよ。ヴォルシノフ飛行場ってみんな呼んでるから、そう呼べばいい」


 ムキムキ熊おじさんはその外見と裏腹に親しみやすそうだった。ちなみに、ヴォルシノフっていうのは私も住んでる近くの町のこと。


「君、名前は?」

「エカチェリーナです。エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナ」


 私が名乗ると、熊おじさんは手に持っていた名簿をぱらぱらとめくり始めた。


「エカチェリーナ……ヴォルシノワ……ああ、いたいた。よし、確認が出来たよ。ようこそ航空クラブへ」


 おじさんの歓迎の言葉と同時に、ちょうど飛行機が一機飛び立った。

 エンジンの音は物凄くうるさくて、そのスピードもあんまり速くない。


「わあっ……」

「はは、初めての子にはうるさいよね。でもすぐに慣れるよ」


 だけど、私の心は奪われた。





 それからは毎日のように航空クラブに通った。

 休みの日は朝から晩まで入り浸ってたせいでお母さんに心配された。ごめん。


 でも、それほどに空は凄かった。

 解放感って言うのか、心が自由になった気がした。


 空を飛ぶと、空が近くなる。

 空気は冷たくなって、誕生日に友だちから貰ったマフラーがすごく頼りになる。


 操縦桿を引っ張ると綺麗に上に行く。押し込むと不格好に下に行く。右に傾けると右に回って、左に傾けると左に回る。

 機械として当たり前の動作なんだけど、私が乗ってる飛行機と心が通じあった感覚がした。


 この先もずっと乗っていたい。

 学校の成績は良かったから色んな道を思い描いていたけど、もう飛行機から離れたくない。


 そんなことを熊おじさん――ミハイルおじさんに相談すると、いくつか提案をしてくれた。


「そうだねえ。そうなると、やっぱり航空クラブの指導員がおすすめかな」

「ほうほう」

「僕みたいにずっと関わっていられるよ。……書類仕事もそれなりにあるけど」

「なるほどお。それならやっぱり工科大学とか進んだ方が良いですか?」

「わはは! リーナちゃん、そこに行くのは飛行機を作る人だけだよ。操縦するだけなら行く必要はないさ」


 リーナは私の愛称。エカチェリーナだからね。

 航空クラブで最年少の私は、いつの間にかみんなからリーナっていう愛称で呼ばれるようになってた。


「でも、リーナちゃんは成績良いんだろ?」

「まあ……程々には」

「あんまりおすすめはしないけど、士官学校っていう手もあるね。最近空軍が作られたし、なんといっても学費が全部党から出てくれる」


 兵士かあ。でも、転生したらありがちだ。というか規定ルート。

 私も飛行機に出会うまでは士官学校で参謀ルートに行こうと思ってた。SLGとか好きだったし。

 それにこの国って平和だから、未来も安定だろう。戦争になってもソ連ポジションなら勝てる。


「いろいろありますね。ありがとうございます」

「リーナちゃんの未来は明るいよ。書記長もいい人だし、経済もいい感じ。おじさんが若い頃はもっとひどかったから羨ましいよ」

「そうなんですか?」

「皇族にも貴族にもいい人は多かったんだけどね。でもやっぱり平民と貴族で分かれた身分制度に未来はなかったんだ……って、難しい話だね。ごめんごめん」


 ミハイルおじさんは昔を懐かしむように目を細めていた。

 なんだかんだ、ひどくはあっても懐かしいみたいだ。


 その日はもう一回飛行機に乗ってから、家に帰ることになった。

 帰りのバスで考え事。この国では、まだまだ民間航空というものは発展してない。旅客機なんて夢のまた夢。

 大きな飛行機は、空軍の爆撃機くらい。でも、結構な欠陥機で誰も乗りたがらないらしい。新聞に書いてあった。


 もう少し技術が発展してたら民間機パイロットになりたかったけど、今の時代に飛行機に乗る仕事をしたいなら航空クラブか空軍兵士。

 選択肢が狭い時代に生まれてしまった。


 ……でも、だからといって他の仕事をする気も湧かない。

 ちょっと前に、ヴォルシノフの近くを飛んだことがある。感動した。


 前世では衛星写真で世界中が見れた。旅客機に乗れば、空から日本を見渡せた。

 でも、やっぱり、自分で操縦して見る世界は大きく違う。

 文字通り、「世界が広がる」。どこまでも続く地平線と、果てしない空。

 私は空の魅力に囚われて、逃げられなくなってた。


「ただいまー」

「おかえりなさい、リーナ。ちょうど良いわね。役所からお手紙来てたわよ」

「はーい」

 

 自分の部屋に着くと、鞄を放り投げてベッドに飛び込んだ。

 飛行機で飛ぶのは楽しいしストレスも解消できるけど、やっぱりずっと集中しないといけないから疲れる。

 墜落したらまず生き残れないからね。死ぬのは一回で十分。


 ちょっと休んでから、お母さんに言われてたお手紙を読んでみることにした。

 役所からって、なんだろう。

 ペーパーナイフで封を切って、中の紙を取り出した。

 さすが我が国、お役所の紙はすべすべしてて触り心地が最高だった。


『勤勉なる同志エカチェリーナ・ヴォルシノワ』


 手紙の冒頭はそんな言葉から始まっていた。

 これみたいに、名前と父称で呼ぶのはこっちの敬語みたいなものだ。

 ナントカ様とか、ナントカさんとか、丁寧な呼び方。

 勤勉なる……っていうのはよくわかんない。学校の成績が良いからかな。


『徴兵検査の実施時期が近づいて来ているため、この通知を送付しております。

 具体的な時期は各学校により異なるので、学校からの知らせをよく読むように。

 ヴォルシノフ町役所』


 ……忘れてた。15歳になると徴兵検査が実施されるんだった。

 この国では男女ともに徴兵義務が課されてる。

 18歳から1年だけだから、社会に出たり、大学に入ったりする前の最後の青春らしい。


 志願兵が基本で、志願兵だけで十分足りてるから、国もあんまり重視してない。社会に出る前に礼儀を叩き込む場所だという。

 お母さんはその時のことを楽しそうに語ってたから、楽しいものなんだろう。


 で、その時に円滑に徴兵するために15歳の時に一回検査が行われる。あとは徴兵の半年前だけ。

 なんともないだろうけど、忘れてすっぽかしたら危ないイベントだった。義務だもの。

 手紙が来てなかったら無視して航空クラブに行ってたかもしれない。役所に感謝。





「エカチェリーナ・ヴォルシノワ、間違いありませんね?」

「はい、エカチェリーナ・ヴォルシノワ・カレーニナです」

「では、こちらに」


 形式的な身分照合の後に、部屋に通された。女子を担当してくれているのは女性兵士のようで、一安心。

 ……まあ前世が男だったから気にするものでもないんだろうけどさ。15年も女の子として過ごしてたら心も変わってくもんだよ。


「まず身長を測ります――」


 そして、徴兵検査が始まった。

 でも普通の身体測定と変わらなかった。拍子抜け。


「お疲れ様でした。良い結果ですよ」

「良かったです」


 私は健康らしい。よかった。

 でも裸に剥かれていろいろされるのは恥ずかしいものだった。もう一度あるのはちょっと嫌だな。


「ところで、あなた」


 部屋を出ようとして扉に手をかけると、兵士さんに話しかけられた。


「はい?」

「航空クラブによく居るようですね。空軍に興味は?」

「……まあ、あります」

「嬉しい返事です。空軍は特例として16歳からの入隊を許可されています。気が向いたら連絡して下さい。優秀なパイロットは歓迎しますよ、同志」


 そう言って、その人は名刺を渡してきた。兵士さんって名刺持ってるんだ……。

 書かれてあったのは、『空軍少尉 アンナ・イヴァノヴナ・チェレンコワ』。


 偉い人だった。

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