幕間その弐

※ 一部、やや過激な文言が含まれています。ご了承ください。



 ■■■■薬物中毒

 新進気鋭俳優の演技はヒロポンの賜物だった――。

 女性に人気の銀幕スタア・■■■■に醜聞が発覚した。

 記者は去る■月■日、東京都■■区■■の裏路地にて、■■■■がヒロポンの取引をしているところを抑えた。

 彼は人目を避けるように廃屋に入ると、売人と接触、薬を受け取った。

 彼が取引していたヒロポンは「疲労がポンと取れる」という二つ名の通り、心身を活性化させるというが、ご存じの通り、医療行為以外の使用が禁止されている。

 公開を控える主演映画「青い海の青年」での演技は、すべて薬に裏打ちされた偽りだった。

(昭和三十二年九月六日 ゴシップ雑誌「甲」の記事)



 弊社所属俳優・■■■■の記事につきまして

 先日週刊誌に記事が載った弊社所属俳優・■■■■についてですが、当人に確認を取りましたところ、そのような事実はないとの証言を得ました。

 弊社としましては、事実調査を続けるとともに、今後の対応をお知らせします。

 尚、主演映画「青い海の青年」につきましては、当初の予定通りに公開する予定です。

(某芸能事務所「皆様へのお知らせ」文章より)



 薬物俳優■■■■また不祥事!

 俳優の■■■■にまた違法行為が発覚。

 今度は賭場への出入り、及び恐喝の疑いが浮上した。彼は■月■日深夜の■■■にて人目をしのぐように作られた雑居ビルへ入って行った。

 尾行をした記者が、ビルから出てきた客に聞き込みをした。

 するとこの近くに賭場があり、■■■■はそこでかなり傍若無人に振る舞っていたという。持ち金がないからツケろという無理難題を突きつけたこともあったなど、印象は極めて悪い。彼は先日「甲」誌上にて薬物の裏取引・使用がすっぱ抜かれたばかりだが、懲りずにまた法を犯したようだ。

 彼は新進気鋭の俳優として売り出し中であったが、現場での評判には「生意気だった」「目が怖かった」との声が少なくない。中には「鬼気迫る演技は薬物の賜物だったのか」と残念がる関係者もおり――。

(昭和三十二年九月三十日 ゴシップ雑誌「乙」の記事)



 ―映画「青い海の青年」公開中止のお知らせ―

 当映画の出演俳優に度重なる不祥事が疑われたため、まことに残念ながら、映画の公開を中止することに致しました。

 尚、当俳優に於きましては、既に事務所から契約解除をされたとの連絡を受けております。

 つきましては、関係者の皆様に多大なお詫びを申し上げます。

 昭和三十二年十月十九日  ×××映画会社

(映画配給会社からの「お知らせ」一部抜粋)



 ■■■■死去

 俳優の■■■■さんが■日未明、死亡しているところを発見された。自殺とみられる。

 彼は主演映画「青い海の青年」公開を控えていたが、直前になって薬物取引及び使用、並びに違法賭博の疑いが週刊誌に掲載されたことにより公開が中止、多額の違約金を請求されていたとの情報が入っている。

 なお、関係者によると「持病の薬をもらう」と言って度々病院に赴いていたという証言もある。

(昭和三十二年十一月五日 某新聞・夕刊の記事より抜粋)



 ■■■■の野郎は弱かったな。

 事実に推測を混ぜた記事を五、六本出してやっただけなのに、勝手におっ死んじまいやがった。

 ああ? どうしてスタアの醜聞を書くのかって?

 だって、憎らしいだろう? 実力も無えくせに運だけでちやほやされて、お高く留まりやがって。汚い手段を使っているに決まってるさ。

 俺はそんな目障りな奴らがつけ上がらないように、ペンで制裁してやるんだ。

(酔った某記者の独り言)



 ……さっきのは本当のことか?

 たまたま入った居酒屋で、あいつと遭遇してしまった。

 幸いあいつはかなり私の存在に気づかなかったため、私はこっそり一番端の席に座ったのだが――そこで聞いてしまった。

 悪酔いしてを巻いていたあいつは、酒の勢いで信じられない言葉を吐いたのだ。

 あれが正しいとすれば。

 ――あいつは、自分が気に食わない相手を、悪意を持っている。

 事実に虚構を盛って、相手が絶対に復帰できないよう、徹底的に追い詰める記事に仕立てるとほざいた。

 周りの客は同じく酔っぱらっているので、あいつの言葉をまるで信じていないが。

 とにかく確かめないと。

(或るルポライターのつぶやき)



 ――■■■■ちゃんのニュースですか? 本当にびっくりしました。

 彼、うちの常連なんです。いつも筑前煮を買っていってくれたの。

 彼とても良い子で。ヒロポンとか賭け事とかするような子じゃないはずなんです。

 ちょっと体が弱くてね、いつもかかりつけのお医者さんの所に行って、お薬もらっていたんですって。だから最初はそのことを勘違いされたのかしらって思ったんだけど……ほら、いろんな雑誌に、イケナイこと匂わせるような記事がちょいちょい出てたから、まさかねって……。

 賭け事の件ですか? ああ、■■にいたってやつでしょう?

 あのへんって在日米軍の基地が近いから、なんか治安が悪い雰囲気で……米兵が出入りしている怪しい建物があるって評判で。

 ■■ちゃん、好奇心に負けて、一度だけそういうところに行っちゃったのかなあ。

 ――でも、もう■■ちゃん、死んじゃったんですよね……。

 本当はどうだったのか、聞きたかったなあ。

(下北沢・総菜屋店員の証言)




 あいつの悪意は本物だった。

 ついこないだも、俳優の■■■■が醜聞スキャンダルを書かれ、自ら命を絶ってしまったばかりだ。なのにあいつはまるで凝りていない。

 奴は幾つかの筆名ペンネームを使い分けているが、文章に癖が出るのだ。読む人が読めば一目瞭然だ。■■■■を追い詰めた醜聞記事は幾つかあったが……すべてあいつが書いたものに間違いない。

 どうしよう。

 あいつを何とかしないと、あの悪意のある記事によって、また罪のないスタアが命を絶ってしまうかもしれない。あいつは今まで何人もの著名人を破滅させた。

 どうすればあいつを止められる?

 いや――。

 

(或るルポライターのつぶやき)



 街であのパクリ野郎を見かけた。

 生意気にも無視しやがったので、追いかけて注意してやった。

 すると奴は「それほど暇じゃない」とかほざきやがった。俺のネタをパクった前科があるくせに、生意気だ。

 ひとしきり説教してやるとあいつはおとなしく立ち尽くしていた。ふん、この俺の論法に恐れをなしたんだ。雑魚が。

 そもそもあいつは最初ハナっから気に食わない。

 むかっ腹が立つことに、あいつの記事は――この俺が読んでも――文章自体はうまくて、そこそこおもしろいと来たもんだ。

 でも所詮はパクリ野郎だ。きっと誰かのネタを盗んでいるに決まっている。

 あいつは用心深くて尻尾を出しやがらないが。

 いつかこの俺は、あの野郎の嘘を暴いてやる!

 (某記者の独り言)



 うっかりあいつと出くわしてしまった。

 あの男はいつものように、意味のわからない論法で一方的に罵ってくる。

 今回の言い分は「誰のネタをパクった?」だったかな……途中から意識して聞き流していたので、覚えていない。

 しかしあいつは、顔を合わせるたびに毎回そうやって嫌味しか言わないから、いい加減飽きてきたしうんざりしている。

 そもそも、あいつは相手を論破していると思い込んでいるようだが、お世辞にも「論破」などという凝った芸当ではない。

 論理が何も成り立っていないからだ。

 あいつの口から出るのは論点逸らしと揚げ足取り、一方的なやり込めと悪口だけだ。

 こっちが何か言い返すと「いやそれよりも、あっちのあの件では」と、話題を逸らした(気になっている)上に聞く耳を持たないので、そもそも説得できない。

 あれは「論破」だとしてもあまりにもお粗末だと思うが。

 で、こっちが呆れて黙ると、自分の論理(ではない何か)がまかり通ったと勘違いするので、ますます調子に乗って語るのだ。

 ああ、どうしたものか。

 というか――あいつはどうして、あそこまで、相手に執着して罵り続けているのか?

 まるで……焦がれても手に入らない何かに対して、負け惜しみで憎しみを抱いているかのような。

 まあ、どのみち、どんな理由があろうと、あいつが外道な記事を書いているのは間違いない。

 どうにかできないものだろうか?

(或るルポライターのつぶやき)



 紅白歌手■■■に隠し子

 昨年の紅白歌合戦にも出場した人気歌手・■■■は妻子を捨てた父親だった。

 ■月■日、彼は■■の住宅街に建つ小さな家を訪れた。そこには小さな子どもとその母親が暮らしていた。

 彼は慰謝料と思しき金銭を母親に渡すと、泣いて追いすがる娘を振り切って家を後にした。あんなに可愛い子供を捨てるなんて、何と薄情な父親だろうか。

 うら若い女性を虜にしている人気歌手の■■■が、妻子を蔑ろにしているとは嘆かわしい。

(昭和三十二年十一月十六日 ゴシップ雑誌「丙」の記事)



「はあ……」

 偶々見つけたおでん屋台で立ち飲みをしていると、私の隣にいる青年が大きく溜息をついた。

 私がそちらを見ると、彼もこちらを見た。

「あ、あなた……」

 私は驚いてしまった。

 私の隣で一杯やっているのは、テレビで見たことのある歌手だったからだ。眼鏡めがねをかけて冴えない色合いの半纏はんてんを着ているが間違いない。

 彼は、しっ、と言いながら口の前に指を立てた。

 おでん屋台の店主は、大根の下ごしらえに夢中で気づいていない。

 私は無言で頷くと、平静を装ってまたおでんをつつく。たこあしを食べようとしたが、なぜかつるつると箸先から逃げて全然摘まめない。

 というか、私が動揺して、手が震えているらしい。

「ごめんなさい、驚かせて」

 彼は柔らかい声で私にこう言った。

「えっと……はい、びっくりしました」

 確か去年の紅白歌合戦に出ていたと思う。こんな人気者と、こんな場所で遭遇するなんて夢にも思わない。

「だから、いいんです。高架下のおでん屋台で一人飲みをしているなんて誰も思わないから、注目されずにゆっくりくつろげる」

 今は野暮ったい格好をしている彼だが、にこっと笑った顔は人目を惹くものだった。

 しかし――。

「はああ……」

 彼はまた深いため息をついた。思いつめた表情でコンニャクをつつきまわし、食べようとしない。

 ――私に何かを聞いてほしい、と無言で訴えているようだった。

 だから私のほうから彼に尋ねた。

「あの……何か悩んでるんですか?」

「聞いてくれますか?」

 彼は食い気味に私に向かってこう言った。

「いやね、どこかの雑誌記者に、変な醜聞スキャンダルの記事を書かれてしまって」

「変な、というと?」

 私は嫌な予感が脳裏によぎったが、とりあえず彼に質問をする。

「僕に隠し子がいて、慰謝料だけ渡して後はほったらかしてるって」

「えっ」

「いませんよ!?」

 彼は慌てて声を張りあげた。

 それで、おでん屋台の店主が私たちを見た。しかし彼が「いやあ、すいません」と愛想笑いを浮かべると、店主はまた大根の下ごしらえに戻った。

 彼は話を続ける。

「僕は独身です。離婚歴もありません。記事に書かれた相手は、僕の姉と姪っ子です。渡したお金も慰謝料なんかじゃない」

 先日一緒に出掛けた際、持ち合わせが足りなくて金を借りたのを、返しただけらしい。

「子供が泣いていた、っていうのは……?」

「三歳の姪っ子がね、俺のこと好いてくれているんですけどね、訪ねるたび帰り際に『おじちゃん遊ぼう。帰っちゃヤダ』って泣くんです。後ろ髪引かれて仕方がなくって」

 彼の表情が緩んだ。デレデレというのはこういう表情をいうんだろうな。

「まあ三歳児なら、駄々こねて泣きますよね」

「それを隠し子って書かれちゃあたまりませんよ。まったく。姉貴とその旦那さんはちゃんと事情を知っているからいいんですけど。何も知らないファンの人たちはあの記事で誤解しちゃうでしょう。どうしようかなって」

「もしかして……その記事を書いた記者って」

 私がを挙げると、彼は頷いた。

「そうそう。その名前の記者です。なんかいろんな芸能人の特ダネすっぱ抜いているらしいですね?」

「あいつが書くのは特ダネなんかじゃないですよ」

 私は――自分でもびっくりするほど――冷たい声で言い放つと、飲み屋で泥酔したあいつがほざいていた言葉を、彼に教えた。

「……じゃあ、その記者は一の事実に九の嘘を捏造して、いろんなスタアを破滅に追いやっていると?」

「本人がそう言っているの聞いちゃったもんでね。たぶん本当なんじゃないですか?」

 今ここで話題にするだけでも虫唾が走る。

「でもそれってつまり、誤報でしょう。問題にならないんですか?」

「それが……そこが奴の小賢こざかしいところで」

 私は、懇意にしている編集者から聞いた話を彼に話した。

 というのも、あいつは出版業界では(無駄に)そこそこ名が知れ渡っているから、望まずとも評判が私のところまで届いてしまうのだ。

 で、肝心の、奴の評判だが……。はっきり言おう。

 すこぶる悪い。なぜ奴の記事が雑誌に載るのか意味がわからない。

 奴は一度ネタを見つけるとそれを曲解し、断定口調の文体で決めつけ捏造記事を書く。

 ここで奴の小狡こずるいのは、そのネタを主題に記事を書くのはせいぜい一、二本だけで、あとは無関係の記事に「ちなみに以前の××は」と論理を無視してこじつけて、しつこく蒸し返し、読者がそれを忘れないように匂わせ続けるのだ。

 ネタをすっぱ抜かれたほうはたまったものではない。永遠に種火が残り、いつまた燃えあがるかわからない煩わしさと恐怖を感じ続ける。

「とんでもない奴なんですね、あの記者って。そこまでタチの悪い奴相手なら遠慮はしません。事務所を通して、しかるべき手段に出ます」

 彼は憤慨していた。私も彼と同じ気持ちだ。

「私も手伝えることがあれば協力します」

 私は彼と意気投合して、がっちりと男同士で握手をした。

 ――紅白歌手と友達になってしまった、という事実に気づいたのは、屋台を後にしてからだった。サインをもらっておけばよかったかな。

(とある晩秋の夕暮れ、高架下のおでん屋台での一幕)



 当社所属の歌手・■■■につきまして

 先日、某週刊誌において、■■■に隠し子がいるとの記事が出されました。

 しかし記事で「妻子」と表現されていた人物は、■■■の姉とその子供であること、ならびに「慰謝料」と記されていたものは、「個人的な金銭の授受」であると確認がとれました。尚、この金銭については、親族間の一時的なもので違法性はない、とも確認が取れました。

 当社としては、■■■に対する名誉棄損を受けたとして、雑誌の出版社と記事を書いた人物に対して、先日民事訴訟をいたしました。

 ■■■は婚姻歴もなく、ましてや子供もおりません。

 今後とも、■■■をよろしくお願いいたします。

 昭和三十二年十二月一日     ×××社

(某芸能事務所からの「関係者各位へのお知らせ」より)



 ■■■■さん、遺族が訴訟

 先日自ら命を絶った俳優の■■■■さんの名誉を棄損されたとして、遺族が出版社と記者を相手に民事訴訟を起こした。

 ■■■■さんは主演映画の公開を控えていた■月■日、週刊誌に薬物使用の嫌疑を書かれていたが、当雑誌の調査により、それらはまったくの捏造であったと発覚した。

 ■■さんはかねてより持病の薬を処方されており、かかりつけの医院に出入りしているところを目撃され、曲解記事を書かれたとしている。

 また違法賭博についても、捏造記事の疑いが高まっている。賭博をしていたと記事に書かれている時間帯、くだんの賭場の近くにある輸入洋品店の店主と利用客が、■■さんの来店を証言している。

 以上のことから、件の醜聞記事には信憑性が疑われるとして――。

(某週刊誌の記事より一部抜粋)


 

 「おい、パクリ野郎! 俺をハメやがったな!?」

 夜の街で怒鳴られて、私は背後を振り向いた。

 あいつがこめかみに血管を浮き立たせて、わなわなと震えていた。

「何のことだ?」

 私は努めて冷静に返した。頭に血が昇っている相手には、こういう態度が一番堪える。

「あの記事を書いたのはてめえが出入りしている雑誌だろう! つまりてめえが俺をハメたってことだ! そうに決まっている!」

「はあ?」

 言いがかり以外の何物でもないが、まあ聞いておいてやろうか。

「ちょっと刺激的な記事を書いた程度で訴訟だ? ふざけるな! それにあの野郎も悪いんだ、あれしきのことで首を吊っちまいやがって!」

「……何だって?」

 聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「弱い奴が負けなんだ! 俺は奴らの悪辣さを世間に知らしめてやっただけなのに!」

 それはきっと、」なのだろうな……と思ったが、口に出して教えてやるほど私は優しくない。

 奴は顔を真っ赤にして何事かをぎゃんぎゃんと吼えていた。その言葉は支離滅裂で主観と偏見に塗れており、論理の「ろ」の字もうかがえない。

「あいつらは狡い奴らなんだ! 汚い手段で名声を手に入れたに決まっている!」

 もはや子供の癇癪かんしゃくだ。

 それを聞いてやる義理はないので、私はとっととトドメを刺すことにした。

「なあ、あんたの経歴、ちょっとだけ聞いたよ。あんた俳優志望だったんだって?」

 ぐっ、と奴が怯んだ。私は話を続ける。

「スタアを夢見て上京したけど、まるで才能がないから挫折したって聞いたよ。夢が叶わなかったのはかわいそうだけど、自分の至らないのを棚に上げて、他人をけなしているのはダメだ。そりゃただの逆恨みだし、嫉妬だよ。しかも相当醜い部類のね」

 私も相当に鬱憤うっぷんが溜まっていたのだろう、するすると辛辣な言葉が口から飛び出てきた。

「欲しくてたまらないスタアの座が手に入らないから、それを手に入れた人たちを貶しているだけだ」

 奴は顔を真っ赤にして吼えた。

「うるせえ! 俺のほうが優れているんだ! あの程度の野郎どもがどうして、人気者として万人に好かれているんだ。あんな奴らより俺のほうが優れているのに!」

「はあ?」

「この俺がで、俺より劣っているスタアどもがきらきらした場所に立っているなんてありえないんだ! あの場所に立っているのは俺のはずだった!」

 私は愕然とした。

(こいつは……)

 呆れて言葉も出ない。

 こいつは、とことん精神が子供のままなのだ。

 嫉妬すること自体は誰にでもあるし、おかしくない。

 問題はそれをどう昇華するかだ。負けるものかと励みにして何かを頑張ったり、努めて忘れて、他の楽しみを見つけたりするのが健全なのだ。

 なのにこいつは……嫉妬を煮詰めて焦がして、自分が成長しない、という最も楽な手段に逃げている。それだけでなく、他者に悪意を振りまいて、現実に著しい害をもたらしている。

 これほどまでに情けない奴だったとは――。

「あんた、悲しくないか?」

 私は思わず呆れて言った。

「嫉妬と恨み節だけに労力割いて、自分で成長しようとしないで。そんな人生、自分であわれだって思わないのか?」

「俺が哀れだと!?」

「哀れだろうが。負け犬がぬくぬくと負け犬根性に浸かったまま、他人の悪口言って気持ちよくなっているだけなんだから」

 ――かなりきつい言い方だった、と後で反省したが、私もこの時はいい加減腹が立っていたので、奴を徹底的に責めてしまった。

「ああ、それとも、自分に価値がないことを理解しているから、誰かをこき下ろすことで相対的に自分の価値が上がった気になって、悦に入りたいだけか?」

「――てめえぇぇ、ぶっ殺してやる!!」

 さすがの奴も堪忍袋の緒が切れて、大音声だいおんじょうでそう吼えると、私に殴り掛かってきた。

 拳が飛んでくる。

 その瞬間。

 私の中で「」がささやいた。


 ――さあ、お前の思うまま、奴にやれ。


 私は声の導くまま、殴り掛かってきた奴の首元に一瞬触れて「

 刹那、予期した通りに、奴の拳が私の左頬を捕えた。

「ぐっ!」

 私は吹き飛ばされて地面に崩れ落ちた。

 歯を食いしばるのが間に合って良かった。折れていない。

「おいお前、何してやがる!」

 声が近づいてきて、炭鉱夫のようにガタイのいい男性が、奴を後ろから羽交い絞めにした。奴は暴れて逃れようとしているが無駄だった。男性は力が強い。

「警察呼べ! こいつ現行犯だ!」

「放せ、こいつを殺す! この俺に向かって生意気ナマほざきやがった!」

「おとなしくしろ!」

 ……大事おおごとになってしまった。

 まあ、煽ったのはこちらだが、先に手を出したのは奴だ。

 奴に誹謗中傷や名誉棄損を受けた被害者のことを考えると、これは当然の報いだと思うし、それに――。

(きっとあいつはから)

 直感的にそれがわかった。



 留置所で男が変死

 十二月十八日未明、渋谷警察署に拘留中の男が変死した。死亡したのは■■■■容疑者(32)で、十三日に傷害容疑で逮捕・拘留されていた。

 ■■容疑者は週刊誌などで度々著名人の醜聞記事を寄稿していたことで一部名が知られていたが、書き口が過激なために注目を集めていた。

 そのためか、■■容疑者は先日、俳優の故・■■■■さんの名誉を棄損、さらに歌手の男性など複数の著名人とその関係者各位から複数の訴訟を受けており、公判を控えていた。

 原告からの訴えを機に、■■容疑者の書いた今までの記事が再度注目されたが、そのどれもが根拠を持たない捏造であるという可能性が高まっている。

 傷害事件においては被疑者死亡で書類送検する方針。さらに名誉棄損においては公判を継続。原告側は醜聞記事を掲載していた複数の出版社に対しても訴訟を起こしているため、そちらに損害賠償請求をする模様。

(昭和三十二年十二月十九日 大手新聞社発行の朝刊より)



 死体検案書

 氏名:■■ ■■ (32歳)

 死亡年月日時分:昭和32年12月18日

 死亡の場所及びその種別:渋谷警察署、留置所●●房

 死亡の種類:その他及び不詳

 直接死因:急性ショック死

 その他の身体症状:首に著しい擦過傷さっかしょう、及び火傷跡のような傷アリ。両手指先に皮膚片アリ。

 解剖初見:消化管・及び複数の内臓に炎症反応アリ。まるで毒物及び劇物を大量摂取したかのような有様だが、原因物質は不明。

 ―――――

 備考:被疑者は発見時、留置所の房室内にてどす黒い血を吐いて倒れていたという。喉に激しい擦過傷が認められたため、激しくもがき苦しんで自らの首をひっかいた模様。

 尚、内臓全般の炎症が激しいため、持病の有無は不明。

 (とある嘱託医が作成した死体検案書)



 私を殴ったあいつは、死んだらしい。

 あいつが死んだことで、これから捏造記事で苦しむ人が減るはずだ。せめてもの救いになるだろう。

 ……そうでも思わないとやっていられない。

 私は一体何なのかな。

 やっぱりもう普通じゃなかったのかな。

 でも

 その事実、

(化野乱斗の個人メモより)



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