佐和と絶滅
玉手箱つづら
佐和と絶滅
仕事から帰ると、マンションの入り口に佐和が座り込んでいた。
スーツケースに手を置いて、こくり、こくり、と眠たげに首を揺らしている。
「風邪ひくよ」
声をかけるとパチッと目が開いて、俯いていた顔が私をとらえる。
「お姉ちゃんおかえり~」
立ち上がる佐和を見て、背伸びた?と一瞬思う。いや、前より背筋が伸びているだけかもしれない。ピン、としている。気がする。
「そっちもね」
オートロックを開き、おかえり、と佐和を招く。
「うん。ただいま~」
と言って、佐和は私にゆったりとハグをする。
佐和が一念発起したのは高校二年の夏だった。ナントカというアザラシの仲間がこのままだと絶滅すると知って猛勉強を始めたのだ。
元々優秀だった佐和はぐんぐん成績を伸ばし、そのままアメリカの名門大学に合格。生物学やら環境学やらをたっぷり学んで、マスターまで取得した。今は、渡米当初から所属していた絶滅危惧種の保護活動チームで、そこそこ責任あるポジションに就いているらしい。
父も母も、ばかにする気はまったく無いけれど、まあ人並みの人生を歩んできた人たちだったから、佐和はきっといい大学に行けるだろうねえ、くらいのビジョンで見守っていたら、認知すらしていなかったような世界へどんどんと羽ばたいていって、あんまりピンとは来てないようだったけれど、それでもずっと佐和のことを誇りに思っていた。
私もそうだ。
妹と私とは別の人間だ、と分かってはいても、どこか誇らしい。
そして愛おしい。
いつだったか、家族宛に手紙が届いた日、雪原の上でもこもこの服を着込んだ佐和の写真を囲んで、皆で笑ったのを覚えている。
「ごめんね」
そう言って、佐和は部屋の隅に置かれた、小さな仏壇に手を合わせる。
父が危篤になったとき、佐和は通信電波が届かないところにいて、帰ってこられなかった。
母が死んだとき、佐和は今自分が現場を離れることはどうしてもできないと言って、ひと月ほど帰らなかった。
何分も、十何分も、佐和は黙って手を合わせる。
いつも、帰ってくるたびにそうしている。
決まって一言、ごめんね、と謝って。
かつて家族四人で暮らした家は取り壊して、土地も売ってしまうことにした。私一人で住むには広すぎるし、結婚願望も特にない。あちこち古くなってきてもいたから、それなら、ということで佐和と二人で話して決めた。今回の佐和の帰国は、その様子を見るためだった。
重機がベキバキと壁を剥がして、家が形を失っていく。
「ごめんね、お姉ちゃん」
なんて声が聞こえて、なんで謝るのよ、と顔を向けると、佐和は壊されゆく家を見つめたまま、静かに泣いていた。
小さい頃、人一倍泣き虫だった佐和。
その佐和が泣くのを、私は、一体いつぶりに見たのだろう。
「死なないでね、お姉ちゃん、ずっと……お願いね」
小さく、小さく言う佐和に、私はどうにか、うん、とだけ応えた。
佐和がまた飛び立った一週間後、私は一葉の写真を仏壇に置いた。線香に火をつけて、久しぶりに手を合わせる。
それは、写真屋さんにデータを持ち込んで、印刷してもらった写真だった。空港の喧噪を背景に、微笑む佐和が映っている。
お父さん。お母さん。佐和、まだ頑張ってるよ。
「……やっぱさ。嬉しいよね、なんとなくさ」
なんでだろうね、と、遺影の中の二人に笑いかける。
線香の煙が、風もないのに、ふわりと揺れる。
佐和と絶滅 玉手箱つづら @tamatebako_tsudura
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