【短編】大きな戦争の小さなクリスマス休戦
玄納守
第1話 ヒュルトゲンの森
私たち家族が、このヒュルトゲンの森の小さな小屋に住むようになったのは、ほんの数年前のこと。父が「ここなら戦火に巻き込まれにくいだろう」と、判断したからだ。
確かに、前に住んでいたアーヘンは戦火に巻き込まれたから、父の判断は正しかったと言える。
だが、ドイツに安全な場所なんて、もうどこにもない。
先週から、この森にも上空を砲弾が飛び交い、木々の隙間からは煙をあげた飛行機が見え、どこからか響く銃声がこだましていた。
それは昼夜を問わず続き、冬の梢を震え上がらせた。
遠く轟く砲声が、我がドイツ軍のものなのか、それとも敵のアメリカ軍のものなのか。幼い私にはわからなかった。ただ、その音に空腹の胃袋が震えるのが、面白かった思い出しかない。
「ドイツが勝っているよね?」
父に尋ねたが、何も答えてくれなかった。父も知らなかったのか、ドイツが負けると思っていたのか。
ある日。その父が、陽気に猟銃を担いで、出掛ける準備をしていた。
狩りをしてくるのだという。
この戦争の中で、何を酔狂なことを言っているのかと思ったが
「大丈夫。今日は戦わない日なんだよ。フリッツ」
そう言いながら玄関で私の頭を撫でてくれた。
「あなた。まだ食料はありますから」
母も心配そうに引き留めたが、父は心配するなと笑っていた。
「早ければ今晩、遅くとも明日の朝には帰ってくるよ」
「無理をしないでください」
「神様が味方をしてくれるさ。鶏を焼いて待っててくれ」
と、雪の降り積もった森の中に消えていった。
家の食糧庫には、わずかなじゃがいもと、半分空いたワイン。香りの高いチーズ。秋の間に取っておいた森の果実を干したもの。そして先日絞めた鶏が数羽。それが、今のわが家の食糧事情だった。
父がいなくなった小屋で、母が心配そうにラジオを聞いている間、私が暖炉に薪をくべた。街から電源を引いたものの、電球は入手できず、このラジオくらいしか電気が使えるものがなかった。
そのラジオからは総統の叱咤激励が飛んでいた。戦況はドイツ軍有利だと伝えられた。
朝の放送が終わると、ようやく母も、いつものように家事を始めた。
外の様子がおかしいことに気付いたのは、昼になろうかという頃だった。
いつもより激しい砲声が絶え間なく続いた。
「今日は戦わないんじゃなかったの? ママ」
焚き木を集めながら母に聞くと、母は、まだ乾ききっていない服を急いで取り込み、私の手を取って家の中に入った。
「なんで、大砲の音が止まないの?」
「どちらかが銃をとれば、戦い合うしか、答えはないの。今日を祝う余裕もない愚かな子たちは、互いが人の子とも知らずに銃を向け合っているのよ」
母は、大砲の音はアメリカ軍からのものだと信じている様子だった。
「パパは大丈夫?」
「心配いらないわ。むしろ、帰ってこない方が安全かもしれないから」
その言葉と同時に、近くの森に砲弾が落ちた。
少し地面が振動していた。母は心配そうに窓から空を見上げた。
「ここから逃げる?」
「逃げないわ。安心なさい。それよりも、オーブンの準備をしましょう。フリッツ。窯の温度を頼むわよ? 薪は家にあるのを使っていいから」
何かしていないと不安に押しつぶされそうだった。だが、それでも、私が外へ薪割りに行くのは心配だったのだろう。母は何もない家をせっせと掃除しはじめた。
それは1944年12月24日のことだった。
後年知ることになる。「バルジの戦い」と呼ばれた、第二次世界大戦有数の激戦が、このヒュルトゲンとアルデンヌの森林地帯を舞台に繰り広げられていた。
それでも、私たちは、自分たちの身には何も起こらないと信じていた。神の加護と奇跡を信じるしかない。生まれてから、ずっと、それだけを信じ続けるしかなかったのだ。
その奇跡は、意外な形で我が家に訪れた。
夕暮れ時に、ノックの音が聞こえた。その音に私は慌てて玄関に走った。父親が帰ってきたのだと。
「パパ! 早かったね! でも、まだ鳥は焼けていないよ!?」
扉を開けて、私は相手を見上げた。
降り積もる雪の中、目の前に立っていたのは、銃を手にしたアメリカ兵だった。
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