3様の絶望

 勇次は夜の街―ネオンの光る大通りーを

足早に進んだ。当てもなく。


 現在の東京・首都圏には至る所に監視カメラが設置されている、以前テレビのワイドショーで

そんなニュースを見た事がある。

だから今は人気のない、灯りもない裏道などを

行くのが この場合正しいのは分かってる。

 だが、、、、


 そんなところに行ったら 闇に呑まれそうで

怖くて無理だった。


 勇次は自分の足元を見ながら、通りの端を

歩いた。


 ふと目線を前方にやった時、自転車に乗った

2人の制服警官が見えた。 こちらにやってくる。


 勇次は慌てて、右の横道に入った。

数メートル進み、元いた通りを振り返る。

警官はこちらに目をやることもなく勇次の視界を 右から左へと横切って行った。


 ホッと静かに一息つくと、汚れた野球帽が

地べたに落ちているのに気付いた。


「・・・・」


 しゃがみこみ、それを手にすると頭に被る。


 、、、、恥辱が身体を包んだ。


 顔を伏せ、野球帽を更に深く被った。

 これからどうする?財布の中の金も

尽きている。 どこへ、、、どこへ行けばいい?


 勇次はただ、その場で立ち尽くす事しか

出来なかった。



 玄関の扉が勢いよく開き、賢が

飛び込んできた。

「お母さん!」

 美波は胸に飛び込んでくる息子を力強く

抱き締めた。 そして一度引き離し、愛する者の

顔をジッと見つめる。

「賢、どこも痛いところは無い!?」

 賢も母を見つめ、力強く頷いた。

「あなた、ありがとう」

 美波は、開けはなしたままの玄関向こうに

立ち、 こちらを見ていた一郎に言った。


 何故かソワソワしている。

「・・・・どうしたの?」

 美波の問いに一郎は小さく首を振った。 「・・・・ちょっと出てくる」

「・・・・どこへ?」

「会社。今日1日行けなかったろ?

ちょっと顔出してくる」

「こんな時に?」

 美波は怪訝な表情を夫に向けた。


 それには理由があったから。


「すまない。会社の連中も心配してる

だろうから」

 一郎はそう言うと踵を返した。


 噓でしょ?こんな時に、、、。 美波は

夫が閉めた玄関をジッと見つめていた。



「俺だ。金は手に入れたぞ」

 筧はタクシーの後部座席でスマホを耳に当てていた。


ーほうー

 梶谷組、大沢の声が返ってくる。 いつもは

無表情な男の声に、少し驚きの色が加わっているのを筧は聞き逃さなかった。


「明日の昼にでも持ってく」

 筧は自信に満ちた声色で言った。


ー組長(オヤジ)に伝えときますよー


「ああ」


ー改めて酒でも酌み交わしたらどうです?ー

 心にも思ってない大沢の言葉に筧は笑い、

「そうだな。楽しみにしとく」

 通話を切り、満足げにシートに身を凭れた。



 自宅兼事務所がある中野坂上のマンション前に シボレーが停車していた。

「ここでいい」 運転手は筧が言うなり、スムーズにタクシーを停車させた。


 料金メーターは2100円を表示している。 「釣りは要らない」

 筧は1万円札を運転手に差し出した。



 来客用のローテーブルの上に置かれた

2つのグラスにウイスキーが注がれる。

 ソファに腰を沈めた筧は、ボトルを同じく

テーブルの 上に置かれた紙袋とリボルバーの

傍らに置くと、

「じゃあ乾杯だ」

 隣に座る島川と手にしたグラスを合わせ、

ストレートを一気に飲み干した。


 美味い。 こんなに美味い酒を飲んだのは

久しぶりだった。


 飲酒は毎日欠かさないが、いつも惰性で呑んでいるようなモノだった。 だが、今夜は違う。

俺はやり切った。 こんな日に飲む酒が不味い訳がなかった。


「凄く緊張したけど、やってみたら

チョロかったね」

 島川が2人のグラスに酒を注ぎ足しながら

言った。

「でも、危険な橋だったんじゃないの?

バスなんか使わせてさ」

 島川が不安げに続けた。 筧はグラスを呷り、

得意げに口を開く。 「俺らじゃない誰かを

容疑者にするには、衆人の中でそいつをホシだと 匂わす必要があった。結果、上手くいったんだ。心配ねえよ」

「さすがヨシ。これでダチに借金返せるね」

「そっちは返す気ねえよ」

「え?」

 島川は合点のいかない表情。

「てか、浮かれて忘れてた」

 筧がスマホを取り出した時、

着信ベルが鳴った。

「ちょうどいい。言い訳しとくか」

 筧は画面に表示された番号を見て、 小さく笑うと通話をオープンにして緑のアイコンを

タップした。


「も、もしもし・・・・」

 痛々しい声で言った。


ー筧?どうした?ー


「病院だ」


ー病院!?ー

 筧は一郎の素っ頓狂な声色に笑いそうに

なるのを堪えた。


「―すまない。ホシはお前が言う通りの奴だったが、尾行中に気付かれちまってな」


ーで?ー


「逆に襲われちまって」


ーなんだと!?ー 筧が今まで聞いた事の無い

“驚き”の声を 一郎が上げた。 吹き出しそうなのを堪え、隣を見ると筧の思惑を理解した島川も口を押え、笑いたいのを堪えていた。


ーお前がやられたって?ひ弱そうに見える

ガキだったぞ!?ー


「すまん。油断しちまった」


ーすまん、で済むかよ!!何の為にお前を 呼んだと思ってるんだよ!?ー


 お前が何と言おうと、”すまん”としか

言わない。 それで金が入るんだから。

筧はそう思いながら “すまん”、を重ねた。


「で、子供は?」

 白々しく一郎に聞いた。


ーえ?・・・・あいつは無事だー

 息子がやっと戻ったんだ、そんなぶっきら棒な言い方も無いだろうに。


「こうなったら、警察に連絡するんだ。

早く見つければ、金は全部取り戻せる」

 無理だけどな。


ー全部じゃないー


 、 、、、一瞬、頭がフリーズした。

会話を聞いていた隣の相棒と見合う。


ー妻がおろした分だけだー

「・・・・なに?」


ー俺がおろした金は抜いといたー


「!?」


「妻には言うなよ」



 コインパーキング。精算機で精算を

終えたばかりの一郎が言った。

 セダンのトランクを開ける。

 中には剥き出しに なった大量の札束があった。


「犯人は絶対に捕まえて、妻のお金も取り戻す。 お前にも最後まで付き合ってもらうぞ」


ー・・・・わかってる。今どこだ?ー


「渋谷駅傍のコインパーキングだ。

今から家に戻る」

 筧の声の微妙な変化に気付かず、

一郎は言った。

「お前も落ち着いたら家に来てくれ。

そしたら警察に連絡して対策を立てよう」

 一郎は通話を切ると運転席に乗り込み、

ロック板の降りた駐車スペースからセダンを

発進させた。


 

 筧は通話が切れたスマホをテーブルに置き、

その傍らの紙袋に目をやった。

持ち手により上部が萎(すぼみ)狭い間口。 3個のレンガが横一列、上面に並んでいる。

それを掴んで放る。


!?


 一郎が着ていたチェスターコートが

隠れていた。

 それを掴む!重い!?一気に袋から

引き上げる!!


 コートから飛び出したスパナなど幾つかの工具やバッテリーが派手な音を立て床に落ちた。

 セダンに乗せていたモノか!?


「クソがあああああぁっ!」

 筧は咆哮をあげた!

 迂闊だった、浮かれていた!!

「ど、どういう事!?」

 島川が不安な表情で聞いた。

「金、間引きやがったんだ!!」 

 島川がレンガを1つ手に取り、

「これ1個で幾らなの?」

「・・・・一千万」  

 筧は荒ぶる呼吸を収めようと努めながら

言った。 だが、、、

「足りねえよぉっクソがあああああああっ!!」

やはり収めきれなかった。 梶谷に返すのにも

一千万足りない。 そんな事、収められるはずが

無かった。

「・・・・まあ、これだけ手に入れただけでも

良しとしようよ」

 何も知らない相棒が怯えながらも

宥(たしな)める様に言った。

「納得出来ねえ!こんな無様なまま、

終わる訳いかねえだろ!!」

 筧はテーブルを左足で激しく蹴りつけた。

 卓上にあったスマホ、ボトルやグラス、

レンガなどが床に散乱する。

「ヨシ・・・・」

 島川がもう一度宥めようと口を開いた時、

床のスマホが鳴った。

「・・・・」

 筧はスマホを手に取り画面を見るや

顔を曇らせ、、、、 渋々通話アイコンを

タップした。


「なんだ?」

 刺々しい口調で言った。


ー金、組長(オヤジ)が今すぐ持ってこさせろ、と 仰ってましてー

  いつもの無表情な声に戻った大沢に筧は

苛立ち、奥歯をギリッと噛み締めた。


ー来れますよね?ー


「・・・・ちょっとトラブルがあってな。

朝までに行く」


  筧への返事はなく、誰かに話している

大沢の声が遠くで聞こえた。

 その直後、怒声が響く。

 きっと梶谷のジジイだ。クソがっ。


ー・・・・それ以上は待てませんよー

 無表情な声が聞こえた途端、通話が切れた。


 筧は怒りに震えた手で握ったスマホを耳から

離した。

「ヨシ・・・・大丈夫?」

 通話の詳細を掴みかねている島川が不安な表情で聞いた。


「仕方ねえ。やるぞ」

 そう言った筧に選択肢は一つしかなかった。

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