ピンポンダッシュ
「間もなく目的地周辺です」
ハイエースに後付けされた古いカーナビの
ガイド音声が車内に響いた。
画面のマップは吉祥寺七丁目を指していた。
ハンドルを握る勇次が前方に目をやると、
数十メートル先の右方、赤い屋根の瀟洒な
一軒家が見えた。
あれだ。
勇次は進行方向、一軒家から30メートル手前にある公園の脇にハイエースを止めた。
車内のデジタル時計は朝の9時過ぎ。
園内には母子連れなど人の姿は、
ほとんど見えない。
フロントガラスの向こうに赤い屋根の家が
見渡せるのを改めて確認すると、鉄男から渡されたガラケーとグミをポケットから取り出した。
グミを1粒袋から出して口に放ると、
ガラケーに自分の番号をプッシュした。
数コールして、鉄男の弱弱しくも太い声が
返ってきた。
ー着いたか?ー
「はい。公園に停めました」
ーチビの家は見渡せるな?ー
「はい」
ーダッシュボードを開けろ。写真が入ってるー
「写真?」
勇次は言われるまま、助手席側の
ダッシュボードを開けた。
取り扱い説明書などの書類の一番上に
ポラロイド写真があった。
勇次はそれを手に取って見た。
「え!?」
勇次は思わず声を漏らした。
写真の中には、両手両足を縛られた
賢の姿があった。
ーそれ持ってあの家に行けー
勇次の動揺を気にせず、鉄男は言った。
「・・・・で、どうするんですか?」
ーその写真を門前に置いて、
ピンポンダッシュだー
「ピンポンダッシュ?」
勇次が初めて聞く言葉だった。
ーちっ、通じねえか。チャイムを
ピンポンしたら、ダッシュで車に
戻れってんだよー
「ああ、そういう事ですか。
って、ええ!?な、なんでそんな事を!?」
ーいいからやれ!車に戻ったらしっかり家、
見張れよー
「わ、わかりました・・・・」
勇次はハイエースを降り、赤い屋根の家に
向かい歩き始めた。辺りをキョロキョロ
しながら。
リビングは静かだった。
美波は、リビングの壁に背中を預け、
立ちっぱなしでソワソワしていた。
一郎は、美波に背を向ける形で
リビングテーブルの椅子に腰掛け、
目の前に置いたスマホをジッと見ていた。
「そろそろ電話がくる頃だな」
一郎の対面に腰掛けた筧が言った時、
スマホが鳴った。
一郎はすかさずスマホを手にした。
美波が夫の元へ慌てて駆け寄る。
だが、一郎は画面をほんの少しジッと見ると
通話ボタンをタップせすに切った。
「?なんで出ないの?犯人からでしょ?」
筧も眉を顰しかめる。
「番号が違う、会社の人間だ。
放っておけばいい」
一郎はスマホをテーブルに放った。
ピンポーン。
今度はスマホでなく、玄関チャイムが鳴った。
美波は夫と顔を見合わせると一緒に
インターフォンモニターに向かった。
が、モニターの中には誰もいない。
美波は玄関に向かった。
一郎も慌てて後を追う。
筧は何も言わず、追う事もせず、
その場に留まり何かを考えていた。
「ぜぇ、ぜぇ・・・・」
勇次はハイエースの運転席に飛び込み、
ドアを閉めると呼吸を鎮める様、務めた。
前方に目をやる。
フロントガラスの向こう、門前に女性と男性が現れた。
あれが賢君の両親なのだろう。
勇次は心苦しさを覚えながら、
ジッと見ていた。
やがてお母さんが、勇次が置いたポラロイドに
気付くとそれを拾い上げる。
そしてー中身を見た途端にお母さんが
取り乱した。
勇次の胸が、更に締め付けられた。
やがて、お父さんがお母さんを抱きかかえ
家の中に戻っていく。
勇次はいたたまれない思いでガラケーを
取り出し、鉄男を呼び出した。
数コールしても応答がない。
勇次がガラケーを耳に当てたまま待っているとやっと鉄男が出た。
ートイレ行ってた。写真置いたか?ー
「はい。・・・・あの、家から人が
出てきました」
ー誰だ?ー
「多分、お父さんとお母さんだと思います」
ー他にはいなかったんだな?ー
鉄男が念を押す様に言った。
「はい」
ーよしー
よくない。やっぱり、よくない。
勇次は意を決して切り出した。
「あの、やっぱ俺―」
ー今から言う事をメモしろー
鉄男が勇次の言葉を遮った。
「え?」
ーメモしろって言ってんだ!チビが
どうなってもいいのかっ!?ー
「は、はい!」
勇次の決意は鉄男の恫喝により吹き飛んだ。
「今、メモするモノを探しー」
ー早くしろ!またトイレ行きたくなった!ー
「わかりました!」
勇次はトートバッグを漁り、メモ出来そうな
モノを探した。
もう引き返せない。そう思いながら。
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