CHAPTER2-1 父母そして父の旧友

 遠藤美波はタクシーの後部座席でスマホを耳に当てていた。

コール音が続く。応答は無い。

「まったく、電話くらい出なさいよ」

 美波はため息を吐き、スマホをしまった。


 最近、というかだいぶ長い間、息子の賢と

上手くいっていない。

 あの子も何か言えば言い返してくるし、自分もムキになってあの子を

怒鳴りつけてしまう。いけないとはわかっててもそうしてしまう。

 あの子ともっと向き合えてればこんな風に

なってなかったかも?

美波はそんな事を頻繁に思っていた。


 美波は現在、料理研究家として家庭的な

節約レシピをまとめた書籍も売れ、映画やドラマに使用する出道具としての料理の監修

=いわゆる、フードコーディネータ―としても

売れっ子だった。

頻繁にテレビの料理番組にも出演して多忙で充実した日々を送っている。

 しかしその分、賢と向き合う時間がない。

申し訳ないと思いながら、美波は数年この生活を続けてきた。


「ちゃんとご飯食べてるのかしら」

 美波がそんな事を考えていると、タクシーは

瀟洒な一軒家の前で停車した。

 料金を払い、タクシーを降りると美波は玄関に小走りで駆け、鞄から鍵を取り出す。

「?」

 鍵穴に鍵を差したが、ドアは開錠されている。美波はため息を吐き、家の中に入った。



「賢!鍵開けっぱなしにしちゃ駄目じゃない」

 美波はリビングに入りながら息子の名を

呼んだ。だが、返事は無い。

 ダイニングテーブルの上に目をやると、仕事に行く前に用意した夕食はラップを解かれる事無いままであった。

「あの子ったら、まだ不貞腐れてる」

 2階の息子の部屋に行こうとする。

 と、壁掛けの52インチ液晶テレビの前にある大振りなテーブルの上に置かれたメモ用紙に目を留めた。

 テーブルに赴き、それを手にした美波の目が

大きく剥かれ、一気に血の気が引いた。


 『遠藤様。オ留守ノ間ニゴ子息ヲ預カリマシタ。

クレグレモ警察ヘノ連絡ハナサラヌヨウ。ゴ子息ニハ食事モトイレモ世話シマス。

5000マンエン払エバ必ズ返シマス』


 メモには、ワープロ書きでそう書かれていた。



 夫に連絡してから1時間以上経過していた。

 美波は1人、座る事も出来ずメモを手に室内をウロウロしていた。

 どうしてあの子が?あの子がこんな目に

遭わなければいけないの?

あの子にもしもの事があったら?

美波は絶望に囚われ、今にも叫び出しそうだった。


 玄関ドアが開く音が聞こえた。

 一目散で玄関に迎えに出た美波と、夫の一郎が廊下で鉢合わせる。

「遅れてすまない。打ち合わせで都内にいなかったもんでな。で、どうした急に?」

 事情を言わずに・・・・というか、嘘であって欲しかったから何も言わずに呼び戻した夫に、

美波は諦めた様にメモを差し出した。


 怪訝な表情で受け取ったメモに目を通した一郎の目が一気に剥かれた。

「くそっ!」

 顔を上気させた一郎は、少し震える手で上着

からスマホを取り出した。

 その手を美波が慌てて掴む。

「待って!何するの!?」

「?何って、早く警察にー」

「よく読んで!警察には連絡するなって書いて

あるでしょ!」

「じゃあ、どうするってんだ!?」

「私だって、分からないわ!」

 険悪で、冷たい空気が2人を包んだ。

 と、一郎が美波の手を振り払い再びスマホの

画面を操作し出す。

「ちょっと!―」

「警察じゃなけりゃいいんだろ!?」

「?」

 美波には夫の言葉の意味がわからなかった。

 

        


 筧 祥史は黙って電話の向こうの声を聞いて

いた。

「・・・・わかった。今すぐ行く」

 通話を切ると、スマホを安物のブルゾンの

ポケットに突っ込み、踵を返す。

 “CLOSED”のプレートが掛かった目の前のドアを開けると、カウンターのみの極狭な

バー店内に足を踏み入れた。右足を引き摺り

ながら。

 思案顔で入ってきた筧に、カウンター中から

島川 潔が美しい笑顔を向けてくる。

「誰?」

「大学時代のダチだ。田舎も近くてよ」

 筧は言いながら、島川の目の前のスツールに

腰掛けるとブルゾンのポケットからクシャクシャの煙草のソフトケースを出し、その中の

ヨレヨレの1本を咥えた。

「ん?」

 ライターを探すが、ポケットにない。どこかで落としたらしい。

「ライターくれ」

 筧が言うと、島川はグラス棚の傍に置いて

あったフリント式の100円ライターを

差し出した。

「使いかけでよけりゃ」

 筧は黙ってライターを受け取ると煙草の先に 炎を灯した。

 煙を吸い込みながら、何気なしにライターに

目をやる。

「なんだ?オリジナルか?」

 ライター本体に“Thanatos”とあり、店名と共に固定の電話番号もプリントされている。

「俺、ネットとかわかんないからアナログな

宣伝って事で」

 島川の笑みに愛らしさを感じ、筧は小さく

笑った。

「で、ダチは何やってる人?」

 島川は言いながら筧の目の前のグラスに

バーボンのストレートを注ぎ足した。

「ん?ネットに疎い潔でも聞いた事ねぇか?

JOYグルメってサイト」

 筧は大きく煙を吐き出してから答えた。

「ああ。美味い店教えてくれるってヤツだろ?

テレビで紹介されてんの見た事ある」

「そこの若き創業者。ビジネス誌なんかにも

出てるみてえだ」

「へえ。で、その羽振りのいいダチが何の用?」

「今すぐ家に来いってよ」

「何しに?」

 筧は面白くなさそうにグラスを一気に呷り、

島川に言うべきか一瞬戸惑った後に

口を開いた。

「金、借りててよ。どうせまたその催促だ」

 筧の言葉に島川が驚きの表情を浮かべる。

「初めて聞いた。幾ら借りてんの?」

「一千万」

 事も無げに言い、煙を大きく吸い込む筧に島川は更に驚く。

「一千万!?」

「驚くんじゃねえよ。商売が上手くいってりゃ、そっちも難なく返せたんだからよ」

 煙を大きく吐き出してから筧が言った。

「そっちも?」

 ”そっちも?”には答えず、筧は苦い表情で

歯軋りする。

「気前よく貸したくせに、今更ギャアギャア

喚きやがって」

 筧はグラスを掲げ、お代わりを要求した。

「大丈夫?」

 島川は心配そうにグラスに酒を注ぐ。

「ああ」

 筧は注ぎ足したばかりのグラスをまた一気に

呷ると煙草を灰皿に押し付け、立ち上がった。

「悪いな。せっかくの時間だってのに」

「気にしないで。早く戻ってきてくれよ」

 筧は島川が差し出した掌を優しく握り返した。

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