キャッチライト

綿貫 ソウ

第1章

第1話

 尾崎真宙おざきまひろは県境の橋から落ちて死んだ。


 転落事故、と警察が判断したのは、尾崎に死ぬ理由がなかったことと、彼の死体からアルコールが検出されたことが決め手らしい。つまり尾崎は飲酒をして、酩酊状態で橋を歩き、誤って転落したということだった。事件性もないらしく、尾崎が死んだ次の日には葬式が行われた。



 ————————————————————————


 穴が空く。

 ドリルを抜くと、鉄板に丸い空洞ができた。

 

「山田、それ直径違うんじゃない?」


 クラスメイトの神田が、保護メガネごしに鉄板の穴を見た。

 

「うん、やっぱ違う。これじゃネジ入れたとき隙間できちゃうぞ」

「あ……とりかえるの忘れてた。ありがとう神田」

「困ったら俺に任せろ。代わりにやってやるよ」

 

 神田はそういって親指をあげた。

 工業実習の時間だけ、彼は頼りになる。


『山田はただ諦めて、楽になりたいだけだよ。その言い訳に、才能なんていう適当な言葉を利用しているだけだ』


 実習室には鉄板を削る、耳障りな金属音が響いていた。

 クラスメイトたちは、みな真剣にドリルで穴を空けている。

 僕は鉄板を持ち上げて、大きく空きすぎた穴を見る。


『山田は写真とれよ』


 この穴は、どうやって埋めればいいのだろうか。

 考えている内に、チャイムがなって、三限目の授業が終わった。


  * * *


 作業着を脱ぐと、むっとした汗の匂いが鼻をついた。

 野球部の部室のような、男特有の匂い。


「山田、それ一枚ちょうだい」


 工業高校の教室はくさい。

 僕は隣の席の神田に、ひんやりとする制汗シートを渡す。自分のからだを拭いても、空気中にただよう匂いまでは消えない。それでも僕たちは、なんとかごまかしながら、この匂いの責任を誰かのせいにして日々をやりすごしている。


 制服に着がえて、疲れたからだを机に預けていると、教室の前のドアがあいた。顔をあげると、着がえをすませた女子たちが、手をうちわ代わりにパタパタさせて、教室に入ってくるのが見えた。たった四人の女子のクラスメイト。彼女たちはもう匂いになれているのか、特に反応することなく自席に戻っていく。


 その最後尾にいた福原ふくはら蒼生あおいが、最前列の僕の前を通っていく。久しぶりに登校してきた彼女の表情は、相変わらず陰鬱なものだった。一学期のころの明るい表情は、夏休みを過ぎてからは見ていない。背中までのびた長い黒髪が、最後まで視界の端にのこり、そして次の一歩で消えてしまった。


 声をかけるべきだっただろうか。

 そう思いながら、僕は目をとじる。最近、ねむりが浅いのか、昼に眠気がやってくる。

 でも、なんて声をかければよかったんだろう?

 今にも死んでしまいそうな彼女に、僕ができることなんて、きっとない。


 それに、彼女はなんとなく、僕を避けている節がある。以前、遊園地に行ったときも、どことなく気まずさがあった。それに、僕がなんとかしなければいけない義務なんてどこにもない。僕と彼女はただのクラスメイトでしかない。そのはずだ。


 言い訳を考えていると、段々と意識が離れていくのがわかった。でも、その意識をもういちど現実に引きもどす気力を、僕は持ち合わせていなかった。


「山田」


 僕は、夢を見ていた。蒼生と、そして夏休みに死んだ友人の。


「おいおきろ、授業はじめるぞ」


 教卓前の席で目覚めた僕を、先生は珍しそうに見ていた。


「実習のあとで疲れてるのも分かるけどな、こういうとこでしっかりしないと、来年、就職したときが大変だぞ」


 先生は僕から目を教室全体に向けて、言った。

 その言葉に返事をする生徒は、もちろんいなかった。


 就職。

 来年、就職。


 寝ぼけた頭が、カフェインを摂取したときのように明瞭になり、だんだんと夢から現実へとシフトしていく。

 号令がかけられ、起立礼を自動的に行い、授業がはじまる。


 引き出しを探って、教科書を探したがなかった。

 最近、こういうミスが多い。

 仕方なく先生に申告し、神田と席を近づける。


「ごめん、見せてくれ」

「あとでジュース一本な」

「へいへい」


 僕は返事をしながら、内心でため息をつく。

 同じ写真部だった神田とは、教科書の貸し借りは、ジュース一本という契約を結んでいる。もちろん神田が忘れたときは、神田が僕に一本おごるのだが、最近になって損失の方が多い。バイトもしていない僕にとって、百五十円は十分おおきな金額だった。


 あわせた机の境に教科書を置くと、神田が先生に聞こえない程度の声で僕に言った。


「ていうかおまえ、写真部の集まりこねーの? ラインで投票してないのあと翔太だけなんだけど」


 三年間やってきたの写真部の活動は、夏休み明けの最初の部会で、後輩たちから寄せ書きをもらい慎ましく終わった。慎ましく終わったのは、夏休み前、最後のコンテストで成績が残せなかったからだ。本当は最後の部会にも出たくなかったけれど、部長の責任として抜けるわけにはいかなかった。がんばれよ、と僕は後輩たちに言った。


 神田が言っているのは、いわば活動を終えた三年生だけで行う「お疲れ様会」だった。


「ごめん、ちょっと予定あっていけない」


 投票欄には、九月の残りの土日全てが選択肢としてあったけれど、全部に僕はバツをいれた。

 ほんとうは、予定なんて、特になかった。


「翔太が無理だったら予定ずらすけど」


 神田が心配そうに、僕を見た。


「いいよ。これからみんなも忙しくなるだろうし、僕ぬきでやってて」


 神田はなにか言いたげだったが、先生の視線を感じたのか、おとなしくペンを握った。

 僕も作業を進める。


 製図——簡単に言うと設計図を書く授業だ。

 長方形の図形を定規で描きながら、思う。


 ——僕は本当に、就職する気があるのだろうか。

 考えながら作業していると、描き間違いが起きる。自然と消しかすが机の上にたまっていく。


 ——こんなはずじゃなかった。


 一マスずれて描いた線を、消す。


 ——違う。


 伸ばし過ぎた線を、消す。


 ——本当はもっと


 力任せに消した用紙が、ぐしゃっと元の形を無くした。


 そのとき、ふいに窓から風がふいて、綿毛みたいな消しかすが、机から落ちていった。

 開け放たれた窓を見ると、まだ夏っぽさが残る青空を背景に、頬杖をついた蒼生が窓の外を見ていた。吸いこまれていきそうなほど青い空に、本当に吸いこまれてしまいそうに、彼女は見えた。

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