第5話 人生の最期は死
どんな人生を歩んでも人間は必ず死んで終わることになります。
そんなことは誰もが知っていることでしょうが、忘れていることが多いのではないでしょうか。
周りを見ていてもそう感じることは多いですね。
八十代の爺さんが金儲けに一生懸命だったりするのを見ると、どうせもうすぐ死ぬのになあって思ってしまいます。
死んだらお金なんていくらあっても意味ないですよ。
相続人は喜ぶかもしれませんが、場合によっては醜い相続争いの素になりますしね。
そんな風に考えると、別にそんなに頑張る必要なんてないんじゃないのって思えてきます。
なにかを成し遂げたいって気持ちは理解できます。
しかし、無理して我慢してやるのは違うと思いますね。
嫌な仕事を長年続けている人もいます。
そういう人って、その嫌な仕事をしている時間が人生の一部であることを忘れているのではないかと思います。
確かに生活をして行くために、お金は必要でしょう。
しかし、本当にそれだけのお金が必要なんでしょうか?
私は嫌な仕事をしてまで裕福な生活をしたいとは思わないですけどね。
よくよく考えたら平均レベルの生活でも、結構無駄なことってありますよ。
クルマを持っておく必要があるかなとか、こんな大きな家いるかなとか、わざわざ走るためにジムに通わないとダメかなとかですね。
冷静に考えたら、別に必要でもないのに、なんとなくお金を払って手に入れているものってありますよ。
それを買うために嫌な仕事をするなんておかしいと思います。やりたい仕事をやっていてお金が余っているのなら、それはそれで良いと思いますけどね。
その嫌な仕事をしている時間も、人生の一部なわけですからね。大して必要のないもの、もしくは別に欲しくはないけど、周りがみんな持っているからと買うものとか、そういうもののために人生の一部をささげるなんて馬鹿げているように感じます。
それで初めの話に戻りますけど、そういう風になってしまうのは、人生がいずれ終わるということを忘れているからなんじゃないかと思うわけです。
終わるとわかっていたら、無駄なことに時間を使うでしょうかね。嫌なことをしますかね。
私ならしないですよ。
死がいつ訪れるかわからないというのはありますが、絶対その時は来ます。
仮にその時が一週間後ってわかっても、嫌なことを我慢してする人っているでしょうか?
いないでしょう。
そして本当にあと一週間の命かもしれないのです。
実際、いつ死ぬかなんて誰にもわからないのです。
一週間後、交通事故で死ぬかもしれないし、突発的に脳梗塞でご臨終ってことも実際あるのです。
つまり、いつ来るかわからない死を意識して、どうすべきかを考えるとこれまでなんとなくやってきたことが、いかにつまらないことに時間を使ってきたのかと思えてくるでしょう。
そして、これからの生活も変わってくるかもしれません。
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