生きるのが楽になりたい人へ

散々人

第1話 生きる意味なんてない

 どうして生きているのだろうと思うことはないですか?

 これは、生まれてきた意味は? と変えても良いです。 

 私はこれまで考えてきましたが、 結局、得た結論は、生きるのに特に理由も意味はないということです。

 あえて言うのなら、生まれてきたから生きているというだけでしょうね。


「どうして生きるのか?」「生まれてきた理由は?」などと言うことに対して、宗教やスピリチュアルな人があれこれ言っています。しかし、あれをそのまま信じている人ってどれぐらいいるのでしょう?

 私はほとんどいないんじゃないかって思いますね。


 その手の世界で見かける解答は、「魂の成長のため」とかですね。

 じゃあ、魂ってなにってなりますし、仮に魂があったとしても、それの成長というのはどういうことなんでしょう?

 私にはわからないです。


 生まれてきたことに意味はあるのか?

 なんのために生きるのか?

 こういう疑問は「なにか生まれてきた意味はあるはずだ」とか「生きる意味は必ずある」という風に考えるから出る疑問です。

 そして多くの人がこういう疑問を持つでしょうし、こういう概念に囚われているように思います。

 私もそうでした。

 

 しかし、生まれてきた意味や生きる意味などを考えるから、逆に生きにくくなるように思いますね。

 というのは、意味があるという前提で物事を考えるものですから、どうしても日々の生活に意味を持たせようとしてしまうのです。

 そうなると、ダラダラネット視聴しているのは時間の無駄とか、漫画なんて役に立たないものを読む暇があったら新聞を読めとか、そういう発想になります。


 こういう発想って自分を律して頑張っているという自己満足は得られるかもしれませんが、同時に息苦しくなります。それに、そもそもネットを見るのも漫画を読むのも悪いことではありません。


 しかし、生きる意味とかの発想があると、どうしても日々成長しないといけないという気持ちになります。

 それによって、どうしても世間で良いとされることをやるべきという発想になるし、世間で悪いとか無駄とされていることは排除しようとしていまいます。


 子供なら親にそうされるでしょうし、大人だと自分でそういう概念に囚われて、「ああ、休日にずっとネット見てて無駄に過ごした」なんて夜になって自己嫌悪に陥ったりします。

 しかし、これっておかしな話で、他のことよりもネット視聴がしたかったんだから無駄ではないはずです。

 他に本当にしたいことがあったのなら、普通は絶対にそれをしますよね。誰かに言われなくても。


 こういうことは自分の生活を見直すと、あちこちにあります。

 しかし、こういう概念に囚われる根本の、生きる意味とか生まれてきた意味とかをないと考えれば、一気にすべてに意味はないということになるでしょう。

 そもそも意味がない人生をどう過ごそうが意味なんてないということですね。

 逆にすべてに意味がないとするのなら、自分の価値で好き勝手に意味をつけたらよいわけです。

 そうすると日々の生活が急に楽になるでしょう。


 アニメ好きならアニメを観ていいし、ゲーム好きならゲームをやっていいわけです。

 別にアニメを観ることやゲームをすることよりも、文学書を読んだり名画を鑑賞することが意味があるわけでも価値があるわけでもないです。

 それは妄想でしょう。

 社会が勝手に決めただけのことです。

 もちろん文学好きや名画鑑賞が好きならそれをすればよいわけですけどね。

 つまり、人生の意味とか目的なんてものは元々ないのだから、周りを気にせず、自分の本当にしたいことをすれば良いということですね。

 




 

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