第9話 再びのご対面

 オークの巨体が後ろ向きに倒れたのを受け、騒々しかった闘技場が一気にシンとした。


 巨大な両手から解放されても、全身はズキズキ傷んでいるが、これはざまあみろと思わずにはいられない。


 だが、立ち上がろうにもろくに力が入らず、途中で肩から床に突っ伏してしまう。


 さすがに致命傷を与えたとは思うが、背後で倒れているオークが気になった。


「おいおい、嘘だろ……」


 オークが真っ赤な目で俺を見ていた。


 命の輝きは消えておらず、のっそりと立ち上がる。それを見て、観客席が爆発したかのように再び騒ぎだした。


 負けイベントを経ての復活は、主人公陣営の特権だろうに。


 まあ、中の人は地球の社畜で、外見は元外道王妃な自分が主人公陣営とはとても思えないが。


 痛めつけられてご立腹なのか、吠えまくりのオークが両手を出して特攻してくる。


 飛びのいてかわすと、石で造られている舞台に頭から突っ込んだ。


 かなり痛そうだが、怒りのせいか痛みはあまり感じていない様子。真っ赤に輝く目をぎょろりと動かし、こちらの姿を確認するなり猛ダッシュしてくる。


 迫力が抜群すぎて失禁しそうだった。


「また追いかけっこかよ!」


 こちらはこちらで全身がズキズキ傷む。どうやらあばらが何本か折れている模様。当然、素早い動きをいつまでも続けられない。


 しかも豚頭のくせに学習能力が旺盛のようで、俺が回避するのを折り込み済みで突進をするようになってきた。


 単純なサイドステップでは翻弄しきれず、ズキリと走る瞬間的な激痛と絶え間なく続く鈍痛のコラボレーションによって、足が一時的に止まってしまう。


「マズいッ」


 叫んだ時にはもう、オークのショルダータックルを食らって吹っ飛んでいた。


 石畳をゴロゴロ転がり、あお向けで見る空はこんな時だというのに青く澄みきっていて、とても綺麗だった。


 大の字で指一本動かせない俺へ、豚男が足音を響かせて近づく。


 気力と体力を総動員してハンドガンを構え直し、敵の足を撃ち抜くが、筋肉の厚い場所はダメージに乏しく、数秒の足止めにしかならない。


「魔物に嬲られるとか絶対に嫌だ! これなら地球であのふたりにいじめられてた方がまだマシだったじゃないか!」


 這いずって逃げ、さっさと倒れてくれと銃弾を連発する。


 普通の人間ならとっくに息絶えている猛攻にも、魔物である豚男は耐えて一歩ずつ距離を詰めてくる。


 いよいよ過去一番に盛り上がる観客席。


 すぐ近くまで迫ったオークは俺を見下ろし、手で握り潰そうとするのではなく、おもいきり蹴り上げた。


 細い体が宙に舞い、浮遊感に包まれて夢か現かわからなくなった直後、破壊されまくりの舞台に落下した。


 声すら上げられない激痛にのたうち、情けなく涙を流す姿をギャラリーが見つめる。興奮の声や嘲笑が耳に届き、悔しさに唇を噛む。


 必然的に距離はとれたが、短足であっても身長がある分、一歩がでかいオークならば数秒もせずに埋められる。


(もう、だめだ……)


 反撃する体力も気力も失った瞬間、俺の視界が唐突に切り替わった。


「な、なんだ!?」


 声が出る。痛みを感じない。


 そして、空中をふよふよ漂う感覚には覚えがあった。


「まさか……」


 急激に全身を引っ張られ、次に見たのは煌びやかな店の中だった。


「愛理さん、加奈さんが、我らのエース、ベアトをご指名です!」


 キラキラのタキシートを着た二十代中頃の男が、片手で赤い絨毯の敷かれた通路を示すと、奥から胸もとを露わにしたスーツ姿の俺が現れた。


 なんというか……ホストだな、これ。


 なにがどうなっているのか、あの外道元王妃様は俺になった新たな人生において、ホストに転職してしまったようだ。


「今夜もきたのか、仕方のない奴隷どもだな」


 男女平等が叫ばれる世の中で、女性を躊躇なく奴隷呼ばわり。自分も元女性なのに、冷たい目で見下ろす姿は、外見が俺なのに外道王妃様っぽさが全開。


 奴隷扱いされた方も、嬉しそうに瞳を蕩けさせている。


「……なんか、言葉がないな」


 中島愛理と倉橋加奈は横乳や背中、果ては尻の割れ目が半ばまで見えている煽情的な格好をしている。これ、あれだ、童貞をなんちゃら的な服だ。


 なので中身が童貞なおっさんな俺にぶっ刺さりまくりだ。ラブラブ大好き人間ではあるが、社畜時代にあの格好で踏まれていたら隷属していたかもしれない。


『む? そなた、またここにきたのか?』


 見慣れた俺の顔が、ふよふよ漂い中の俺を捉えた。


「すみません。でも、普通に会話して大丈夫なんですか?」


『問題ない。そなたとは脳内で会話をしておる』


 確かに俺ことベアトリーチェの口は動いていないし、若干声がくぐもっているような感じもする。


「立っているのも疲れたが、今宵は満員。この場に座るしかないが、椅子がないな。困ったものだ」


 ベアトリーチェが大仰に溜息をつくと、愛理と加奈が先を争ってステージみたいに一段高い場所で四つん這いになった。


 なんてことだ。家で通い妻みたいな姿を見せられてはいたが、外見は小汚い……小汚い? なんか俺、ちょい悪オヤジ風で格好よくなってね?


 髪はオールバックでまとめられ、剥き出しの胸板には脂肪ではなく筋肉がモリモリ。全身にはシャープさが宿り、脚まで長く見える。


 そんな俺の体が、店内で盛り上がる客や他のホストが見守る前で、加奈の背中にどっしり座った。しかも尻を撫でるおまけ付きだ。


 なにあれ。超うらやましい。変わってほしいんですけど。


『フッ、それはできぬな』


 鼓膜を揺らすというよりは、頭に響く感じでベアトリーチェの……実際には俺の声が聞こえる。


 片側の頬のみで笑みを作り、元外道王妃は愛理に背後で膝立ちを命じると、背もたれ代わりにして、豊かな二つのふくらみに後頭部を埋めた。


 なにあれ。超うらやましい。変わってほしいんですけど。


 さっきと寸分違わぬ感想を抱くのも当然じゃないか。全童貞が夢見ているような光景が、目の前で繰り広げられているんだぞ。


『残念ながら神の力をもってしても、完全に肉体を離れた魂を元へ戻すことは叶わぬ。わらわはそなたとして、そなたはわらわとして生きていくより他はない』


 姿形は俺のはずなのだが、中にベアトリーチェが入ったことでシェイプアップを果たして自信がみなぎり、ほとんど別人みたいな印象を受ける。


「でも、あまりに環境が違いすぎませんかね」


 思わず愚痴みたいなものを呟くと、元外道王妃が鼻で笑った。


『環境など、自分の力でどうとでも変えてゆけばよかろう。少なくとも、わらわはそうしておるぞ』


「それでホストに転職したんですか?」


『これは面白そうだったがゆえのバイトよ。日中はあの会社へ勤務しておるぞ。もっとも一日で半年分の営業成績を叩きだして以降、社長と専務はわらわの肩揉み係になっておるがな』


 マジかよ。パねえな、さすが元王族。


「……って、そういえばそちらはチート能力持ちじゃないですか」


『フッ、言い訳とは見苦しいぞ』


「言い訳じゃなくて純然たる事実だと思うのですが」


 調子に乗りまくりだったベアトリーチェが、つまらなさそうに鼻を鳴らした。


『そなたはそのような性格であるから、これらの女どもに下に見られておったのだ。新たな人生を歩むことになった以上、少しは反省して改めるがよい』


「なら、俺にもチート能力をください」


 一理あるのかもしれないが、こちらはこちらで引き下がれないのだ。


『フン、また魂のみでこちら側へきておるのだ。そうであろうな』


 またも面白くなさそうな外道元王妃様。しかし、なにやらこちらの心のうちがだだ漏れのような気がするのはどういうことか。


『魂のみのそなたが口で他者と会話できるはずあるまい。わらわ同様に脳内で会話をしておるのだ。不埒な呼称も筒抜けだぞ。誰が元外道王妃か』


「う……」


 俺がギクリとしていると、ベアトリーチェが大きなため息をついた。


『まあ、よい。それで此度はどうしてこちら側へくることになった? 宮中での権力争いに負けて毒殺でもされたか?』


「いえ、闘技場でオークと戦闘中で、成人指定展開になる寸前です」


『……は?』


 ポカンとする元王妃様。これが本来の姿であれば可愛いと思ったのかもしれないが、ビフォーアフターされているとはいえ、元が俺なのでちっとも可愛くない。


『待て待て。闘技場というのはガーディシュのマルスにあるやつか? なにがどうなってそこで戦っておるのだ、そなたは』


 そこで元夫に娼館送りされて以降の展開を語っていくと、存外に面白かったらしく、元王妃様は途中で腹を抱えて笑いだした。


 会話は脳内でも体は現実にあるので、騒ぎになるかと思いきや、ベアトリーチェは楽しくて笑っていると、店内にいる誰もが思ったみたいだった。


 それにしても、椅子と背もたれ代わりにされているふたりは、どうしてあんなに幸せそうなのだろうか……って、チート能力のせいだよな、やっぱり。


 同情はまったくできないが、ざまあしてやったという爽快感もない。やはり元の体に戻りたいと思うが、できない俺は向こうに帰ればオークと再会予定だ。


『クックック、いや、すまぬ。なかなかに奇想天外な人生を歩んでおるではないか。環境を変えられぬ者などと侮って悪かった。前言を撤回してやろう』


「ありがとうございます? で、いいんですかね?」

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