1話 星の居場所


 狭い静かな部屋の中で、かしっかしっとペンが音を奏でる。


 少女は部屋の中で本と向き合っている。


「……みゅにゅみゅにゅ」


 リブイン王国。様々な種族がいるが、この王国は人間が建国した人間のための王国だ。


 少女はこの王国の王宮、外部には知られていない秘密の場所。そこにある狭い部屋で暮らしている。


「……みゅぅ。終わったの」


 少女はペンを机に置き、「むーー」と伸びをした。


 伸びてから、本を二冊閉じる。一冊は、古く読めなくなった本。もう一冊は、少女が内容を復元した本。


 少女はこの国のために、毎日、ここで本の復元をしている。


 毎日毎日、同じ日々の繰り返し。一人で本の復元をする日々の。


 いつかは、一度も会った事のない婚約者と、この国の国王に愛される。そう信じて。


「ふにゅ、明日も頑張るの」


 少女は一人、そう意気込んだ。


 椅子から立ち、少女は机と椅子以外に置かれている唯一の家具であるソファに移動した。


「おやすみ……みゅ」


 少女は、硬いソファで寝転んで、眠った。


      **********


 翌日、少女は数日に一度の散歩日だ。


 人と会う事はできず、決められた場所以外は行く事ができないが、少女の楽しみだ。


 少女は扉を開けて、散歩道まで向かった。


「みゅみゅみゅーん」


 散歩道は少女のために作られた特別な場所。そこには、少女が好きな花が咲いている。


「今日も元気なの」


 誰も手入れをしていないが、ここの花々は、一輪たりとも枯れていない。

 少女は、それを見ただけで満足している。


「みゅ?」


 少女は身体に違和感を覚えた。


 魔力疾患。ここへ来てすぐ、少女はそう診断されている。


 それから、少女は、定期的に薬を飲んでいるが、こうして発作が出てしまう事がある。


「くすくす」


 少女は、外へ出る時は必ず持って行く薬の瓶を取り出した。


「……にゃい」


 だが、瓶の中に薬が入っていない。


「みゅぅ」


 予備の薬瓶は持っていない。今から急いで戻れば、発作が酷くなる前に戻る事ができるかもしれないと考えたが、その時間はなかった。


「ふにゃ」


 突然、全身の力が抜けて立つ事ができなくなった。その場に座り込む。


「やっと見つけた」

「だ……れ?」


 ここは少女以外は来れない場所。だが、幻聴でも幻覚でもない。確かにそこに人がいた。


 顔を黒いベールで隠している。怪しさは感じず、安心感と懐かしさがある。


「けほっ、けほっ」


 少女が咳き込む。抑えた手と服に、真っ赤な血のようなものがべっとりと付いている。


「……大丈夫だから、落ち着いて」


 薄れる意識の中、少女はその言葉を聞いた。


      **********


「……」

「この子に今度は何をする気じゃ」

「ヴィー、久々だね。何もしないよ。エレは……ミディは僕の大事な子だから」

「前回、あんな事しよって、その言葉を信じる事ができるとでも?」

「ミディリシェルが星の御巫の自覚を持たなければ何もしない」


 意識を失っている少女、ミディリシェルの隣に白いクマのぬいぐるみが現れ、少年に警戒心をむき出しにしている。


 少年はベール越しで、ミディリシェルの額に口付けをした。


「この子を守る事ができるほどではないけど、加護を与えておいた。これで今は信じてもらえないかな?」

「……あんな事がなければ信じていた」

「こっちも仕事なんだ。それでそう言われても」

「主、誰じゃ?わしの知るフォルは」

「それに答える必要はない。それが今の僕に言える事かな」

「……預けるのは良い。じゃが、信用はしない」


 そう言って、ぬいぐるみは消えた。


「それで良いよ」


 その声は誰にも届かぬまま、どこかへ消えた。


       **********


 どの世界とも繋がり、どの世界にも属さない、天の箱庭エクリシェ。


 少年は、ミディリシェルをエクリシェ内の使っていない部屋へ連れてきた。


「フォル、帰ってきたなら……なんで人間の姫が」

「そういえば、ゼノンは人間と女の人がきらいだったね。この子は、大事な証人なんだ。丁重に扱ってあげて。君にとっても、大事な子だから」

「それなら、フォルが世話すれば良いだろ」

「暇な時はやるけど、仕事でできない時があるから」

「その時くらいは」


 部屋を訪れた少年は、心底嫌そうな表情を浮かべながらも了承した。


「じゃあ、後よろしく。今から薬取り行くから」

「ああ」


 ミディリシェルを連れてきた、ベールを被った少年が、薬を取りに部屋を出た。


      **********


 部屋に残された少年は、ミディリシェルの手に付いている血のように赤いものに興味を示した。


 少年は、それが漂わせている匂いを嗅ぐと、欲しくて堪らなくなる。


 そっとミディリシェルの手を持ち、ぺろっと舐めた。


「……」


 その味が気に入った、少年はもうひと舐めだけと決め、もう一度ぺろっと舐めた。


「ふみゅ?」

「……」


 ミディリシェルが気がつくと、少年は、ミディリシェルの手を何事もなかったかのように離した。


「だぁれ?」

「お前みたいなお姫様には、縁のない人種だ」

「ミディ……私を攫う人達はみんな縁のない人だよ」

「だろうな。こんな世間知らずそうなお姫様を攫うなんて、金目当てだろうからな」

「そうだよ。貴方もじゃないの?お金はなんでも買えるから、欲しいんでしょ?お金があれば、愛だって買えるから」

「そんなわけねぇだろ!世間知らずで、贅沢なお姫様はそうだろうと、そんなもん、金だけで買えるわけねぇだろ!」


 少年が声を荒げると、ミディリシェルはビクッと身体を震わせた。


「ゼノン、仲良くなれとまでは言わないから、せめて、怖がらせないでくれない?」

「……」


 薬を取りに行っていた少年が、部屋に戻ってきた。


 少年はベールを外して、にこやかに薬をミディリシェルに渡した。


「これ、魔力疾患に効く薬。特効薬ではないけど、良くなると思うよ?」

「……何を要求するの」

「そんな警戒しなくても大丈夫だよ。何も酷い事なんてしないから」


 ミディリシェルは恐る恐る、少年から緑色の液体の入った小瓶を受け取った。


「……」


 ミディリシェルは、顔を顰めながら、小瓶を傾けて飲むそぶりを見せては、戻して飲まない。それを何度も繰り返している。


「お姫様には気に入らないかもしれねぇが、少しでも良くしたいなら飲んだらどうなんだ?」

「ゼノン、そんなに冷たくしない。もっと優しく」

「……」

「ごめん。名乗りもしない相手から貰うものなんて信用できないよね。僕はフォル。こっちはゼノン。僕は、君が少しでも楽になるようにって思ってこれを用意したんだ。飲んで欲しいな?」


 フォルと名乗った少年は友好的にしているが、ミディリシェルは小瓶を傾けては戻す行為を止めない。


「……みゅぅ……にゅぅ」

「一人になったら飲んでくれるかな?」

「……みゅぅ……にゅぅ」

「これ苦そうだからやだとでも思ってんじゃね?」

「……苦いには苦いかな?でも、少ししか入ってないから」

「……」

「……飲まないか。とりあえず、自分から飲みたくなったら飲めば良いよ。それまでは、他の方法を試すから」

「みゅ」


 ミディリシェルはこくりと頷いた。ゼノンは適当に言っていたが、本当に苦そうで飲みたくないようだ。


「今日は発作の後で疲れているだろうから、休んで。明日また来るから、その時にここの事とか、話せる事は話すから」

「みゅ」

「それと、何かあったら遠慮なく言って。僕とゼノンは両隣の部屋だから。来れなくても、机に置いてある緊急用の連絡魔法具を使えばすぐに来れる時は来るから」


 連絡魔法具は誰もが持っているほど普及している魔法具。


 一昔前の魔法具は使用時に魔力を道具に与えなければならなかったが、現在の魔法具はそれが必要ない。


 魔力を使えなかったとしても呼べるのであれば、何も心配はいらないだろう。


「今日は俺の方に繋げとく。お姫様が満足するもてなしとかはできねぇが、何かあれば夜中でも呼んでくれて良い」

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」


 そう言って、ゼノンとフォルは自室へ戻った。


 ミディリシェルを一人にして後悔する事になるとは知らずに。

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