四十八、論理くん、勉強会を続ける

金曜日の勉強会は、沢田くん家で行う。学校をみんなで出るとき、沢田くんは嬉しそうな顔をした。

「店を見ていってくれ。池田のおかげだよ」

その言葉の意味を私は図りかねたけれど、沢田くんの家に着いて、なんのことかわかった。かつて、黒ずんだ灰色だった壁が、真っ白に塗り直されている。前、その壁には、『八百輝』と書いてあったものだけれど、それも、英語の筆記体で、『Food Salon Yaoteru』に、改められている。店全体も、昔の八百屋さんという感じだったのが、今では、白を基調とした小ぎれいなたたずまいになり、高級感を出している。お客さんも、前は全然いなかったのに、今日は五人もいた。

「沢田くん、すごいじゃん!前と全然違う!」

「すげーだろ。池田にああ言われたあと、家中で企画して、こうしたんだぜ。野菜も、あちこちの産地から、スーパーでは真似のできないものを集めてある」

沢田くんが、心底嬉しそうにそう言う。驚いた。私の提案でこんなに変わってくれて、なんだか鼻が高かった。そこに、忙しそうにしていたお父さんが、私たちに気付いてくれる。

「いやあ、文香ちゃんもみんなも来てくれたか。どうだ、生まれ変わっただろ。リニューアルしてから、売り上げもよく伸びた。文香ちゃんには頭が上がらない。あ、いらっしゃい!」

お父さんは、新しく来たお客さんのところへ行った。お父さんにも褒められて、嬉し恥ずかし。お店の三分の一くらいのスペースに、テーブルが並べられていて、そこでもお客さんが三人いて、お茶を飲んでいた。

「沢田くん、あれは?」

「ああ、あれか。あれは、『Yaoteru』の、喫茶部だ。優衣のところを真似して作ってみた。うちがリニューアルするって話を、親父の友だちの、茶商の人が聞きつけてくれて、それならお茶をやらないかってことで、九州の方のいいお茶を安く下ろしてくれるようになったんだ。コーヒーを出す喫茶店は珍しくないが、日本茶を出す喫茶店はそんなにないから、話題になってる」

テストで学年一位になったような顔をする沢田くん。すごい。本当に、沢田くん家のお店は生まれ変わったんだ。

「これでもうあのスーパーに放火することはないわね。ありがとうねぶんちゃん、私からもお礼を言うわ」

「いや、私は提案しただけだよ。ここまでできたのは、沢田くんのご両親と沢田くんの力だよ。私も嬉しい!」

私たちは、繁盛する店を通り抜けて、沢田くんの部屋に入った。例のギターとアンプが、私たちの目を引く。あのとき、喧嘩をするご両親への反抗から、沢田くんが弾き尽くしたギター。そして、優衣へのラブソングを歌ったギター。

「このギターもな、あんまり大音量では弾かなくなったんだ。せっかく店が盛り上がろうとしてるんだから、雑音出したら悪いだろ」

「沢田も、店も、成長したな」

「そうだな論理。俺も、親父やお袋に協力したい」

沢田くんは力強くそう言った。その目には、希望の光が見えた。よかったね、沢田くん。そして、勉強会が始まる。


土曜日は、学校が終わって、秀馬くんの家で勉強会。

「坂口の家に行くのは初めてだから楽しみだな」

沢田くんは軽快にそう言う。そっか、優衣と沢田くんは秀馬くん家に行くのは初めてなのか。私も、秀馬くん家の診療所には入ったことがあるけれど、秀馬くん家に行くのは初めてだったからワクワクだった。歩いているうちに、秀馬くんの家が見えてきた。白色の大きなお家。煙突も付いていて、やっぱりお金持ちだってことがわかる。家と診療所は繋がっているみたいだった。

「さすが、医者の家。大きいわね。ちなみにお父さんの年収はいくら〜?とか言って」

優衣が小悪魔の顔を見せる。

「知らないが、結構稼いでるんじゃないかと思う。自分で言うのもなんだが、俺の父さんは、巷じゃ有名な内科医だ。いつも忙しそうで、睡眠時間は毎日四時間しか取ってない。医者の不養生にならなければいいといつも思っている」

「四時間?それは短いな…。でも、坂口医院って有名なのは知ってる。じゃあ、秀馬は将来お父さんのあとを継ぐのか?」

「ああ論理、そのつもりだ。俺の目標は父さんだからな」

秀馬くんが白衣を着て医者をやってるところを想像してみる。かっこいいかも…。

「そういえば、論理のお父さんも有名な表具師だけど、あとは継がなくていいの?」

「継ぎたいとは思っている。だが本当に継ぐのなら、俺は中学で学校を辞めて、父か、他の表具師に弟子入りして修行しなければいけない」

「そうなんだ…それじゃ、一緒の高校には行けないね」

「だから、その選択肢はない。それに、中学を出た段階で、自分の進路が早々と固定されるのにも、納得がいかない」

私は、論理のその言葉を聞いて安心した。確かに、私たちにはもっと可能性があるのに、中学を出ただけで進路が決まってしまったら嫌だよね。

「それで坂口、お母さんは何をやってるんだ?」

沢田くんが、興味深げに秀馬くんに聞く。

「母さんは、尾風大学病院で内科医を勤めている」

「へえ、両親とも内科医なのか。くう〜!頭の作りが違うわけだぜ!」

「そうよ、義久は私よりもバカだもんね」

「なに!優衣だって俺とどっこいどっこいじゃねえか!」

「そんなことないわよ!私はまだ本気を出していないだけよ」

二人は楽しそうに睨み合っている。この二人もお似合いなカップルだよね。まあ、私たちには負けるけど!そうこうしているうちに、秀馬くん家の玄関の前まで来た。

「さあ、入ってくれ。ただいま」

私たちは、秀馬くんに連れられて家に入った。すると、秀馬くんのお母さんが出迎えてくれた。わあ、初めて見たけど美人な人!秀馬くんのお父さんもなかなか髭が似合うかっこいいジェントルマンだから、お似合いだなあ。

「おかえり。それにみんなもよく来てくれたね。さあ、入って。お茶を用意してあるよ」

私たちはリビングに行く。リビングはとても広くて、吹き抜けの天井には、シーリングファンが付いている。暖炉もあって、火がパチパチと音を立てながら燃えている。窓も大きく、その向こうにはベランダがあった。

「す…すごい豪邸…」

優衣は、そう言って目をパチパチさせる。沢田くんも、言葉無しに驚いている。私も、秀馬くん家がこんなに豪華だとは思わなかった。

「まあまあ、みんなそんなところに立ってないで座りなさい」

ソファーに座っていた秀馬くんのお父さんの声で、私たちは、ぎこちなく炬燵に座った。

「す…すごいんだね、秀馬くん家」

私は、炬燵の温もりを覚えながら秀馬くんに言う。

「まあ、わりと自慢できる家だとは思う」

そのうち、秀馬くんのお母さんが紅茶とお菓子を持ってきてくれて、私たちは秀馬くんのご両親に自己紹介をした。とても穏やかで優しそうなご両親。論理のお母さんが目に浮かぶ。もし、私が秀馬くんと付き合っていたら…。ああ、いけない!そんなこと考えちゃダメでしょ私!

「あれ、彩葉(いろは)は?」

秀馬くんが、お父さんに聞く。いろは?誰のことだろう?

「ああ、彩葉なら友だちと遊びに行ったよ」

「そうか。彩葉のこともみんなに紹介したかったんだけどな。あ、ちなみに俺の妹な」

妹さんか。きっとかわいいんだろうな。

「さて、そろそろ勉強するか。俺の部屋に案内するぞ」

私たちが紅茶を飲み終わったところで、秀馬くんはそう言った。私たちは、秀馬くんの部屋に向かい、部屋に入る。秀馬くんの部屋は、まあまあ広くて、男の子の部屋という感じがした。あと、なんだか秀馬くんの匂いがして、私はちょっとだけドキドキした。それから、私たちはいつものように勉強を始め、秀馬くんが私たち専門の先生になって、各々に教えていってくれる。秀馬くんのおかげで、期末試験は高得点が取れるような気がした。と、そのとき、

「ピンポーン」

玄関のチャイムが鳴った。私たちは特に気にするそぶりも見せずに勉強を進めていたけれど、部屋の外で足音が聞こえたあと、お母さんと、なんと佐伯さんが、部屋に入ってきた。

「遥!どうしてここに来た!」

秀馬くんが驚く。秀馬くんにそう言われて、佐伯さんは、塩をかけられたナメクジになった。

「秀馬、そんな言い方ないでしょ。せっかく遥ちゃんが来てくれたんだから。さ、遥ちゃん、入って」

「ちょっと待って母さん。俺たちは今勉強会してるんだ」

「じゃあ一緒に勉強すればいいじゃない」

「………………」

苦渋の表情を浮かべて黙りこくる秀馬くんをよそに、お母さんは、さっさと佐伯さんを部屋に導き入れて、いなくなってしまった。たたずむ佐伯さん。どうしていいかわからず、顔を見合わせる私たち。

「お前、何故来た」

秀馬くんの鋭い問いかけに、佐伯さんは、泣きそうな顔をする。

「何故って…だって…いつも来てるじゃん…」

「いつも来てる?振られた元カノにしては大したことね」

優衣が、敵意も露わにそう言う。

「うるせえ‼︎てめぇに突っ込まれる筋合いはねえんだよ!…ねえ秀馬、今日もあたし、秀馬と一緒にいたいの…」

相変わらず佐伯さんは、私たちに対する態度と、秀馬くんに対する態度が百八十度違う。でもアニメ声の声色までは変えられない。それが聞いていてちょっと笑える。

「見てわかる通り、俺たちは勉強をしている。邪魔立てしてほしくない。帰れ」

「じゃああたしも一緒に勉強する!」

佐伯さんはそう言ってテーブルに駆け寄ると、無理矢理秀馬くんの隣に座り込んでしまう。

「おい、どうする秀馬」

「どうもこうも論理、邪魔なだけだ」

「そうだよ。どうして私たちが佐伯なんかと一緒に勉強しなきゃいけないの。ノートが佐伯菌で埋め尽くされるわ」

「黙れ向坂‼︎、いつもいつもいい気になりやがって!…秀馬、あたしも一緒に勉強していいよね?あたしも少しは勉強できるから、役には立つよ」

実は、佐伯さんはこう見えて頭がいい。いつも、学年首位の秀馬くんのあとに続いて、二位か三位に入っている。

「ああそうか。それならもういい。適当にその辺にいろ。絶対邪魔するなよ」

秀馬くんは、うんざりした調子でそう言った。

「わーい!」

こうして、六人で勉強会が始まった。


国語でちょっとわからないところがあった。見ると、論理は、沢田くんを教えているし、秀馬くんは、優衣にかかりきりといった感じだ。佐伯さんは、秀馬くんのベッドで寝ている。私は思い切って、佐伯さんに声をかけた。

「佐伯さん、ちょっと教えて欲しいところがあるんだけど…」

「んあ?なんであたしがてめぇなんぞに勉強を教えて差し上げなきゃいけねえんだ。自分で考えろ。しっしっ!」

手で振り払われてしまった。だよねぇ…。そこに、秀馬くんの厳しい声が飛んだ。

「遥。お前が勉強会に出たいと言うんだからここに置いてやってるんだ。文香に勉強を教えないと言うのなら、今すぐ出て行け」

佐伯さんは、慌てて起き上がった。

「嫌だよ秀馬…あたし、秀馬の匂い嗅いでたいよぉ…」

「どうしても文香に勉強を教えないと言うのなら、お前はもうこの家に出入り禁止だ。そして俺もお前を無視する」

「やだっ‼︎」

佐伯さんはベッドから飛び上がって、床を這いずり回り、ようように秀馬くんにしがみついた。

「嫌っ!秀馬、それだけは嫌!犬にもなります、豚にもなります!だから秀馬のおそばに置いて下さい!」

この卑屈(ドM?)な台詞と、甘ったるいベビーボイスが妙に合う。私エロアニメって見たことないけど、きっと佐伯さんみたいな声の声優さんが声当ててるんだよね。唖然としつつ、佐伯さんの奇行を眺める私たち。秀馬くんが、鬱陶しげに佐伯さんの腕を振り払う。

「犬になる必要も豚になる必要もない。お前はただ、文香を教えればいいんだ」

「はい、わかりました、ご主人様」

佐伯さんは、論理たちの好奇の視線を浴びながら、立ち膝で私のもとに歩み寄ってきた。

「で、どこがわからねぇんだ」

佐伯さんのこの変わりように、私はとてもついていけない。

「こ、この…ね」

私はまだおっかなびっくりだった。

「傍線部③の理由がわからないんだけど…」

「馬鹿野郎‼︎」

「ひっ!」

いきなり佐伯さんに怒鳴られた。怖いよぉ…。

「理由探しなんて、国語の基礎じゃねえか!なにやってんだ!」

「ご、ごめんなさい…でも、どうしても見つからないの…」

佐伯さんが私を睨む。ああ、こんなんだったら佐伯さんに頼まなければよかった…論理ぃ…。すると、また秀馬くんが佐伯さんを叱る。

「おい遥!なに威張り散らしてるんだ。教えろと言っただろ。怒鳴れとは言ってない。いい加減にしろ」

「あ、ご、ごめんなさい…秀馬の言うことならなんでも聞きます」

佐伯さんは、私に顔を向ける。秀馬くんに向けた顔とは、一瞬で変わるその表情だった。

「てめぇもうぜえな。理由なんてものはな、傍線部より前にあるって決まってんだよ。そんなこともわからねえのか」

「あ、わ、わからなかった…」

「なら③より前のところを探しな!」

私は、必死に③より前の部分を探した。でも、隣の佐伯さんの威圧感がすごくて、頭の中が真っ白になってしまう。それでもどこか指し示さなくちゃいけないと思って、私は、それと思われるところを指で差した。

「はあ…」

佐伯さんはため息をつくと、しょうがねえなという顔をした。

「あのな、指示語を使ってんだよ。傍線部③の前に、指示語が見えねぇか?どこか指差してみろ」

「あった。十四行目の、『それ』」

「そうだ。その、『それ』が、③の、直接の理由になってる。なら、『それ』が受けている所を探せば、それが理由だ」

「うーんと…、あ!見つかった!これだよ、三行目の、『被虐を好む傾向を持つ人間は、自分の価値をも知らないのであるから』だ!」

佐伯さんは、少し顔を緩めてくれた。

「よし、それで正解だな。理由探しは、こうやって指示語が絡んでいる場合がある。注意するんだな」

「佐伯さん、やっぱり勉強できるんだね!もとから頭良いの?」

私は尊敬した面持ちでそう言ったのに、佐伯さんは、陰りを見せてうつむいてしまった。

「…別に」

そう小さくつぶやくと、佐伯さんは、また秀馬くんのベッドに戻っていった。どうしたんだろ、佐伯さん…。


勉強会が終わると、明日はどうするかという話になった。

「ねえねえ、またこの前の銀水みたいに、どっかの図書館に行って勉強しない?」

優衣がそう誘うと、沢田くんも乗り気の様子だ。

「お、いいな、それ!今度はどこ行く?」

「論理たちはどこに行ったことがあるんだ?」

秀馬くんにそう聞かれて、私たちが答えようとしたのを、遮るように佐伯さんが口を挟んだ。

「ちょっと待ってよ!明日は秀馬と二人きりでいたいよ!」

佐伯さん、元カノなのに執念深いな…。甘粘っこいその声にふさわしい。

「そんな意志も予定もない。お前は家にいろ」

「そんな…!」

まだ何か言いかける佐伯さんを抑えて、私たちは話を進める。

「いろんなところに行ったけど、三条地の図書館とかいいんじゃないかな。行きは急行以下で安く行って、帰りは時間が押したら、特急で帰ってくるという手もある。館内も整っていて勉強しやすい」

「そうか、じゃあ、行ってみるか」

と、秀馬くんが言うと、佐伯さんが黙っていなかった。

「そんな!秀馬、こんなやつらと三条地とかどっかに行っちゃうの?やだよそんなの!やだやだやだ!」

私が幼い頃でも、こんな駄々をこねたことはなかったと思う。

「ともかく」

秀馬くんは、佐伯さんを完全に無視していた。

「じゃあ明日は、何時にどこで待ち合わせる?」

「じゃあ、十一時にカカちゃん人形の下で!みんな、早お昼済ましてきてね!」

優衣の一声で、明日の予定が決まった。そして私たちは、まだ佐伯さんがいる秀馬くんの家をあとにした。

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