第3話 現在

 「あの時、『助けたのは私よ』って言ったら人生変わったかもしれないのに。あの傷だって証拠になったんだし。ほんと、あんたってお人好しだよ」

 いつまでも昔の事を掘り返されるのが癪に触って、私はコップの水を飲み干して口を開いた。

「綾香はかぐや姫みたいだよね。男の人に無理難題を出して月に帰ってしまうって言う」

「でもさ、男たちが持って来たものって全部偽物だったわけでしょ」

 所詮、そんな男はごめんとばかりに綾香は顔を顰めた。

「まぁ、そうだけど。もしも本物だったら、かぐや姫は月に帰らずに結婚していたのかなぁ」

 素朴な疑問を口に出してみる。

「あたしがかぐや姫なら、本物を持って月に帰るわ」

 彼女らしい答えだった。


「で、どうなの最近、気になる彼とは」

 にやにやしながら綾香が私を指さす。

 気になる彼と言うのは大学で最近見かけた彼の事。名前は設楽したらさん。

「なかなかきっかけが掴めなくて。見かけたら挨拶くらいはかわすけどね」

 曖昧な笑顔を浮かべて答えた。


 設楽さんとは大学の講義中、消しゴムの貸し借りをしたのがきっかけで時々言葉を交わすようになった。彼は笑顔が素敵で、落ち着いた感じの優しい人だ。

 でも、もう私の大学生活が薔薇色になるとは思わなかった。

「設楽さん、なぜか休みがちで、あまり見かけないんだ。だから、会って一言でも話せれば満足かなとは思うんだけど」

 自嘲気味に言った。多くは望まず、その日、挨拶ができただけでも満足だといつも自分に言い聞かせている。

「あのさぁ、そんなこと言ってたら一生彼氏なんて出来ないよ。あんたは地味なんだし、自力で頑張るしかないよ」

 綾香はきっぱりと言った。きっぱりと言われすぎて返す言葉もなかった。

 

 私は綾香の言葉が悔しくて『自力』で設楽さんに近づくことにした。講義の時に彼を見つけると隣に座って、積極的に話しかけた。

 その甲斐があって、何度か会話するうちに電話番号を交換できることになった。とはいってもまだ苗字しか知らない。彼はSNSをやっていないのだと言う。ほとんど使っていないメールアドレスと電話番号を交換して、時々やり取りをする仲になった。

 やりとりの内容は季節の挨拶や、当たり障りのない内容だったが、今まで男の人と交際した経験のない私にとっては、新鮮だった。


 それでも不安な事はあった。

 設楽さんは私と同じ学部の学生なのに、取っている授業が違っているのだ。講義で会えないことが多かった。そして、彼はアルバイトが忙しいのか、講義を休むこともしばしばあった。

 こちらから、さりげなく疑問点を聞いてはみるが、彼の返事はいつも曖昧だった。どんなアルバイトをして、何の講義を選択しているのかさえ、教えてはくれなかった。それでも、大学の構内でばったり会ったりすると、彼の方から笑顔で話しかけてきてくれた。

 彼と話をするのは楽しかった。もしかしたら彼女がいるかもしれないと思いつつも、怖くて聞けなかった。この関係が壊れるのが怖くて、多くを望んじゃいけないと、自分に言い聞かせていた。


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