第2話 隣人が怒鳴り込んできた

「ドスン、ドスン、ドンドン」


 俺の朝はいつもアザラシみたいな体型のおばさんが韓国だか、中国だかのアイドルの曲に合わせたダンスの音で眼が覚める。


 最初は煩わしく感じていたものの、今では止まらない目覚まし時計のように思っていて決まってこの音で起きる。


 俺は大抵のことは寝たら忘れてしまう性格なので、昨日の事などすっかり忘れ、今日も平凡な日々が始まった。


 歯を磨き、変に曲がった寝癖を直し、バイトに向かう支度を進めた。


 それにしても今日は暑いな!


 季節は初夏、徐々に上がっていく気温に町の人々の服装も身軽になってきた。俺の住んでいるボロアパートには一応エアコンは完備されているが、電気代を気にしてギリギリまで点けないようにしている為、シフトを多く入れてバイト先に避難するようにしている。

 

 今日は今年で一番暑くなるとネットのニュースで確認した。


 少し早くバイト先に行って、裏方であかりちゃんの『歌ってみた』でも眺めとくか、俺はあかりちゃんが何かポストしていないかZを確認した後、家を出た。


 バイト先までは歩いて15分、いつも通る長い商店街のシャッターは閉まり、腕時計を気にしたサラリーマンや、電動自電車で子供を送る主婦、行きの商店街は帰りと違う顔をしている。

 

 そんな違いを見つけるのも俺がバイトに行くまでの楽しみでもある。


 え!?なんだかジジイくさいって?仕方がないだろ、子供の頃からあまり友達のいなかった俺はいつの間にか周りを観察するのが日課になってたんだから。


 そんな何処にでも生えてる雑草のような俺の人生にも唯一心を許す友人がいる。


 高校入ってすぐに知り合った井上瑞季いのうえみずきである。彼とは特に劇的な出会があった訳ではないが、なぜか息が合い、今でも飲みに行ったり、お風呂に行ったりしている。彼は俺とは違い顔が良く、彼女もいない時を知らないくらいで、俺とは正反対の人間だった。


 仲良くなったきっかけは確か新入生交流会かなんかでバスの席が隣になり、当時流行っていたクリーチャーストライク略して『クリスト』を二人で行きも帰りも飽きずにやった事であった。


 なんか会いたくなったな、俺は瑞季に『今日飲みに行けないか』とメッセージを送り、商店街を抜けて行った。


 コンビニに着き、夜勤で働いていたおばちゃんに挨拶を済まし、裏方に向かった。         シフトの時間までは一時間くらいあったので、動画でも観て暇をつぶそうとした。


 ふと昨晩の事を思い出し、『黒田ねる』と検索欄に打ち彼女の動画を表示させた。


 えーと、チャンネル開始日が今年の4月か、ってめっちゃ最近じゃん! それで登録者数5万人とかどんな手品だよ、登録者数お金で買ってんじゃないのか?


 俺は一番再生されていた、彼女の『歌ってみた』を聴いた。


 なんだよこれ……  すっごい音痴(笑)


 しかも『Mix』がうまくされてないのか、音痴な声とカラオケの音源が微妙にずれていてそれがまた、むず痒く感じる。


 『Mix』とは歌ってみた動画には必ずと言っていいほど必要な工程で、簡単に言うと自分の歌声とカラオケの音源を聴きやすいように一つに調和させることで、聴いていても違和感がなくなるようにする音楽の編集の事である。


 俺はこのMixの作業を歌い手さんや配信者さんなどから依頼されていた為、歌ってみたには少し口うるさくなるのである。


 彼女の『歌ってみた』のコメント欄は、俺のような感想を持った人が多く、それが面白いや、これを聴いたらひゃっくりが止まりましたなど、コメント欄では大喜利が始まり、これが話題になったのか、この動画は10万回も再生されていた。


 こんなに下手な歌ってみたなのに再生回数が多いものは珍しく、一部の界隈では結構話題になっていたらしい。


 その話題性が火種となり、彼女の登録者数が伸びたのだろう。


 それにしてもあんなギャルの中のギャルみたいな奴が音痴ってなんか面白いな、彼女の中身を知らなかったら正直、推しはしないものの気になってチャンネル登録はしていただろう。


 俺はこいつの『歌ってみた』が癖になって何度も聞き返した。何度も聴いて気づいたことがある、こいつ声だけはめちゃくちゃ良い。もしちゃんと歌えてたら、あかりちゃんと同じくらい……いや流石にそれはないない!


 あんな酒とタバコやってる奴があかりちゃん並みになるなんてありえない、何を考えてるんだ俺は。


 そろそろ時間だ、今日も1日頑張りますか〜、俺はレジに向かった。


 昼休憩になり、携帯を確認すると瑞季みずきから返信が来ていた。


『いいよ、何処で飲む?大宮?』


 瑞季は大学通いで、朝から講義がある事を知っていたので、彼の住んでる最寄駅にしようと返信をし、時間も伝えた。


 瑞季は俺の愚痴などをよく聞いてくれる良い奴だ、そんな彼に甘え、今日はあの女の愚痴を言ってやろう。俺は何を言ってやろうかと頭で考えながら残りのシフトをこなしていった。


 今日もなんの変わりのない作業を終えて、変わり映えのない帰り道をゆっくりと歩いて行く。商店街は朝とは様子を変えて、おじいちゃんおばあちゃんで賑わっていた。

 

 商店街を入ってすぐの所に新しく花屋さんが出来ていた、店前には色取り取りの花が売られていた。俺は立ち止まりしばらくその花々を眺めていた。

 

 その中の一つに見慣れない青色の花に目を惹かれた。


 花の名は『ニゲラ』花弁は繊細で精密な形をしていてその周りをトゲのような葉が囲っているとても幻想的な花であった。


 なぜだか惹かれたその花を目に焼き付け、俺はまた歩き始めた。


 今日も世界は平和である!そんな誰目線な事を心で叫んだ。


 家の前まで着いた、流石に今日はいないよな?階段を恐る恐る上がって確認すると彼女の姿はなかった。


 そっと肩を撫で下ろし、階段を登りきろうとした時


「すんません早く上がってくれないっすか?」


「ひゃい!!」


 後ろから急に声をかけられ、変な声が出てしまった。急いで階段を登り切ると、季節外れのパーカーをまたもや着ている金髪の彼女が俺の横を通り過ぎて行った。


 急に話しかけられたからって、『ひゃい』はないだろ『ひゃい』は、恥ずかしさでお湯が沸かせそうな程に羞恥心が刺激されていた。


 死にてぇー、今頃どう思われてることか……、顔も、行動も、全てキモいとか思われてるんだろうか?早く瑞季に会って慰めてもらいてぇ。


 日中の暑さが少しマシになった頃、俺は瑞季に会うために部屋を出た。ドアを開けると、またしても隣の部屋のあいつが居る。彼女は遠くを見つめながらどこか寂しそうにタバコを吸っていた。

 

 今度こそ関わらないぞ!俺はなるべく静かに、そして速やかに階段まで行き、アパートを後にした。


 2度と挨拶なんてするもんか!『礼儀は心の美しさを映す鏡である』というがあいつは絶対に喫煙と相俟って真っ黒に違いない。


 それにしてもあいつ、あんな格好で暑くないのかな?さっきは慌てて気づかなかったけど、昨日も厚着してたしなんか訳があるのか?


 まぁ俺には関係ないあんな奴の事考えるだけ時間の無駄か!


 俺は、瑞季との待ち合わせに遅れないよう早足で駅に向かった。



「瑞季〜よぉ久しぶり〜!!」


「うぃ〜悠介ゆうすけびっさ〜」


「三ヶ月ぶりくらいか?相変わらずイケメンだなこの野郎」


「そうだっけ?そういう悠介は変わらず普通だな(笑)」


「うっせ!!」


 俺は久しぶりに会った友人との高校の時のような掛け合いに懐かしさを覚え、会えた喜びをさらに増幅させた。


 「なんかあったのか?悠介から誘ってくるなんて初めてだからびっくりしたぜ」


 「まぁ別にたいした事じゃないけどな、それよりお前に急に会いたくなったというかそんな感じだ」


「うわぁなんか気持ちわぃ笑 今日は雪が降るな」


「うるせぇ!!いいだろたまには」


「瑞季はどうなんだよ最近、大学はうまく行ってるんか?」


「まぁぼちぼちかな、別にやりたい事もないし、それより最近また彼女が出来たわ!」


「またかよ、ついこの間別れて、もう彼女いらねぇとかいってなかったか?」


「そんなこと言ってたっけ〜忘れた!」


「このモテ男め!いったん死んでこい」


 俺達はそんなお互いの近況を語りながら飲み屋まで歩いて行った。


「店ここで良い?とりあえず予約入れといたけど」


「あれ、予約とかしてくれてたんだ、ありがと!」


 これはモテるわけだな、俺は彼が顔だけじゃないって事を身をもって感じた。


 席に着いてすぐに俺達はお酒を注文した。俺はオレンジサワー、瑞季は名前がオシャレな何かを注文していた。


「なんか、こうやって二人で飲むって不思議な感じだな!高校卒業して2年か早いよな」


「そうか?よく悠介と俺で回転寿司で飯食ってたじゃん」


「飲みと飯は別だろ!それにこうやって卒業しても会ってくれるのお前だけだし」


「何言いてんだよ笑 友達じゃん俺達!いつでも会うだろうがよ!」


「ごめん、ちょっと泣きそう……」


「ちょっ悠介酔うの早すぎ〜まだ水しか来てねぇじゃん笑」


 そんな変わらない瑞季との会話はとても楽しくそして温かかった。


 飲み屋の賑やかさが最高に達する頃、俺達も懐かしい話に花を咲かせていた。


「俺さ悠介が高校でできた最初の友達なんだよな〜あの時交流会でバスが隣で良かったわ」


「俺なんか最初瑞季とバスの席が隣になったの嫌だったし、お前が『クリスト』やってるって聞いてきた時はお前みたいな奴がゲームやるんだって驚いたよ」


「ひっでぇ〜ゲームくらい誰でもやるだろ!それにあれがきっかけで周りの奴とかも混ざってクラスの友達増えたしな」


「俺は隠キャだからお前が陽キャ特有の優しさで仲良くしてくれてたと思ってたから、なんだかんだ今まで続いてるの変な気分だ」


「なんでだろな、でも悠介と話すの楽しいし、なんでも相談できるの悠介だけだし頼りにしてるぜ!」


「恋愛系の相談は勘弁して欲しかったけどな、話されてもよく分かんないしな」


「相談と言えば俺も瑞季に愚痴りたいことがあったんだよ!てか今日呼んだのその為だし!」


「へぇ〜愚痴なんて珍しいじゃん!また推し活の事とかか?」


「違う違う!昨日、俺のアパートに新しく引っ越してきた奴がいてさ、そいつがほんと最悪で」


 俺は昨日起きた事を瑞季に詳細に伝え、愚痴をこぼした。


「てな感じで本当っ!無愛想で感じ悪いし非常識なんだよあの女」


「まぁ確かに夜中にうるさいのは勘弁してほしいよな、でもなんか意外なんだよな」


「意外って何が?」


「悠介と知り合って初めて女の子の話聞いたからさ、お前ってリアルの女に全く興味ないって感じだったじゃん」


「いや興味とかそういう話じゃないでしょ!それにあんな奴に全然興味なんかないし、嫌いだっての」


「んーなんていうか、そうやって好きとか嫌いとか言ってるのが珍しいなって」


「だとしたら、瑞季に話したくなるくらい衝撃的だったんだよ」


「その子Vtuberなんだろ?お前も好きなんだし案外気合いそうじゃん、声かけてみろよ、仲良くなれるかもだぜ?」


「俺が好きなのはおっとりしてて、癒し声の女の子、てかあかりちゃんだから!!」


「はいはい、あかりちゃんね、いい加減リアルの女の子にも興味持てよな、悠介に彼女出来たらいつかダブルデートとかしよーぜ!」


「そんな日は一生訪れません!残念でしたー!!」


 俺は瑞季に全てぶちまけて、ヤキモキした気持ちがスッとなくなった。


「今日はありがとな、またなんかあったら話聞いてくれ」


「おう、いつでも誘ってくれていいからな、大学サボってでも駆けつけるわ!」


「それじゃまたな」


 そうして俺の愚痴大会は終わりお互い帰路に着くのであった。


「瑞季の野郎また彼女作りやがって……それに読者モデルで、元アイドル研修生ってどこで知り合ってくるんだか。俺だってリアルの女の子に興味がないわけじゃない、ただ好きって思える人に出逢ってないだけだし!」


 誰も聞いてない言い訳を言い、帰り道をゆらりゆらりと歩いた。


 今日は飲み過ぎたな、目の上のあたりがぐるぐるしている、帰ったら直ぐに寝てしまおう。どうにか自宅の最寄り駅まで着き、時計を確認すると12時をもうすぐ回りそうな時刻であった。


 駅から歩き出した時、唐突に瑞季の言葉を思い出す。


 俺、あの女のこと気になってんのか?確かに今まで他人の事は気にした事がないのに、今日はあいつの事ばっか気にしてる……なんなんだよあの女は、平和な俺の日常を返してくれよ……


 先程までスッキリしていた気持ちが、友人の言葉によってさらに俺を混乱に陥れられるのであった。


 家に到着し、寝巻きに着替え布団に潜り込んだ。


 めんどくさい事は寝て忘れてしまおう!


 瞼を閉じようとした時、またもや大きな音が耳に響いてきた。


 あ〜もう、またあの女の部屋からだ!何が気になってるだ、そんな事は一切ない、これはただの怒りだ。俺は酔っていたからなのか普段では絶対しない行動をとった。


「あかりちゃ〜〜〜ん」


 隣の部屋に確実に聞こえる声量で放ったその言葉は、女の配信を聞いているリスナーからしたら『男の存在を疑うこと』になり、そして『本名バレ』かとも思える、聞こえてきてはいけない、あの女の配信に致命的なダメージを与えるものであった。

 

 これで壁が薄いって事がわかっただろう、今度からはもっと早い時間にやるんだな!

 

 俺は仕返しをしてやったりと満足した気分で眠りについた。


 ドンドンドン!!ドンドンドン!!


 今朝はやけに激しいダンスだな隣のおばちゃん……


 ドンドンドン!!


 あれ隣じゃなくて、俺ん家のドアから鳴ってる。


 え、なんだなんだ家賃滞納とか、借金とかしてないぞ、怖い人が来る理由なんてなにもないぞ?


 俺は恐る恐るドアを開けた。


 そこにいたのは、顔を引き攣らせ、明らかに怒った顔をしていたあの女であった。

 







 





 


 


 




 







 


 


 


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