陰陽奇譚

さざれ

第1話

 平安の京、四条堀川。貴人の豪邸と庶民の慎ましい家が入り混じって並ぶあたりに、目的の人物は住んでいるらしい。青年――高澄(たかずみ)は馬を降り、従者に馬を預けて周りを見回した。秋の日はまだ高く、辺りは年齢も格好もさまざまな人々が行き交っている。

(この辺りのはずだが……行どころか町さえはっきりしないとは、いったいどういう家なんだ)

 これではせっかくの区割りも意味がない、とぼやく。

 京に生まれ育った高澄であるから、当然このあたりも何度となく通っているし、目立つ建物ならだいたい見覚えている。だが、目指す家は豪邸ではないらしい。かといって明日にはどうなっているか分からないようなあばら家でもなく、何というか、特徴のない家らしいのだ。

 外観を聞いても、住所を聞いても、はっきりしたことが分からない。ただ一つ確からしいのは、住人が恐ろしく腕のいい陰陽師であるということだけ。祈祷のおかげで命を拾った、占のおかげで富を得た、そういった声が後を絶たない。

 だが、奇妙なことに、どんな人物であったかという問いには皆が揃って言葉を濁すのだ。相当な変人なのだろうが、それはこの際、問題ではない。腕さえ良ければいいのだが……

(……狐狸のたぐいではないだろうな)

 前の世の高名な陰陽師は、母親が狐だったなどと実しやかに伝えられているが、それはともかく。

 噂ばかりが独り歩きし、騙されているのではないか。それらしき家を探して歩き回っているうちに、だんだんと疑いが大きくなっていく。だが、諦めるわけにはいかない。どうしても――

(……?)

 ふと、視界で何かが瞬いた。目をやると、明滅する白い小さな光がいくつか、何の変哲もない門の中に吸い込まれていく。呆気に取られて立ちつくし、あることを思い出して高澄は我に返った。

(そうだ! もしかして……)

 追いかけるようにして門を通り、数段の階を上り、戸を叩く――までもなく、戸が開かれた。

「あの……」

 来訪の目的を伝えようとした高澄は、思わず言葉を途切れさせた。目の前に立っていたのが、あまりに可憐な少女だったから。

 烏帽子や冠こそ被っていないものの、少女は男装だった。無紋の白の狩衣に濃色の差袴。艶やかな長い黒髪が肩を滑って背に流れ、黒目がちの大きな瞳に睫毛は長く、品よく小作りな鼻と口に、細い頤。頬は白桃を思わせる瑞々しさだ。

 少女は高澄よりも二段高いところに立っていたが、それでようやく視線の高さが合うかといったところだった。高澄の背が高いのもあるが、少女は平均よりも小柄なようだった。

 目が合い、何か言わなくてはと高澄は口を開く――

 ――前に、ぴしゃりと戸が閉められた。

 唖然として、目の前で閉ざされた戸を見つめる。

(…………彼女、動いていなかったよな)

 閉め出された衝撃を忘れようと、意識が別のことを考え始める。そういえば開いた時も不自然だった。彼女が腕を動かした様子がなかったのだ。さっきも今も、手も使わず、どうやって戸を操作したのか……

「ちょっと月白(つきしろ)! お客様なんでしょ!? ちゃんとお出迎えしなきゃ!」

 戸の向こうから華やいだ女性の声が聞こえ、再び戸が開かれた。誰も戸に手を触れていないようだったが、三回目ともなると麻痺して驚かない。

「ごめんなさいね。……あら、いい男」

 高澄を出迎えてそんなことを言ったのは、狩衣姿の、それこそ美しい男性だった。地毛なのだろう黄褐色の髪はわずかに金色がかっており、白皙の細面に涼やかな目元、すっと通った鼻筋に、薄い唇。瞳の色も淡く、緑を帯びて潤んだように艶めいていた。

 高澄ほどではないが背が高く、しかし厳つい印象を与えない。中性的で、艶麗で、天人もかくやと思われるような、水際立った美男子だ。

「…………あなたの方が、いい男だと思うが」

 気圧されて、そんなことを口走る。

 男性は甘く目を細めて笑った。

「あら、ありがと。でも、あなたにそっちの気は無さそうね。こっちの方がいいかしら」

 言うが早いか、男性はしなやかな腕を伸ばして烏帽子を脱ぎ、簪を抜いて髪を解き放った。人前で烏帽子を脱ぐのはとんでもなく破廉恥な行いだし、そもそもその中が髷ではなく簪での纏め髪なのもおかしいし、こんなに髪を長く伸ばす必要もない。呆気に取られて目を見開く高澄の前で、男性の髪が渦を巻いてなだれ落ちる。

「どうかしら」

 ゆるく癖のある長い髪を下ろして微笑んでみせると、そこにいるのはどう見ても美しい女性だった。狩衣姿なのは変わらないのに、男性に見えないどころか、倒錯的な色気が加わっている。思い返せば、声は最初から女性のものに聞こえたのだったが……。

「……あなたが狐なのか狸なのか分からないが……陰陽師の、太白(たいはく)どのでいらっしゃるか?」

 性別不明の美人は目を見開いた。そして大笑いした。気持ちのいいくらい開けっぴろげな笑みだ。

「あはははは! 聞いた、月白? 男か女かって聞かれたことは数え切れないけれど、狐か狸かって、すごい二択よね!? もはや人間ですらないじゃない!」

 後ろに声を投げかける。後ろから呆れを隠さない少女の声が返ってきた。

「人をからかって遊ぶからそんなことを言われるのよ、お師匠様」

「からかってなんていないわ。私、いつも本気よ?」

 こちらに色っぽく片目を瞑ってみせる。高澄は化かされたような気持ちで、つくづくと思った。

(…………なるほど、これは……説明しがたい人物だ)

 性別不明、正体不明の怪人物だが、お師匠様と呼ばれたこの人が、探し求めた人物だろう。太白どの、と呼びかけると、笑みを残しながらも頷いてみせた。

「高名な陰陽師でいらっしゃるあなたに、ご相談があるのだが」

「私は反対」

 話を始めてもいないのに断ったのは、月白と呼ばれた美少女だった。さきほど声を返したのもこの少女で、渋い顔をしながら玄関前へ戻ってきた。太白の少し後ろから、高澄へ半ば睨むような眼差しを向けている。

「でも、星精がこの人を連れてきたのよ。必要があって来られたのだから、お話を聞くくらい……」

 星精というのは、さきほど門のところで見た光のことだろう。太白とは星の名であり、彼――もしくは彼女――は、名前の通りに星を読み、星の力を使うという。その一端を垣間見たわけだ。もしかしてと思ったが、やはりここに目的の人物がいたのだ。

「聞かなくたって分かるわ。厄介事よ。この人、宮廷の官吏だもの。それも結構な地位のある」

 高澄は驚いたが、隠さずに肯定した。

「まあ確かに、そうだが……なぜ分かった?」

 自宅に戻って着替えたりせず、衣冠のままここに来たから、宮廷の者だというのは見れば分かるだろう。だが、とくに職掌や位階を示すような色や物を帯びているわけではない。腰に佩いた刀とて、べつに目立つものでもない。二代前の光覧帝のときに宮中で大改革が行われたおり、服装に関する制限も大幅に緩められている。

「見れば分かるわ」

 月白は不機嫌そうに腕を組んだ。

「宮廷には陰陽寮があるのに、そちらに話を持っていかない時点で厄介事だと分かるわ。陰陽寮では解決できなかったのか、それとも市井の陰陽師を使い捨てにするつもりなのかは知らないけれど」

「使い捨てになど!」

「じゃあ、前者なのね」

「うっ……」

「それなら、陰陽寮と協力して事に当たるのじゃいけない?」

 太白がおっとりと口をはさんだが、月白はその提案も却下した。

「あちらの面子が立たないわ。陰陽道は男の世界、女は陰の気が強いから陰陽師になることはできない……その通説を信奉して、その論理で動いているのだもの。陰と穢れとの区別もつかない能無しどもが女を排除したせいで、どれだけ自分たちの首を絞めているか。想像もつかないわ」

 辛辣に言い捨てて、

「悪いことは言わないから、帰ってちょうだい。師匠みたいな人を、がちがちの男社会に送り込むわけにはいかないのよ」

「あら、私は構わないけれど。行ってみたいわ。いい男がいっぱいいそうじゃないの」

「ほら、これだから駄目なのよ! 風紀を乱して、別の新しい問題を作り出すのが落ちでしょう! 懸想する相手を奪われたって、宮廷人が怒鳴り込んでくるのは御免よ! この上さらに厄介ごとを増やすつもりなの!?」

「……………………」

 高澄は沈黙した。太白の強烈な個性に当てられたのもあるが、月白の指摘も刺さった。高澄自身は陰陽道の素養がなく、理論も分からないが、少女の言っていることは正しいように聞こえる。宮廷は確かに、立場や面子を重視する世界だ。

 だが、それで引き下がるわけにはいかないのだ。

「……だったら、陰陽寮には話を通さない。外部から招く術者……たとえば僧侶や宿曜師たちと同じような扱いにする。それでどうだ?」

「…………陰陽寮を飛び越した話ができるということは、やはりあなたは地位のある人なのね。中務省の所属なのかしら。宮廷からの依頼か、個人からの依頼か……まさか、竹の園生からの使いだなんて言わないでしょうね」

 譲歩したつもりだったが、月白を余計に警戒させてしまったようだ。高澄が中務省の所属だというのも当たっている。その後の指摘も。

「あなたの格好。衣冠姿に太刀を帯びて、しかも実用的なものだわ。拵えが儀礼刀のそれではないし、明らかに血を吸った気配がするもの。それに加えて、あなたの手。かなり鍛錬を積んでいるでしょう。儀礼刀でなく帯刀する宮廷人なんて、兵部省か衛府の高官でもなければ、中務省に所属して皇族がたのお傍近くに仕える者しかいないのよ。そして前者であれば、市井の陰陽師に用なんてないでしょう」

 かなりの訳ありで、おそらく皇族が関わってくる案件だと、月白はそこまで読んだらしかった。高澄は素直に感心し、詫びた。

「すまない。お願いに上がるのに帯刀は失礼かとも思ったのだが、丸腰もどうかと思って……」

 そうなると、衣冠をわざわざ着替える道理もない。むしろ礼に適うだろうと思ったのだが、結果的に横着なだけになって逆効果だったか。

「……それにしても、あなたは頭がいいのだな」

「……っ!」

 思ったままに称賛すると、月白はみるみる頬を赤く染めた。彼女はおそらく十代の半ばくらいで、高澄とは五つほど年が離れているだろう。年上の、しかも体格差のある男に対等以上の口をきいていた勝気な少女が見せた意外な反応に、思わず微笑を誘われる。

「女のくせに、って思う?」

 聞いたのは、なぜか太白だった。

「いいや? だが、そうだな。女性を排除する陰陽寮は、たしかに勿体ないことをしていると思うな」

「…………」

 黙り込む月白に、なぜだか妙に嬉しそうな太白。

(……太白どのも女性なのだろうか?)

 だとしたら、依頼人たちが言葉を濁した理由がさらに追加される。変人であるだけならまだしも、まさか女性の陰陽師に依頼したなどと、宮廷人の高澄の前で言えるわけがない。市井の隠れ陰陽師――もぐりの陰陽師――というだけで相当あやしい立場なのに、女性の陰陽師だなど説明のしようもない。

 高澄の視線をはぐらかすように、太白は妖艶に微笑んだ。

「聞かせて。あなたの相談事」

 太白の言葉に、今度は月白も異を唱えなかった。


 月白が見抜いたように、高澄――源(みなもとの)高澄は中務省に所属する侍従だ。光覧帝の大改革の折に蔵人所が大舎人寮と一体化して中務省に編入され、内舎人その他とも統合されて出来た役職だが、名称は従来のものを引き継いでいる。

 光覧帝の改革が目指したのは更なる中央集権化であり、重複や無駄を減らすことであり、律令を拡張して実態に即したものへと正すことだった。

 律令とは儒教の教えを制度化したものであるから、改訂など不敬にもほどがある、罷りならんと吠えた守旧派もいたが、帝は改革を断行した。

 それは帝が藤原家と強く結びついて宮中を掌握したから可能だったのだが――別の見方をすれば、藤原家が無視できない勢力になって律令を改変せざるを得なくなったとも言える――、もう一つ決定的な理由が、大陸の混乱だった。

 近年、隣国との正式な国交は無いに等しかったのだが、大国として文化的な影響を強く及ぼしていた隣国が瓦解し、二十を超える小国に分裂した。その混乱をもたらしたのはさらに西に位置する大帝国なのだが、帝国が交易網をこの和国にまで広げてきたことに伴って、様々な文化や学問が流入してきたのだ。それは儒教の地位を相対的に低下させ、国家意識と危機意識を高め、改革を可能にした。

 そうした中にあって、従来は東宮坊などにも分かれていた職務が皇室のものとして一本化され、侍従は中務省に所属したまま各皇族のもとに遣わされるようになった。

 高澄もそうした侍従の一人で、梨壺女御の生みまいらせた第二皇子――尊継(たかつぐ)殿下に仕えている。

 高澄は簡単に自己紹介を済ませてから、尊継について説明した。

「お年は今年で十九になられ、智に秀で、式部卿のつとめを立派に果たしておられる。しかし、少々……お体が弱くていらっしゃるのだ」

 式部省は官吏の考課を担当する重要な部署だ。その頂点に立つ式部卿は四品以上の親王が任じられる重職で、今年の早春に空きができたため、大学寮で明経道を修めていた尊継に白羽の矢が立った。それから数か月、ときおり体調を崩しながらも、その失を補って余りある働きを見せていたのだが……

「もうじき秋の除目がある。式部卿として出席すべきなのだが、体調が思わしくない。重要な行事の前に体調を崩されることは以前からも度々あったのだが、医師や薬師や僧侶、陰陽寮の者に相談しても理由が分からず、なかなか改善しない」

「いちおう聞くけど、緊張に弱いわけではないのよね? 周期性も無い?」

「どちらも無い。試験などご自身だけの事なら問題なくこなされるし、大きな行事であっても突発的なものならむしろ卒なく対応なさる。それに、言いにくいが……整えられた儀式ほど相性が悪くていらっしゃるようなのだ。仕組まれていると考えざるを得ない。参内さえ苦痛な時があるようで、普段は里内裏に住んでおられる」

「式部卿は名誉職の意味合いも強いわ。次席の式部大輔に代行させるのではいけない?」

「式部卿になられてから始めての除目だ。お出でにならなければ、そんなに体が弱いのか、務めも果たせないのではないか、そんなふうに思われてしまいかねない。それは何とか避けたい」

 それに、と高澄は続ける。

「……できることなら、式部大輔に頼むのも避けたい。大輔は例によって藤原の一族だ。同じ藤原に連なる左大臣との繋がりが強く、こう言っていいのか分からんが……式部卿宮とは陣営が異なる。宮の母君は藤原ではないのだ。それに、無いとは思いたいが……人事考課に関して多少の融通を利かせたいと思うなら、上に立つ宮は厄介だろう。ここで長のように振る舞わせてしまうのは危険だ」

「……厄介ね」

 月白が唸り、横に座る太白と視線を交わす。円座を勧められ、座って話をしていたのだが、太白はしどけなく片膝を立てた格好で膝に肘をついて手の甲に顎を乗せ、思案する格好になった。その体勢で流し目を送るようにして美少女と視線を交わしているものだから、こちらは見ていてどぎまぎする。月白の方は膝を揃えて端然と座っているのだが、二人の取り合わせはちぐはぐなようでいて妙にしっくり馴染んでいる。

「そうねえ。調べてみないと断言はできないけれど、聞いた限りでは典型的よね」

 物憂げに太白が言うので、高澄は何度目になるか分からない驚きで声を上げた。

「え!? もう見当が付いているのか!?」

 二人が揃って頷く。月白が口を開いた。

「多分ね。そういうとき第二皇子殿下のご体調は、夜に回復傾向になるのでは? それと、療養のために下がられると、それほど時間も経たずに回復なさるんじゃない?」

「……どちらも、その通りだが」

「……………………」

 言い当てられたことに高澄は驚くが、二人の表情は晴れない。

「もしかして、難しい病なのか?」

「あー……うーん、ええと……ねえ?」

「難しいっていうか……厄介よね……」

 太白が視線を泳がせ、月白は厄介だと繰り返す。

「はっきり言ってくれ。治せるなら、金に糸目は付けない」

「あなた、交渉下手ねえ。必死なところを見せたら付け込まれるわよ。そんなところも可愛いけど」

 太白が色っぽく含み笑いをする。月白は半眼でちらりと見やって師匠の戯言を窘め、

「じゃあ、はっきり言うわ。第二皇子殿下は、たぶん皇子に向いていないのよ」


「……っ!」

 高澄は思わず立ち上がり、拳を握りしめた。月白も素早く立ち上がる。高澄の肩あたりにしか届かない小柄な体で、恐れ気もなく高澄を見据えた。

「……っ、あの方が、どれほど苦労されていると……」

「分からないわ。想像することはできるけど、どこまで正しいかは分からない」

 月白は静かに言い、

「説明するから座ってちょうだい。怒るなら、その後にして」

 高澄が蹴飛ばさんばかりにした円座を示し、飲み物でも持ってくると言い置いて部屋から出て行った。

「…………」

 意味もなく拳を握ったり開いたりした後、高澄は円座にどかりと腰を下ろした。腕を組んで目を瞑り、無の境地になろうと……

「ねえ」

 ……できるわけがなかった。ふわりと薫香が漂って、目を開くと、太白が少しこちらに身を乗り出している。

「…………何か?」

 月白は弁が立つし、太白は得体が知れないし、尊継の状況は厄介だそうだし、何が出るか分からない室(むろや)に迷い込んだ気分だ。蛇が出るのか百足が出るのか、それとも狐狸か。それよりもずっと厄介そうだが。

 また誘惑めいたことでもされるのかと警戒する高澄に、太白は声をひそめて囁いた。

「……あの子のこと、どうか嫌いにならないであげて。ちょっと気が強いけど、悪い子じゃないのよ」

「……別に、ならないが」

 答えながら思い返すと、初っ端から鼻先で戸を閉められたり、話を始める前から却下されたり、言いたい放題に言われたり、そういえば散々な扱いを受けた後だった。それで悪感情を抱くかといえばそうでもなく、まさか少女の可憐さに目を眩まされているのか、いや、むしろ……

「……利発な子供とか、口の回る姉とかにやり込められているような感じだな」

 自分の言葉に納得して頷くと、太白は軽く笑い声を上げた。

「しみじみしちゃって。どっちも経験がありそうね」

「まあな……」

 尊継は高澄よりも二歳下であるが、頭を使う分野のことで勝てた試しがない。うるさい姉がいるのも本当だ。しかも二人も。いまさら年下の少女に言い負かされたところで、別に恨みに思うこともない。尊敬する尊継のことを貶められた気がして先程はかっとなったが、それもそろそろ冷めてきた。改めて怒るかどうかは話を聞いてから判断しても遅くない。

「なるほど、なるほど……。これはちょっと、面白いわね」

「何がだ?」

「あなたが男らしい朴念仁だってことよ」

「はあ?」

 素っ頓狂な声が出る。いったいいつ誰がそんな話をしていたか。こういう太白の言葉は月白に倣って戯言と無視するのがよさそうだ。

 そうしているうちに月白が戻ってきた。盆に素朴な碗を三つ乗せており、碗の口からは湯気が立っている。簡単な台を出して供してくれたのでお礼を言うと、月白は目を見開き、ぎこちなく頷いた。

「……大したものじゃないけど。柿の葉のお茶よ」

「初めて見た。柿って、実を食うものじゃないのか」

「一般的にはそうだけど。こうすれば葉っぱも使えるの」

「お肌にもいいのよ」

 その効能には全く心が動かないが、飲んでみると仄かに甘くて飲みやすい。渋柿の連想から渋さを警戒したのだが、まったくそんなことはなかった。お菓子にも良く合いそうだ。

「……ああ、そうだ」

 高澄は懐から包みを取り出した。唐菓子をお裾分けに貰ったから、姉たちへの土産にしようと持ち帰ってきていたのだ。

「貰い物だが、よかったら。お茶請けになるだろう」

 包みを解き、四角い菓子を見せる。米を弾けさせたものに糖を絡めて固めたものだ。月白が目を輝かせた。太白も嬉しそうな表情をする。

「これ、粔籹(おこしめ)? 頂いていいの?」

「名前は知らんが、甘いものだ。口に合えばいいが」

 子供の頃はまだしも、成長した今はそれほど甘いものに惹かれない。喜んでもらえるなら喜んで譲る。姉たちへはいつも土産を持ち帰っているから、今回くらいはいいだろう。

「いただきます」

 月白は手を伸ばして一つ摘まみ、小さく齧った。その表情がたちまち綻ぶ。

「甘い。美味しい……」

 食べ進めながら、幸せそうな吐息を零す。つられて高澄の方も微笑んでしまう。

「私にも、少しちょうだい」

 太白も長い指で粔籹をつまみ、確かめるように齧った。

「うん、美味しいわ。いいわね、こんな甘いお菓子がお裾分けに貰えるなんて」

「ほんと。宮廷って全国から美味しいものが集まるのでしょう?」

「そうだな、宴のときは毎回圧倒されるな。普段はまあ、普通なのだが」

 忙しいと食事を抜いてしまうこともあるくらいだ。高澄はいちおう宮廷人だが、そこまで市井とかけ離れた生活を送っているわけではない。

「月白、お口を開けて」

「え、くれるの?」

 自分の分を食べ終えて余韻に浸っていた月白に、太白が声をかけた。月白は驚きながらも喜んで、いそいそと口を開ける。

 高澄は思わず喉を鳴らした。べつに家族ならおかしい振る舞いではないが、二人とも十分以上の美人だ。美女(?)が美少女に手ずから菓子を食べさせる様子には、なにやら背徳的な官能性が漂って、見ているこちらが赤面してしまいそうになる。そもそも、食べている姿はあまり人目にさらすものではないのだ。

 太白のほっそりした指が菓子を支え、月白の柔らかそうな唇から真珠色の歯が零れる。菓子がさくりとした音を立てて噛み切られ、破片を追うように舌が艶めかしく動く。

(……………………)

 高澄はむりやり視線を引きはがし、今度こそ無の境地を追い求めた。


 休憩になったのか、よけい疲れたのか分からないお茶の時間のあと。月白は真面目な顔で切り出した。

「式部卿宮のことだけど……推測が正しければ、病ではないわ。誰かの作為の可能性は排除しないけど、あっても根本的な要因ではない。宮はたぶん……陽の気に当てられておいでだわ。重要な行事って大抵、宮廷の陽の気を強めるものだから」

 高澄は瞬いた。

「? よく分からないが、治るのか?」

 月白は呆れたように、太白は面白そうに高澄を見る。

「いいわあ、単純馬鹿な男って」

「……なんだか、言葉を選んでいるこちらが馬鹿を見ているような気がするわ」

 月白は溜め息をつき、

「いい? 陽の気に満ちた宮廷で、陽の中心たる存在であるべき皇子が、陽の気に身を損なわれていると言っているのよ。喩えるなら夏の日差しのもとで花を咲かせることを期待されているはずの草が、その日差しを毒としているようなものよ。その草は、本来は日陰に植え替えられるべきだと言っているのよ」

「…………なるほど、それは……」

「こんなことを言うなんて言語道断の不敬でしょう。あなただから言ったのよ。頭の固い人に言ったら首が飛んでたわ」

 月白は物騒なことを言うが、それは高澄も否定できない。日の御子たる皇子が宮廷の陽の気に耐えられないなど、口が裂けても言えないだろう。陽の気の源は天皇を中心とした皇族たちであるべきなのに。

「太白どの。あなたのお見立ても同じか?」

「ええ。じかに拝謁できるなら、はっきりしたことを申し上げられるのだけど。月白、あなたも見たら分かるわよね?」

「分かるわ。体の陰陽の釣り合いが取れているかどうかくらい。宮廷の陰陽師たちはこれが分からないのか、言わないのか……」

「…………なるほど。厄介と言われた意味がようやく分かった」

 高澄は頭を抱えた。話が本当なら、尊継の体質が宮廷の陽の気に耐えられないものであるうえ、そのことを陰陽寮の者たちが口にできないか、あるいは察知できていないかという状況なのだ。

「……言わないというのなら、まだ分からなくもない。だが、分からないなんてことがあるのか? 優秀な人材を集めているはずだが……」

「ありうると思うわ。宮廷の陰陽師たちのやり方は偏っているもの。日差しが強すぎて枯れかけている草を見て、もっと日差しを当てないとと思ってしまうような人たちだから。皇子のお体に陽の気が害をなすなんて有り得ないと思い込んでいてもおかしくないわ」

「そうよねえ。それに、べつにやり方が間違っているわけではないのよ。彼らの中では陽こそが万病に効く薬で、正義なのだから。彼らは淘汰しているのよね。宮廷の陽の気に耐えられない者を。悪気があるのか無いのか知らないけれど」

「…………」

 高澄は沈黙した。月白はさらに付け加える。

「皇子という身分でいらっしゃるから問題になってしまうのだけれど、内裏に馴染めない人ってけっこう多いらしいわ。人間関係だけでなく、陽の気に当てられてしまうこともあるのよ」

「見るからに人工的で歪な構造だものね。内裏の大部分は男性ばかり、後宮は女性ばかり。まあ、和国はこれでもまだましだけど」

「……太白どのは大陸の方なのか?」

「出身はね。狐や狸じゃないのよ、残念ながら」

 太白が思い出し笑いをする。それでも得体が知れないことに変わりはないと高澄は思ったが、さすがに口にはしない。

「ねえ、高澄様。除目の日っていつ?」

 太白の問いに、

「呼び捨ててもらって構わない。除目は十日後だ」

 それなのに尊継の体調は思わしくない。回復するかどうか分からないが、体調不良のそもそもの理由が今までは不明だったのだ。評判の術師に相談すればあるいはと藁にも縋るような気持ちで望みをかけたが、期待以上だった。諦めずに方策を探し求めてよかった。状況はよくないが、何とかなるかもしれない。

「辛酉の日ね。陰の気が強いから好都合。星の巡りも、少し工夫をすれば助けになってくれるはず。他にもいくつか方策を用意して、式部卿宮にお目にかかりたいわ」

「何とかできるのか!? もちろん、すぐにでもご案内したいが……まずは使いを走らせないと」

「見立て通りなら何とかなるわ。状況が厄介だし、体質を根本的に変えることは不可能だけど、解決策そのものは単純だし。使いをいきなり式神に任せるのは失礼だから、従者か誰かに頼んでくれる? 外に待たせているでしょう?」

「ああ。すぐ行ってくる」

 従者は馬を連れて、休憩がてらこの近辺をぶらついているはずだ。どのくらい時間がかかるか分からないと言い置いたから、それほど遠くに行かず、適当に時間をつぶしているはず。高澄はすぐさま席を立った。

「月白、あなたには課題を。陽の気を弱めるのでも陰の気を強めるのでもいいから、宮廷に持ち込んでも問題にならない呪具なり方法なりを幾つか用意して。それと、式部卿宮が陽剰ではない場合、何が疑われるかも列挙して」

「すぐに用意するわ、お師匠様」

 月白も頷いて席を立つ。

 二人の頼もしいやり取りを背中に聞き、高澄は心強さに拳を握った。

(依頼に来て正解だった。…………変わった人たちではあるが)

 目の前でひとりでに開く戸を目にしながら、高澄は安堵とも苦笑ともつかない笑みを零した。

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