深月くんの斬新な数学

あしわらん@創元ミステリ短編賞応募作執筆

第1話 分配法則と面積とひっ算 〜秘密の関係〜

 神木深月はオレの幼馴染。生まれた時から同じマンションに住んでいて、めちゃんこ頭のキレるオレの自慢の友達だ。今年オレたちは中学生になり、同じクラスの窓際で運よく前後の席になった。深月が前でオレが後ろ。


 深月は授業中、うわの空で窓の外を眺めているか突っ伏していることが多い。深月が先生にあてられたときに起こすのはオレの役目だ。


 ツン、ツンツン――


「深月、指されたぞ。起きろ」


 声を潜めて言うと、深月はおもむろに体を起こして起立する。椅子を引きずる音も眠たげだ。


 深月が立つとクラスの視線が集まる。割合はやっぱり女子が多い。スラリとした長身で(オレより7cm低いけど)髪もさらさらで切れ長の二重。女子曰く『起きている時は寄らば斬るくらい連れないのに、寝起きはまるで隙だらけなのが可愛い』のだそうだ。


 深月がそんな風に言われているなんて知ったら、あからさまに嫌がるだろうが、言われてみれば確かに深月は、人に懐かない黒猫っぽい感じがする。


 ただし、それを可愛いと思うかはどうかは人による。少なくとも教壇に立つ先生は、けわしい顔で深月を見下ろしている。


「神木、今、俺たちは分配法則っていうのを勉強しているんだが」


 先生が話を聴いていなかった深月のためにわざわざ言って、チョークで黒板をコンコンと叩いた。


「この問題を解いてみろ」


   a(b+c)


 俺たちは既に中学数学では掛け算の記号を省略することは教わっている。今日の授業はカッコを外して計算するやり方だ。知らなければできない。『授業を聴いていないとこういう目に遭うんだぞ』という先生の意地悪を感じる。


 それなのに、深月は先生の思惑にはまるで無関心で、目にかかった髪を邪魔がって首を振り、上履きでしまりのない足音を立てて教壇に上がる。


 みんなが注目する中、深月は適当なチョークを手にとり「=」と書くかと思いきや、なぜか長方形を描きはじめた。ひそひそと生徒の囁き声。深月がなにかやらかすのを楽しみにしているのだ。もちろん俺もそのうちの一人にカウントされている。


 深月はフリーハンドで定規を使ったみたいに正確な長方形を描き、適当なところで縦線を引いてふたつに分けた。縦に a と書き、横は二つに分けたうちの左側に b、右側に c と書いて、眠そうな声で説明する。


「a(b+c)は a ×(b+c)これは面積の計算 縦×横 と見ることもできるので、縦が a で横が b+c の長方形を描きました。それで、左の長方形の面積 a × b と右の長方形の面積 a × c を足せば、全体の長方形の面積 a ×(b+c)が出せるから」


 a(b+c)=a×b+a×c

      = ab+ac


 どこからか、おお…… という声があがった。


 さっき先生は a から b と c に向けて矢印を書いて「a(b+c)=ab+ac だからな、覚えろ」と言うだけだった。オレも単にそういうもんかと思っていたが、深月の書いた図と式を見比べてみると、なるほど確かに a(b+c)=ab+ac だと分かった。


「なんだ、ちゃんと聴いてたんじゃないか、神木。聴くならちゃんと起きて聴け」


 うそつけ。先生が説明したのと全然違うじゃないか。深月が先生の授業から学んで理解したわけではないのに、それを認めようとしないのは、先生の意地ってやつなのだろうか。


「でもこれ、小学生でやりましたよね。何が違うんですか?」


 すっとんきょうな発言に、今度は教室中から え? という声が上がった。


「たとえば36×7とか」


 つぶやきながら深月はひっ算の式を黒板に書く。


  36

 ×  7

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  42

 210

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 252


「7×6は42、7×30で210、足して252。これをただ7(6+30)って横にして書いたのと同じですよね」


 本当だ。それなら小学校でさんざんやって来たじゃないか。分配法則なんて新登場みたいな顔をして、人が悪い。


「斬新な解き方だな……」


 先生は頬を片方引きつらせて言った。褒めたくはないが認めざるを得なかったのだろう。もっと褒めなよ先生、という生徒たちからの無言の圧力を、パンパンと手を鳴らして散らし、ワークの演習Bをノートに解くように言う。


 オレがワークの該当のページを開く頃、深月が席に戻ってきた。

「おつかれ」

 手を出すと深月が「おぅ」と言ってパンと俺の手に応じ、椅子を引く。座った瞬間、深月は、また縁側の猫のように背中をまるめて眠ってしまった。






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