第四十二話 執権
八月三日 晴れ
森明可くん率いる百足隊の選抜調査隊が帰ってきました。
私、朽木早紀としてはもう少し遅れるのかなあと思っていましたが、僅か三日で行って帰ってきたのは驚きです。
ですが、もっと驚きだったことがあります。
明可くんが女の子の吸血鬼を連れてきたことです。高校では野球部のキャプテンを務め、女性関係の浮ついた話は全く聞かなかったので案外やるなあ、と思いました。
けれど話を聞くと別に変な意味でついてきた訳ではなく、私たちの戦闘技術を指南するために南方地域、例の島からわざわざ来てくれたそうです。ありがたいですね。
ところで戦闘技術って何なのでしょうか、剣術とか柔術とかそういうことなのでしょうか?正直よくわからないので吸血姫さんの訓練があっても参加するのは止めておこうと思います。
……
…
伊集院雨雪には属領領主惟義より新たな役職が与えられた。
その名も“執権”。属領南奧州における惟義の領主権限を代理執行できる役職である。
これは惟義は領主の実務に音を上げ始めたこと、手続きの簡略化と円滑な組織運営を目指すのが大きな理由だった。
惟義は領内の犯罪人を領内法廷で裁く権利や徴税権を持つ。そうした権利は同時に義務でもあり、名奉行の差配ができるならいざ知らず、窃盗といった犯罪の刑罰を過去の判例を一々吟味して判決を下すといったことは即断即決と拙速を尊ぶ惟義には無理があった。
また行政というのは時代劇の名奉行のように豪胆で華麗でも何でも無い。駄々はこねなかったが、正直面倒に感じていた。惟義が軍管区司令官として軍事訓練や鍛錬に勤しむ方が向いていたことも大きかった。
そこで領主権限の殆どを内政の最高責任者である雨雪に任せてしまおう、ということになった。
これが他国なら臣下に国が乗っ取られる前兆となるのだが、雨雪なのでそうはならない。
元から雨雪が内政の殆どを掌握していたため、これで名実共に雨雪が南奧州において事実上の最高意思決定者となった。
事務手続きの簡略化や円滑な組織運営も今回の執権任命のお題目であるため、一役人の雨雪としては問題なかったが、個人感情では正直過労気味だった。
…
第一大綱 曙(あけぼの)計画、鋼(はがね)計画、霙(みぞれ)計画、序(はしがき)計画
第二大綱 翠(すい)星(せい)計画、太白(たいはく)計画、螢惑(けいわく)計画
第三大綱 八咫(やた)烏(がらす)計画、獅子(しし)王(おう)計画
最終大綱 三千世界(さんぜんせかい)計画
「なにかしら、これ」
雨雪はいつも以上に呆れ返っていた。目の前の魁世は満足そうであったが
「なにって計画名だよ。僕らの今後百年の行動計画さ」
執務室の机の上には無駄使いのできない紙がうず高く積まれていた。
これが全て四つの大綱、十の計画の記された紙束らしかった。雨雪は頭が痛くなってきた。
「いいネームだろ?徹夜で考えた」
目の前の男子は何か変な物を食べたのだろうか、最近始まった“榛名デー”で出された料理に問題があるのではないか。雨雪は本気でそう思いたくなってきた。
「まずは第一大綱の曙計画、鋼計画、霙計画、序計画を始めようと思う。協力して欲しい」
あーホントに頭が痛くなってきた。否定するのも面倒
「…魁世、目的は群蒼会のため、私たちのためなのだろうけれど、貴方はそもそも“大綱”とは何なのか分かって使っているの?」
「いいや?響きがいいと思ったから使った」
なんでもないように告げる魁世の顔を雨雪はまじまじと見つめる。
もしストレスか何かで本当におかしくなったのなら、治らせなければならない。
だが雨雪は考える。
魁世のやってきたことは腹立たしいことはあっても、悪い方向に進んだことは無かった。少なくとも私にとって
それなら
「それなら条件つきでこの計画を認めるわ。予算は通常の第三行政局の分しか渡さないし、違法行為はご法度。私が中止を命令したらそれに従う。これが条件だけど本当にそれでいいの?」
「それでもいいよ。雨雪に承認して欲しかっただけだからさ」
紙束は読んでおいて欲しいと言って魁世は執務室を出た。
雨雪は計画名の一つに目を向ける。
「霙(みぞれ)、計画」
“みぞれ”とは雨と雪が混ざって降る現象を指す。
雨雪はひとまず机の上の飲みかけの白湯を引き寄せる。
「………単純な名前」
正直に言えば最初から魁世のやろうとしていることを阻止する気は無かった。
魁世が雨雪から止められたくらいで嫌いになることは無いと、雨雪も分かっている。
ひどい役人だ。情に左右されて行政を取り仕切るのだから
……
…
先日のスルガ王国軍侵攻によって被害を受けた村のひとつ、復興よりも移住が適切と判断した執権にして第一行政官の雨雪によって廃村となった場所。
村人たちは移住の準備を進めていた。略奪を受け無一文になった者、娘を攫(さら)われて戻ってこなかった者、戻ってきても心に深い傷を抱えた者、抵抗して家族を殆ど殺された者。
表情が明るい者はいない。雲の上の者が始めて雲の上の者が終わらせた、その程度の認識であった。
この暗澹(あんたん)とした気持ちは敵への憎悪から来たのか、適切な言葉が彼らには見つからなかった。
嶋津惟義は紫電隊の部下たちを連れて村を訪れる。
そして惟義はまず娘夫婦と孫を殺された老婆の家を訪れた。その老婆は執権の雨雪による農村の統廃合に抗い、頑として移住を拒んでいた。
惟義の登場の突然の訪問に老婆は驚いたが、惟義の動きは早かった。
「本当に、本当に申し訳なかった…!」
惟義は老婆の前で深く頭を下げた。驚愕の連続で動揺している老婆に続けて言葉をかける。
「こうしておばあさんのところを訪れたのは移住の催促とかそんななことでは無い。ただ謝りたかった。
俺たちがもっと早く敵を撃退していれば……いや、この仮定は無神経だな」
惟義は顔を上げ、自然と老婆の手を取る。
「俺は領主として、指揮官として失格かもしれない。だがどうか力を貸してくれないだろうか?次は必ず、必ず助ける!」
惟義はまっすぐに言った。
対面する老婆は何かを思い出したかのように嗚咽を漏らしていた。
青臭いと捉えるか、演技上手だと捉えるか、どう感じたかは人によりけりだった。
だが惟義は時間が許す限り、戦いの被害を受けた一軒一軒を回ったと後世に伝わっている。
この世界において元首、王侯貴族の類(たぐい)が領内の農民を自ら手を取って慰撫しに行くことは少ない。そして惟義のように下心無しで領民を慰めるのはもっと少ない。
多くの領民に惟義の姿は映った。
領民たちは決して孤独ではないのだと、領主は決して領民を見捨てないと、今度も負けないと、惟義はそれが伝えられればいいと思っていた。
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