第6話_01 人ならざるもの生きる場所
秋の終わり告げる風が吹く土曜の朝。
黒尾は愛車を北へ走らせていた。
山風が強さを増すほどに、赤や黄色の色様々な森が頭上を覆い尽くしていった。
「冬の足音が聞こえますねえ」
助手席ではキャップを深く被り、その美しい白い髪を隠した白月が窓に張り付いていた。
マヨイの林へ取材の下見へ行くと言う黒尾へ「冬眠前のカエル狩りへ行く」と言って聞かず、ちゃっかり随行していた。
「山もすっかり紅く染まって。まだウシガエルがいるといいのだけれど」
「カエルだって忙しいだろ。また今度にしてやれ」
「それはだめです! 生きの良いウシガエルをタカにごちそうするんだから!」
「……だからまた今度にしてくれって……」
黒尾はげんなりしながらナビに従ってハンドルを切った。
マヨイの林をピックアップするにあたり、個人的にも情報を集めておきたかった。
(マヨイの林へ行くのは久々だ……最後に行ったのは大学ん時だったか)
卒論のフィールドワークの一環として、河童や天狗の伝説が伝わる地へ訪れたことはあった。マヨイの林はそれらに比べて情報量が少なく、『T町物語』の中でもややイナーだった。
(マヨイの林……近くまで行ったが、なんか気味悪くてすぐに帰ったんだよな)
フィールドワーク当時、マヨイの林へ近づくと、昼だというのに急に暗くなったように感じた。いくら山とは言え、ここまで露骨に変化するものなのかと寒気がしたのを記憶している。
黒尾は隣で上機嫌の白月をちらりと見やった。
「なあビャク。マヨイの林って白蛇族の棲家だったんだろ」
「うん、そうですよ」
「その、聞きづらいんだが、つらくないのか? マヨイの林へ行くのは。人間に奪われた故郷だろ」
白月は窓の外へ顔を向けたまま少し黙った。窓に映る、キャップに隠れた顔からはその感情は読み取れなかった。
「婆様はマヨイの林で長く暮らしてたみたいだけど、僕が生まれた頃は、すでにもっと山奥が白蛇族の棲家だったし……」
白月は振り向くと微笑んでいた。
「それに今は、たかと―――タカみたいな人間もいるって知っていますからね」
「………そうか」
黒尾は返す言葉が見つからなかった。未だに白蛇族を不埒な理由で探っている人間もいるということは、白月にはできれば知られたくないことだった。
(なあ、じいちゃん……白蛇族は一体いつまで人間から搾取されれば良いんだ……)
山もだいぶ深まったところ、小さな駐車スペースへ車を停めた。
「降りるぞ。寒いからちゃんと着とけよ」
白月へ声を掛け、先に車を降りる。山風が容赦なくふたりに吹き付けていた。
「うぅ、やっぱりこの地方はもう冬ですね……! っくしょん!」
白い鼻先を赤くして震える白月へ、黒尾はネックウォーマーを差し出した。
「途中で冬眠すんなよ?」
「しませんよ。この首巻きあったかいし」
ネックウォーマーにご満悦な様子で白月は黒尾へ続いた。
(やっぱここは変な感じがするな)
マヨイの林があるとされる山域近く。黒尾は首の産毛がちくちく逆立つのが分かった。寒さのせいだと己に言い聞かせ歩を進める。
「おいビャク。離れるんじゃねえぞ」
鼻をくんくんと効かせながらウシガエルを探す白月へ声を掛けた。まだ獲物の気配はしないようだった。
「やっぱりもう冬眠しちゃったかも知れないですね……ちょっと土を掘り返してみるか…」
「泥だらけなのはごめんだぞ。お前もクルマも汚れるからな」
午前中にもかかわらず、ここは薄暗い。山らしい風景ではあったが、自然の力以外の何かが働いているようにも感じた。
その時―――。
「うぉっ!」
黒尾の目の前を、大きな一羽の鳥が横切った。
ピーヒョロロ、と猛禽類特有の鳴き声を響かせ、少し離れた樹木の枝に止まった。
「びっくりしたじゃねえか……なんだ? 鷹か?」
黒い尾を持つ大きな鳥が、こちらを見下ろすように見つめていた。
「すげえ綺麗な鷹だな……」
突然の猛禽類に警戒したが、こちらを威嚇したり襲ってくる様子はない。
むしろ、その威風堂々とした佇まいに黒尾は見惚れていた。
背中へドンと突撃を食らい、彼は我に返った。
「って、なんだよ」
振り向こうにも背中にしがみつかれ叶わない。すると背中の白月がぶるぶると震えているのに気が付いた。
「おい、どうした」
「………き」
「ん? 聞こえねえぞ」
「鷹は……ッ、蛇の、天敵です……!」
白月は黒尾の影に隠れ震え続けていた。
「あー……確かにそうだな。けど、もうずっとビャクのがでけえだろ? 大丈夫だって」
「まだ白蛇だった頃、鷹に襲われそうになったことが……」
背へ手を回し、ぶつぶつとトラウマを語り始めた白月をぽんぽんと宥める。
「落ち着けビャク。今お前は人間だ。襲ってくる鳥なんてなかなかいねえよ。それにほら、あのでかい鳥は大人しいぞ」
鷹は相変わらずふたりを見下ろしていた。というより、見守っているような気さえしてきた。
それほどまでに、あの鷹からはおおらかな雰囲気を纏っていた。
「あいつが襲って来たら俺が追い払ってやるから。こいつは俺のビャクだからちょっかいかけるなって」
「俺の、ビャク?」
怯えていたかと思えば、ぱっと明かりを灯したようになった。
黒尾がしまったと思う頃には遅かった。
「それって僕をお嫁さんにしてくれるってことですよね!?」
「なっ、言葉の綾だ。枕詞みたいなもんだ」
「わあ、ついに僕をタカのものにしてくれるんだ! 正式に!」
「おい、一人ではしゃいでんじゃねえよ! 正式にってなんだよ」
「だって、タカはだいぶ僕のこと好きなのに、それを認めようとしないんだもの」
「……てめえ。鷹に食わすぞ」
ふたりの喧騒を鷹は静かに見つめていた。
そして音もなく翼を広げ、山奥へと飛び去って行った。
「ほら、でかい鳥はどっか行っちまったぞ。人に見られたら気まずいから離れろ」
磁石のようにひっつく腕を引き剥がし、黒尾は進行方向へ向き直った。
「マヨイの林はもうすぐだ。山の天気は変わりやすいから、さっさと調べて帰るぞ」
「はぁい!」
やたらご機嫌になりながら、
白月は黒尾の後に続いた。
歩くこと十数分。
マヨイの林があるとされる山域へようやくたどり着く。
付近には『T町物語』の『マヨイの林』にまつわる立て看板がぽつんと立っていた。
(祠が建てられているのはもっと奥か……?)
とりあえずカメラを出し、その看板や風景を撮る。
「ねえタカ……なんかここ、変な感じ……」
虹彩を鋭く尖らせた白月が黒尾へくっつこうとした瞬間。
バサッ―――バサッ―――
頭上で大きな羽音が羽ばたいた。先ほどの鷹とは比べ物にならないほど、大きな羽音だった。
かと思うと、四方八方へ木霊するような低い声が木々の間を駆け抜けた。
「これはこれは……まさか、我が友、鷹寿ではござらぬか……?」
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