海の花嫁

蜥蜴の預言書

 “忘れられた姫の話を聞きたい? たった一人、時の消えた宮殿に佇む、そりゃあ綺麗なお姫様のお話だ!”


 預言者の書庫にある一冊が、無邪気にそう告げた。その本にタイトルは無く、開けば少し日に焼けた紙の上に燃えるような赤い体をした蜥蜴がいた。蜥蜴は本を開いた男の海の瞳をじぃっと見つめ、四本の脚で紙の中を自由に歩いている。蜥蜴の声に、男は目をキラキラと輝かせ聞きたい! と返事をした。


 “よし来た! これはとある古の国に生まれた姫様のお話さ。お姫様は暗闇に輝く星の如く鮮やかなイエローの瞳と、夜を思わせる黒いノワールの髪を持って生まれた。海に住むオマエでも、この二つが何を意味するかくらいは知ってるでしょ? そう! かつてこの大陸の海を枯らし、全てを破壊しつくした大悪魔様、リヴィルの色さ!”

 

 赤い蜥蜴の尻尾から、暗い夜空と黄色い星が散りばめられる。蜥蜴の声と本に描かれた星空に、男はごくりと息を呑んだ。


 “国の王は、己の妻から生まれた姫を見て呆然とした。民が待ちわびた、我が国初めての姫がまさか忌み色の子とは思わなかったから! 王は困惑した。愛しい妻は泣きじゃくり、出産の手助けをした医師は気絶してしまった。部屋には己と忌み色の子のみ。王は必死に考えた! 血の繋がった娘に背を向け、無様に両耳を塞ぎ、ひたすら考えたのさ。あの忌み色の子をどうするか”

 

 星空が消え、しゃがみこみ耳を塞ぐ男の背中が描かれる。蜥蜴は細長い瞳孔で男を見上げたまま、尻尾を左右に揺らしている。


 “そして王は閃いた。忌み色の子が生まれなかったことにすればいいって! 忌み色の子ではなく、普通の子が生まれたという事にすればすべてが解決する。そこからの王の行動はとても速かった! 信頼できる部下を呼びつけて、生まれたばかりの赤子を用意させた。国宝である神遺物を使って忌み色の子に関する記憶を全部消した! 女の子の赤ん坊を用意できなかったから、民の記憶も書き換えた。もちろん、そんな大がかりな神遺物の使用は大きな代償を伴う! どんな代償を支払ったかはどうでもいいよね。さ、賢く醜い王の話はここまでにしよう! オマエは早くお姫様の話が聞きたい、そうでしょ?”


 蜥蜴の問いかけに、男は首が飛んで行ってしまいそうなくらい頷いた。

 王の背中は消え、何も描かれないまま話が進む。


 “いいねいいね。忌み色の子に関する記憶を全て消して、書き換えられた後。お姫様は王によって、城から離れたとある宮殿に押し込められた。王はその宮殿にお姫様を残し、自分と部下の記憶も神遺物を使って消して書き換えた! これで、お姫様の事を覚えている人間は誰一人としていなくなったってワケ! 生まれたばかりの赤ん坊が、たった一人で生きていける訳ない。オマエ、今そう思ったでしょ? その疑問はごもっとも! でもそれはこの蜥蜴の預言をもってしても分からなかった! 分からないってことはそこまで重要じゃないってことさ!”


 思ったよりも早く結末に向かった蜥蜴の物語に、男は不満げに眉を顰めた。


 “あ、そんな不満そうな顔しないで! せっかく蜥蜴の預言を聞いてるんだ、そんな顔で本を閉じられちゃったら蜥蜴の誇りに傷がついちゃう。自由を愛するオマエに一つ良い事を教えてやろう! さぁ、蜥蜴に耳を近づけて”


 男は蜥蜴の言う通りに本へ耳を近づけた。少しざらざらとした質感が耳から伝わる。

 すると、少し離れた場所で興味なさげに立っていた男の相棒が、男の方を見た。

 

 “孤独なお姫様はそれはそれは美しいんだって! 海の底に沈む宝石よりも、有名な画家が描いた神よりも、お姫様は美しいんだよ。世界中のお宝に臨む海賊が、美しい囚われのお姫様っていう海賊心をくすぐるお宝を逃すはずないよね? 

 オマエはこれを物語として聞いてたかもしれないけど、これは蜥蜴の預言。預言書には実際に起こる事、起こったことしか記されない! つまり、この忘れられたお姫様は今もどこかの国の、どこかの宮殿で孤独に生きてるってことさ”

 「っあっつ!!」

 

 蜥蜴の声に耳を澄ませていると、耳たぶが燃えるように熱くなった。

 咄嗟に本を離してしまって、床に落ちる。男はじんじんと熱を帯びる耳を抑えて、顔を上げた。それと同時に聞こえてきた舌打ちに、男はあ、と小さく声を漏らす。

 どっと冷や汗が出て、額から頬へと伝った。

 

 「オマエ、何してるかと思ったら……それが何か分かってんのか」

 「よ、預言書……?」

 「そうじゃねぇよ、この間抜け」

 

 紫の瞳をした美しい男が床に落ちた蜥蜴の預言書を指さした。ちらりと預言書を見れば、小さな炎がページの上で燃えていた。 

 こつこつときちんと磨かれた革靴で、本を蹴散らしながら男の方へ向かってくる。小さな炎が燃える預言書を持ち上げ、ぱたんっと大袈裟に閉じた。男は怒られるような気配を察して、ゆっくりと後ろへ後ずさる。


 「逃げてんじゃねぇよ」

 「うぐっ」

  

 相棒は蜥蜴の預言書を男の方へ投げ付けた。美しい放物線を描いて頭に当たると、その衝撃で後ろへ倒れる。痛む頭を撫でながら、男は近づいてくる相棒を再び見上げた。

 相棒は自分が投げた預言書を拾い上げ、男の前にしゃがむ。


 「いいか間抜け。これは蜥蜴の預言書だ。この預言者の書庫で最も信じちゃいけねぇ、預言書のひとつ。オマエ、この預言書になに吹き込まれた」

 「……忘れられた綺麗なお姫様の話」

  

 渋々告げたその言葉に、紫の美しい相棒は大きなため息を吐いた。

 その次に紡がれる言葉が、相棒には分かっていた。そしてそれを拒む力を己が持っていない事に、また苦労する自分に対して舌打ちを放った。


 「行きたい! いや、行こう。このお姫様の所へ!」

 


 

 

 

 

 

 


 

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