慈愛の魔王、心が綺麗すぎたため異世界の勇者として召喚される
@ikkyu33
優しすぎる魔王
深遠なる虚無の闇に包まれ、魔王は玉座で静かに瞼を閉じていた。
その脳裏には、幾度となく繰り返される、忌まわしくも美しい滅びの光景が焼き付いている。赤黒く焼けた大地、灰燼に帰した村々、そして絶望の淵で倒れゆく、かつて「希望」と呼ばれた若き勇者たちの姿。
魔王はその惨状を直視することを拒むかのように、深く、深く目を伏せた。
漆黒の鎧に身を包んだその胸中では、王としての威厳とは裏腹に、繊細で静謐な祈りが捧げられていた。
「この手は、ただ奪うためだけに在るのか。……傷つけ合い、果てる。その因果を断ち切る道は、どこにも無いのか……」
魔王という存在は、人類にとっての不倶戴天の敵であり、理不尽な恐怖の象徴。その宿命を誰よりも理解していながら、彼の魂の深奥では、常に「別の生」への渇望が燻っていた。
強大な魔力という、破壊を約束された力。それを誰かの幸福を守るために振るうことはできないのか。殺戮の王座に座りながらも、彼は夢見ていたのだ。
忠実なる側近たちは、主君の背中に漂うその優しすぎる憂いに困惑を隠せない。
「魔王らしくない」と不満を漏らす将もいたが、主はただ静かに微笑むだけだった。そして戦いの火蓋が切られるたび、彼は敵対する兵士たちの無事を、冷たい鉄の仮面の下で人知れず祈り続けていたのである。
転機は、あまりに唐突に訪れた。
魔城の最深部、永劫の静寂が支配する謁見の間に、突如として異質な光が奔流となって降り注ぐ。
それは魔族の禍々しい魔力とは対極にある、慈悲深く温かな、天より賜りし黄金の光。光に包まれた魔王の肉体は重力を失い、空へと吸い上げられていく。
意識が眩い白光に呑み込まれ、視界が完全に白濁したその時、耳を打つ声があった。
――「異世界からの『勇者召喚』、これにて完了いたしました!」
再び目を開いた時、そこは冷たい石壁の城ではなく、ステンドグラスから聖なる陽光が差し込む煌びやかな神殿であった。
魔法陣の中心に立ち、困惑に目を細める魔王の足元。そこには、数多の人間たちが跪き、震える手で祈りを捧げ、畏怖と敬意が混ざり合った眼差しを彼に向けていた。
「暗黒に沈む我らの世界を救うため……どうか、その大いなる慈愛で我らを導き給え!」
彼らは、召喚された存在が魔の王であることなど露知らず、ただ純粋に、自分たちを救う「救世の勇者」として彼を崇めていたのである。
「救世の……勇者だと?」
魔王の脳裏に、長年抱き続けてきた自己矛盾と、叶わぬはずだった願いが渦を巻く。
破壊の王としてではなく、救済の希望として求められる――その逆説的な現実に、彼の唇がわずかに震えた。
「もしかして、これは……。天が、私に与えた新たな使命なのか?」
鉄のように硬く閉ざされていた魔王の表情が、春の雪解けのような穏やかな笑みへと変わる。
それは、呪われた運命からの脱却。
新たなる世界の曙光の中、救世主となった魔王の一歩が、今、静かに踏み出された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます