線形世界

木穴加工

プロローグ

 轟音を立てて、電車がホームに突入する。

 ぴぃーという甲高い笛の音とともに開いたドアから、堰き止められていた川のように乗客一斉に溢れ出した。


 その人の流れを縫って泳ぐ魚のように一人の少年がすいすいと進んでいく。

「危ないので走らないでくださーい」

 という駅員の声は届かない。

 階段に差し掛かる。

 少年は迷わず「上り」側を駆け下りて行く。

「ちょっと、危ないじゃないの!」

 振り返った女性の視線の先にも、すでに彼の姿はなかった。


「あ〜もう早くしろ」

 改札機に定期券を差し入れた少年はまるでエネルギーを貯めるかようにその場で膝を曲げる。排出された定期を抜き取るや否や放たれた矢のように飛び出し、駅から続く長い坂を風のように駆け下りていった。


「あら、ユウくん」

「こんにちわ、おばさん!」

 半年ぶりに見た親戚の顔も、相川ユウキの足を止める理由にはならない。

「図書券ありがとう!」

「気をつけてね〜」

 と言う女性の声は少年の耳には入っていなかった。



「ただいま!」

 乱暴に靴を脱ぎ捨てると、ドタドタと音を立てて階段を駆け上る。

「あ、ユウくん!さっき仲町のおばさんが来てね、エクレア置いてってくれたんだけど食べる?」

「途中で会った!もう出かけるから要らない!」

 ドタドタ、今度は駆け下りる音。ドン、最後の3段は飛び降りた。

「ちょっとそんなに急いでどこ行くのよ。まさか」

 ビシャ、という玄関の引き戸が閉まる音を聞いて、母親は残りのセリフを飲み込み、かわりに大きなため息を吐いた。

「あいつももう高校生なんだし、好きにやらせてやれ」

 休みの父親は相撲中継に釘付けのまま言う。

「普通の友達と遊ぶだけなら私だって止めないわよ!」

 何も知らないくせに、母親は声を張り上げる。

「あの子河原に行ってるの」

「河原?」

 想定外の事実に父親は顔を上げた。

「そうよ、あの野蛮人たちの村に行ってるのよ」

「ベルベルか...」


 父親が腹の底から唸り声をあげていたその頃、少年は既に自転車のスタンドを蹴り上げ、勢いよく道路へと飛び出していた。


 市役所の前を通り、国道を渡って、なおも坂を降りてゆく。道の両脇が森になり、カーブが続く。それが終わると砂利道になる。ここに来てユウキはようやくハンドルを握る。


 足元の砂がだんだんと細くなり、サドルに伝わる振動が収まってくる頃、目的地が見えてくる。大きな川を背に巨大な白い岩のようなものがいくつも並んでいる。


 その一つの前にユウキは自転車を停める。

 この距離まで来ると、目の前のデカブツは岩などではないことが分かる。完璧に平坦なその表面はつや消し加工されているものの、明らかに人工的な素材でできている。


 近づくと壁の中央付近に青い円が現れる。円は2、3秒ほど上下左右にランダムに動いたのち、少年の目の前で停止すると、耳あたりの良い女性の声流れた。

『こんにちわ、アイカワ様』

「やぁ、サチマちゃんいる?」

『いらっしゃいます、どうぞお入りください』


 今まで継ぎ目のない完璧な一枚板だと思っていた壁面に、人ひとりが通れそうな大きさの穴が突如として現れた。


「お邪魔しまーす」

 穴を抜けると背後で音もなく壁はもとに戻った。

『念のためナノマシンによる除菌を行います。なおこれは人体への―』

「大丈夫だよレイチェル。いつもやってるから」

『承知しました』

 何処からともなく柔らかい風が吹き出し、少年の全身を優しく撫でる。これでどうして除菌が出来るのか少年は知らないし、興味もなかった。


 風がやむと、再びユウキの前に空洞が現れる。その先に一人の少女立っていた。

「いらっしゃい、ユウキ」

「や、やあ、サチマ」

 驚嘆とともに少女の姿を見る。


 ベルベル伝統の白いワンピースから覗く細くて長い四肢、不自然なほどに(ユウキの母親の言葉を借りれば、「病的に」)透き通った白い肌、長い金髪はどういう理屈なのか所々キラキラと光が瞬いている。

 何度見ても不思議な光景だ。少年の美的感覚に当てはめればやはり気色悪さが先立つが、これはこれである種の美しさがあるようにも思えた。


 そう考えることも真主の教えに背く罪なのだろうか。


 少女の後に続いてリビングルーム、というより今現在はリビングルームとして使われている部屋に入る。街の家とは全く異なるその構造にユウキは最近ようやく慣れてきた。

 ベルベルの家にはなにかの目的のためだけの部屋、という効率の悪い物はない。すべての部屋が兼用になっており、必要に応じて変形することで特定の役割を果たすのだ。


「流石にトイレは別なんだよね」

 念のため確認したことがある

「トイレ行きたいの? レイチェル!」

『はいお嬢様、ただいま隣の部屋にトイレを形成しました。どうぞお使いください』

 というのが使用人AIの返答だった。


「今おやつを食べてたところ。さぁ座って」

 サチマはダイニングテーブルの前に腰掛ける。と同時に、テーブルを挟んだ向かいの床面が迫り上がり、瞬く間にもう一脚の椅子が形成された。


 サチマの目の前には食べかけのフルーツパフェが置かれている。

「ユウキも食べる?」

 美味しい、と満面の笑みを浮かべながら少女は尋ねる。

「え、これって」

「いやいや、新しいやつ出すよ」

「いや、そうじゃなくて」

「うん? ああそっか、フォージ駄目なんだっけ」


 分子調理栄養炉モレキュラガストロミックニュートラフォージ。ベルベルの家にある唯一にして万能な調理器具。こいつが作り出す料理は本当に美味しそうに見える。でも自分がそれを口に入れることを想像しただけで、少年は吐き気を抑えられない。


 分子レベルで合成された食べ物だなんて。


「僕はこれにするよ」

 と言って大きな水筒とともに家から持ってきたクッキーを出す。小さい頃からお世話になっている洋菓子屋の人気商品だけど、サチマのパフェと並べるとどうも見劣りする気がして仕方なかった。


 おやつを食べながら、いつものようにサチマは学校の出来事を教えてくれとせがむ。クラスメイトが先生に怒られた話、誰と誰が付き合ってるという噂、渡り廊下の謎の落書きなどといった他愛のない話を聞くのがサチマは好きだった。


「私も学校行きたいなあ」

「サチマにはレイチェルがいるから必要ないだろ」

『もちろんです。RACHELは“Residential Assistant for Communication, Housekeeping, Entertainment and Learning”の略ですから、学習についても極めて専門的なプログラムをー』


 実際、その通りだった。以前サチマに宿題を見てもらったことがあったが、鬼と評判の須田先生の課題も彼女はサクサクっと解いてしまった。

「そういうことじゃなくてぇ」

「学校は楽しいこともあるけど、面倒事のほうが多いぞ」

『それに、学校のような人口が密集する場所では各種伝染病が蔓延しています。おすすめしません』

「なによふたりして」

 サチマは拗ねたように口を尖らせた。


「ベルベルの」

 と言いかけて、それが蔑称であることを思い出した。サチマ達を「野蛮人」と呼ぶ大人と違い、ユウキは公の場などで使われる「ベルベル」という言葉を選んだが、本人たちはそう呼ばれることもまた好きではなかった。


継承者エリティエよ。私たちは自分たちのことをそう呼ぶの」

「エリ..の子どもたちはどうやって友達になるの?」

 実はそれがずっと気になっていた。そもそもサチマが家の外に出ているのを見たこともない。

「PCよ」

「パソコン?」

『プレゼンスコミュニケータです』

「知らない言葉だ」

「今度見せてあげる」


「ごちそうさま」

 と言ってサチマが立ち上がるとそれが合図だったようにパフェの容器がするりと溶けて、テーブルの表面に吸収されていった。

「今日はPCよりももっと楽しいことしましょ。ホロコミ読む? テニスする? それともセックス?」


「セッ...」

 ユウキは耳元まで真っ赤になった。

 少女はあちゃあ、と口元に手を当てる。

「またやっちゃった」

『アイカワ様、誤解のないように申し上げますがー』

「ああ、うん大丈夫。びっくりしただけ」


 ベルベルたちはそに繁殖を100%人工出産育児装置に依存している。そんな彼らにとってセックスはただのありふれた娯楽の一種になって久しい。と以前レイチェルに教えてもらった。

 このやり取りを母親に聞かれた殺されるな、ユウキはそう思った。



 ホロコミ(ユウキの知っている漫画とアニメの中間のようなもので、1コマ1コマの絵がそのまま動くのだ)を読み、家全体を使ったコートで汗を流したあと、ユウキは名残惜しそうに別れを告げた。


「そろそろ帰らないと母さんに殺される。明日また来ていい?」

「いいよ。あ、そっか」

 少女は少し逡巡したあとに

「明日はカリムの友達が来るんだけど、一緒にお話する?」

 と言った。


「カリムって、『旅民』の?」

 少年は耳を疑った。旅民はほとんど伝説上の存在だ。真人とは文化上は相容れずとも物理的には近くに住んでいるベルベルと違い、旅民はどこにいるかも分からない。多くの真人は一生に一度も目にすることない、そういった類いのものだった。


「うん、そう」

 といって少女は眉をひそめ、

「でもその呼び方、本人の前では使わないほうがいいよ、カリムはそう呼ばれるのを嫌うの」

 と軽くたしなめた。


「ごめん、つい」

 ユウキはバツが悪そうに言った。

「大丈夫。じゃ明日ね」

「うん、楽しみにしてるよ!」


 新たな出会いに期待に胸を膨らませる少年。しかしこれが彼の運命を大きく変えることになると想像するには少年は余にも幼く、無垢だった。

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