【track.01】②
スマホを手に寮に戻ると、そこには日常の風景が広がっていた。やっと戻ることができたと、ユウはゆっくりと深呼吸をした。玄関を上がってすぐある談話スペースに深く腰掛ける。どっと疲れが溢れ返る感覚があった。
……しかし、そうも言っていられない。人気のない夜の学校に現れた死神現象なる怪物に、【ココロのウタ】――脳裏をよぎる目まぐるしい情報の数々は、寝落ちを許してはくれなさそうだった。
「学校の様子は、しかと見ましたね?」
『……はい』
リオンもうつむきがちに小さく首肯する。校舎の中には誰もおらず、代わりにあの死神現象とやらが縦横無尽に闊歩していた。異様な光景は、落ち着いて考えられる今でもあまり信じたくはない。
「貴方達を早く逃がそうとしたのは、あれが要因です。ガス管の問題も専門の業者による検査も、偽りです。すべては死神現象の被害から生徒を遠ざけるための方便なんです。教師の方々は私が直接認識を操作して帰ってもらっていますが」
認識操作とは、音枝レンリを見てもバーチャルシンガーだと思わないことと同じものだろうか。考えに耽っていると、リオンがそっと挙手した。
「あ、あの……その死神現象って、なんですか……?」
同意見だと、ユウも頷く。幽霊だか怪物だかのたぐいだとは分かっても、実態がようとして掴めないのは心地が悪かった。
「それは――」
「――なんだ、お前らも死神現象に遭ったのか」
「なになに~? 事件の予感って感じ~?」
凛とした声が階上の廊下から響いたかと思えば、追って軽薄なハスキーボイスが続いた。向けた視線の先にいたのは、これまた凛と咲く花のような少女と、ミルクティー色の豊かな髪を艶やかに巻いた人物だった。降りてくると、柔らかな色合いのカチューシャが目に留まった。
【選択肢①・②】
『男子生徒?』 『女子生徒?』
「今時、そういうのってば流行らないぞ~? どっちにしたってボクはボク、
【選択肢③】
『あなたは?』
「ボクは
「どこが『清く正しい』んだか。今週は何日出席したんだ?」
「んも~! 余計なこと口挟まないでよ~!」
「というか、一緒にいるのは栗根か」
凛とした声の主が、すらりとした足取りで階段を下りていく。
「鳴護さん……」
リオンが名字を呼ぶ。どうやら既知の相手のようだ。呼ばれた少女も「お前も運がないな」と蓮っ葉に返していた。
『彼女は?』
「
「どうも。死神現象の話なら、私も混ぜてくれよ」
ぐいと顔を突き出されると、鼻梁の通りやまつ毛の長さがよく分かる。人の美醜にあまり興味を持たないユウでも、並大抵の美人ではないことが理解できた。顔周りが露わになるショートヘアでもそれが揺るがないのが証拠だ。だが澄んだ瞳はらんらんと興味に輝いており、曲者の雰囲気を醸し出していた。
「ボクもあれが相手だとちょ~っと気が乗らないけど、まあ巻き込まれちゃった子がいるんじゃあ仕方ないよね~」
音枝レンリは「そうですね。話を始めましょう」と短く嘆息し、改めて死神現象について話し始めた。
「死神現象はあのとおり、超常の化け物です。この世界の理で解きほぐせる事柄ではありません。そのことを理解してください」
「『理解してください』って、突然言われても……」
「分かる分かる。あんなの『理解しろ』っていう方が土台無理っぽいよね~」
リオンの苦悩にムツハが同情するのもよく分かる。宇宙人ですら信じる人・信じない人に分かれている世の中なのだ。後者に本物を見せたとして、はいそうですかとすんなり信じてくれるかといえば、難しいことのように思われた。
「『理解してください』は『理解してください』だよ。それ以上でも以下でもない。お前らも実際に遭ったっていうんなら、あれがまともじゃないことぐらい、直感的に判別つくんじゃないのか?」
「そ、れは……」
ミチルの言い分は理解に足る。あれは幽霊の正体見たり枯れ尾花などと言えるようなものではなかった。実体があり、しかし不可解で、それこそバーチャルシンガーの音枝レンリがここにいる事実と同義の超常性を有していた。
「そっちのはなんとなく分かってるっぽいな」
【選択肢①】
『そんなにすんなり受け入れられるもの?』
「私が遭った時は力任せに殴りかかったけど、傷一つ負わせられなかったからな。信じる他なかったよ」
【選択肢②】
『信じざるを得ないよ。あんなものを見た後じゃ』
「まあそうだよな。それに【ココロのウタ】まで手に入れたんじゃ、信じる他ないだろうし」
「まあいいさ。『信じられない』って言って現実逃避する輩より、よっぽどマシだ」
『でも、一つ訂正』
「ん?」
【選択肢】
『私は
『僕は
「ああ、悪い悪い」
謝罪はフランクだったが、言葉の響きは決して軽くはなかった。それなりに悪く思ってくれたらしい。
「簡単に言っちゃえば、死神現象がまともじゃないバケモノで、普通じゃ歯が立たないから、【ココロのウタ】でどうするしかないってこと」
「あれを放っておけば、いつ教員や生徒が被害に遭うか分からない――本音を言えば、音枝レンリはあいつらを退治してほしいんだよ」
『え、』
今度こそ、リオンは言葉を失った。自分自身から発せられた間抜けな音を耳で拾い、ユウは得体の知れない寒気に駆られていた。
あれとまた戦う?
――本当に?
「まあ……そうなっちゃうよねぇ、普通はさ」
「強制ではありません」
鈴めいた音枝レンリの一言が、混濁しつつあった場を一瞬で清める。
「私も一教師である以上、生徒達が危険に首を突っ込むような行いは看過できません。あくまで任意で、夜の学校に潜む危機を取り除いてほしいだけです。先んじて言ったように、強制ではありません。成績に響くようなこともありません。ただ……」
ほんの少し言い淀んだ時、音枝レンリは憂いを帯びた少女の顔をしていた。
「ただ……今回は了承が取れたからと、君本さんには軽率に【ココロのウタ】を授けたと反省しています」
消え入るような言葉尻は、夜の静けさを引き戻した。コチ、コチと、壁に掛けられた振り子時計がリズムよく時を刻む音だけがこだまする。誰しもが二の句を継げずにいた。
「…………ん?」
だからだろうか――バタバタというけたたましい足音が玄関方面から聞こえてきたことが、ハッキリと分かった。そのままただならぬ気配が寮へと飛び込んできた。
「た……助けてくれぇええええーっ‼」
女子を俵抱きした男子が、命からがらといった雰囲気で転がり込む。開け放たれた観音開きの扉の向こうからは、先程と同じ死神現象が追いすがってきているのが目に見えた。
「私の出番だな」
「えぇ~、ボクは全然やりたくないんだけど~!」
「ならやらなくていいぞ」
「でもでも、流石に襲われてる人ガン無視は人道的にどうかと思うでしょ」
「人道的とか、お前にそんな意識があったんだな」
「んも~! 未散、辛辣~!」
意気揚々とミチルが立ち上がる。渋々といった面持ちのムツハよりも先に、ユウが隣に並ぶ。
「どうした? やらないんじゃなかったのか?」
『それはそれ、これはこれ。見て見ぬふりはできない』
「ふうん。でも手があるのは純粋にありがたい。礼を言うよ」
敵を見定めながら首肯で返し、ユウは神経を尖らせた。あの時と同じ、なんとかしようと死に物狂いになる気持ちを蘇らせて迎え撃つ。【ココロのウタ】が応えるように姿を現した。
『さあ……やろう!』
【戦闘】
「お前……意外とやるな。どうだ? 私と一緒に死神現象退治をしないか?」
【選択肢】
『前向きに考えておく』
『遠慮しておく』
『まだ分からない』
「まあいいさ。臆病風に吹かれないだけ希望がある」
「……って、ああああああああぁーっ⁉」
シニカルなミチルをよそに、女子の悲鳴が鼓膜を揺らした。俵抱きされながらも手を離さなかったそれの惨状を見て、堪らず感傷に駆られたらしかった。
「き、期間限定のほうじ茶クリームフラッペがああああーっ‼」
「あ、あれコーヒーショップ『ブレイクタイム』の新作ドリンクじゃん。ボクも明日飲~もう」
打ちひしがれる声のとおり、ほうじ茶クリームフラッペなる期間限定商品はまんべんなくシェイクされ、薄茶色のとろりとした液体と化していた。
「お前なぁ……こっちはバケモンから必死でお前を引っ張ってきたんだろうが! ちったぁ労いの言葉ぐらい言え! というか、そもそもお前が『夜だけど甘いもの欲しい~』とか言って抜け出すから、心配して付き添ったんじゃねぇか!」
「なによ! JKが流行に命懸けんのは当たり前でしょ!」
「本当に命懸けることになるとは思わねぇだろ!」
「ふ、二人とも、言い合いはそれくらいに……」
あわあわしながら、リオンが止めに入る。両者は一歩も譲らなかったが、人目があると気づいて矛を収めるに至ったようだった。
「そういえば、さっきのってなんだ?」
「なにって、音枝レンリでしょ。バーチャルシンガーの」
「いやだから、なんでそんなのが現実にいたのかって話なんだが……」
「――皆さん、お揃いになりましたね」
まさしく鶴の一声。音枝レンリが発した言葉に、一同が釘付けになる。
「遠からぬ未来、こうなることは想像できていました」
『先生……?』
「皆さんの共通項はお分かりですね?」
音枝レンリの謎めいた問いかけに、ユウ達はそれぞれ顔を見合わせた。流石に転校したばかりのユウには、逃げ込んできた男子と女子の取り合わせに既視感はなかった。そこに「寮生、だろ?」とミチルが正答を導き出す。
「まさか六人いるうちの二人も脱走してるとは思わなかったけどな」
「六人……ってぇことは、」
「名前を聞いてピンと来たよ。そこの見ない学生が新顔の寮生だってさ」
『君本侑です。よろしくお願いします』
ミチルに紹介され、ユウはぺこりと二人へと頭を下げた。会釈が返され、続けて二人が自己紹介をする。
「俺は
「あたしは
「――顔合わせが済んだところで、本題に入ります」
丁度いいタイミングで音枝レンリが話をまとめる。ダイキとチハツも音枝レンリを正しく認知したが、よもや同じ寮生だったとは。偶然にも程があると思っていれば、音枝レンリが重たそうに口を開いた。
「この寮内にいれば問題はありませんが、今後、皆さんは死神現象に狙われることでしょう。そのためにも、【ココロのウタ】に覚醒しておいてほしいと考えています」
チハツが「ねえねえ、【ココロのウタ】ってなに?」とダイキを小突き、「いや、知らねぇよ……」と素っ気なく返されるのを尻目に、ユウは言いようのない焦燥感に駆られていた……その予感が正しかったと知るのに、そう時間はかからなかった。
「あ、あの、夜に学校へ行かなければいいだけの話では、ないんですか……?」
「はい。夜間、外に出るだけで狙われます。というより、死神現象は貴方達を主たる獲物として狙ってきます。だからといって、他の生徒や教員が狙われないというわけではありませんが……」
「狙われる、って……引き寄せるなにかが、僕らにあるってことですか?」
そうして、音枝レンリは衝撃的な事実を告白した。
「貴方達が――既に死んでいるからです」
『え……?』
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