今日からここは駅になります。
葉月クロル
今日からここは駅になります。
「ということで、よろしくお願いします」
血塗れの男が頭を下げると、ポタリと眼球が落ちた。その後を追うように、粘っこい血がつうっと畳に落ちる。ついでに神経繊維もねばっと伸びる。
「よろしくじゃないです、お断りです! あと、その目玉! 今すぐ拾って! 汚いから垂れた血も拭いて!」
「……わたしが消えたら、痕跡はすべて無くなりますので、どうかご容赦を……」
セーラー服の美少女であるわたしに「汚い」と言われた男は、眼窩に眼球を戻しながら悲しげに言った。しかし、我が家を血で汚されて黙っている訳にはいかない。
「変なことを勝手に決めないでください。なんでうちが『霊道列車』の駅なんていう変な施設に使われるのよ」
真夜中に突然現れたこの男は、自分を霊界の駅長だと名乗り、こともあろうに我が家が駅に決まったなどという世迷言をわたしに告げたのだ。
「勝手というか、たまたまここに霊道ができてしまって……しがない駅員のわたしどもにはどうにもできないのでございます」
深く頭を下げようとした、駅長だという制服の男を止める。
「やめて。また目玉が落ちると困るし」
男がぷるぷると震え、ちぎれかけていた耳が落ちそうになった。わたしは「耳!」と言ってびしりと指さし、落下を未然に防がせる。
「あのね、ここは無垢な女子高生であるわたしとまだ小学生の弟が、遠隔地に赴任している両親を待ちながら暮らしている小さな戸建てなの。霊道だかなんだか知らないけれど、駅にするような場所じゃないんです。お願いだから、わたしたちの邪魔をしないでちょうだい。あと、うちの床に変な汁を垂らすのもやめてください」
「本当に申し訳ございません。汁のことなら心配はご無用です、朝になると固形物も液体も全部消えますので。できることならわたしどもも、ご迷惑にならないような別の場所に駅を作りたいのです。けれども、この付近ではこの場所が1番霊気が多いため、どうがんばっても霊道を
『お姉ちゃあん……』
階段の方から弟の雄太の声がした。わたしたちの話し声で起きてしまったのだろう。
『お姉ちゃあん、お姉ちゃあん』
「はーい、今行くからお布団に入っていなさいねー。ほら、雄太が起きちゃったじゃない!」
腐りかけた駅長だなんて教育に悪いものは、まだ幼い雄太に見せたくない。
わたしは立ち上がり、ふすまを開けて廊下に出た。
「わかったわ。そのかわり、発車のベルとかうるさい音はたてないでくださいよ。わたしたちは2階にいるから、そっちには絶対に上がって来ないでね」
「承知いたしました、ありがとうございます」
あまりにも深く頭を下げた駅長の眼球がふたつとも畳に転がるのを見てため息をつき、わたしは雄太を寝かしつけるために2階に上がった。
そして、この日からうちは霊道列車の停車駅になってしまったのだ。
「この辺は、お化けが出るらしいよ」
「ええっ、気持ち悪いな。下手にスマホで写真を撮ったりしない方がいいね」
台所にいると、外を通りがかった人の話し声が聞こえた。
「嫌だな、噂になってる」
わたしたちは目立たないようにしてひっそりと暮らし、両親を待っているのに……こういう噂が立つと、絶対に変な人に目をつけられるに決まってる。
『お姉ちゃあん』
雄太の泣き声がした。
「やだ、今子どもの声が聞こえなかった?」
「気持ち悪いから早く行こう」
パタパタと足音がして、失礼な話し声は遠ざかった。
『お姉ちゃあん』
「はいはい。今行くからねー」
わたしは2階に上がった。今夜もここは列車を待つ人で賑わう駅になるのだ。
「こんなこと、いつまで続くのかな」
わたしはため息をついた。
「ここが今話題の心霊スポットですね」
話し声を聞いて、わたしはびくりと身体を震わせた。そっと外を覗くと、カメラや照明機材、マイクなんかを持った人がうろうろしている。
真ん中にいるのは、手に水晶の数珠を持った中年の男性だ。
「あれ、あの人ってテレビで見たことがある人だ! 霊能者とかお祓い屋とか、そんなことを言ってたよね」
「それでは、スピリチュアルアドミッショナーの
スピリチュアルア……なんか、洒落た名前だったわ……。
「……ふむ。この場所には悲しみが残留思念として残されていますね。過去に何かか不幸な事件があったようです」
ひとんちに、適当な過去を作らないでほしいわ。住んでる人に迷惑だと思わないのかな。
「おお、これは……ひとり……いえ、ふたりですね。違う、やっぱりひとりです。強い想いでこの場所に縛られている、気の毒な魂が見えます。この人物を浄化して、天に還すことができるか、挑んでみましょう」
スピリチュアルな人が、何かに挑むらしいけど、大丈夫かな?
そろそろ電車がやってくるんだけど。
「おや、お珍しい。どうかなさったのですか?」
どこからか、この駅の駅長がやって来た。今日も全身が腐っている。
「あなたたちが騒ぐから、このうちが目をつけられちゃったじゃない。テレビ局の人が来ちゃってるんですよ。駅長さんが追い払ってください。わたしは雄太のところにいますから、お願いしますね」
「ええっ、テレビ局ですか? 視聴率のためなら命も惜しくないんですねえ……」
駅長さんがため息をつくと、口からボロボロっと歯が抜け落ちたので、わたしは指差して「拾って!」と言った。彼はひとつひとつ歯を拾い、歯茎に差し込んでから言った。
「しまった、歯を拾っていたら信号を赤にするのが遅れてしまいました。これでは列車が……」
外から、ものすごい悲鳴が聞こえた。
あーあ、テレビ局の人が列車に轢かれちゃったよ。わたしのうちの前は、肉片とか血とか内臓とか骨とか、いろんなものが巻き散らかされて大変なことになっている。
「……あれ、朝になったら消えるんですよね?」
「消えませんよ」
「嘘でしょ!」
「あれは現実の物ですから……でも大丈夫、テレビ局の皆さんの魂は、このまま列車に乗って行きますので……」
わたしのうちの玄関から、たくさんの人が外に出てきて、止まっていた列車に乗り込んだ。その後を、カメラなどの撮影機材を持った人たちが続いて乗り込んでいく。
「あれ? スピリチュアルな人がいない」
「彼は無事みたいですよ」
見ると、蒼白になった男性が手に持った数珠を天にかざしながら、何やらお経のようなものを唱えている。
「本物のすごい人だったんだ! 雄太、雄太、ちょっと来てご覧よ」
わたしが2階に向かって叫ぶと、カタカタと乾いた音を立てて雄太が階段を降りてきた。
『お姉ちゃあん』
「雄太、なんか今夜はわたしたちも列車に乗れそうな気がするから、行っちゃおうよ。あの人のおかげかもしれない、スピリチュアルア……の人」
『お姉ちゃあん』
真っ白な頭蓋骨の隙間から掠れた音を出す雄太の手を、わたしはしっかりと握って玄関の外に出た。そのまま手すりにつかまって列車に乗り込む。
「ありがとう、スピリチュアルの人!」
手を振りながらお礼を言うと、本物のすごい人は顔を引きつらせて、さらに大きな声でお経を唱えた。そうしたら、雄太の身体に肉がついた。
「お姉ちゃあん、僕、ちゃんとなった!」
「良かったね、雄太。カッコいい姿でお父さんとお母さんに会えるね」
「うん!」
振り返ると、わたしたちの家は炭になり、消えてしまった。
50年くらい前、両親が旅行に行った日、わたしたちは火事になった家から逃げ遅れて死んでしまったのだ。
ちなみに、うちに放火した犯人は捕まりそうになって焼身自殺している。自殺だから救われずに、まだどこかで燃えながら歩いているはずだ。50年も燃え続けているなんて、熱い男だよね! テレビの人も、そういう人を取材すればいいのに。
「発車オーライ!」
わたしたちは、高らかに掛け声をかける駅長さんに手を振った。
列車が走り出す。
「バイバーイ」
雄太も元気に手を振っている。
手を振り返す駅長さんの指がもげて、ボロボロっと落ちた。
でも、もう何を落とされても構わないんだ。
だって、わたしたちはもう、あの家に戻らなくていいんだからね。
fin.
今日からここは駅になります。 葉月クロル @hazuki-c
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