光に焼かれた一人の誰か
@akahara_rin
光に焼かれた一人の誰か
仕事を辞めたい。
おそらく、この欲求を抱えている人間は多いだろう。
だがその大半は、辞めるきっかけを見つけられず、惰性のままに仕事を続ける。
斯くいう私も、その一人だ。
小児科医という仕事を選んだことに、大した理由はない。勉強が得意で、収入が良い仕事を選びたかった。
たったそれだけ。
それだけで選ぶには、随分と割に合わない仕事だ。
そして今日も惰性のままに、教授直伝の笑顔を貼り付けて診察をしている。
もちろん適当な仕事をしているわけではないが、心を込めるのを辞めたことを咎めないでほしい。
病気は、必ずしも治らない。
医者の腕とは関係無く、そういうものなのだ。
「どうして治せなかったの」
なんてのは、本当は私が聞きたいことだ。
心を込めれば込めるほど、私だって傷つく。
だから、私は今日も惰性のままに仕事をする。
◆
うちの小児科の入院病棟には、遊戯室がある。
息の詰まる病院における、子供にとって唯一の遊び場だ。
「――♪、――♪」
そんな場所から、歌声が聞こえた。
それ自体は、別に珍しいことでもないが。
「……上手いな」
声質からして、歌っているのは子供、患者だろう。
ふと気になって、私は遊戯室を覗いてみることにした。
「いぇーい!」
そこには、周囲の看護師や他の患者から拍手を受ける
「あっ、先生! 聞いてたの?」
からからと音を立てて、車椅子に座った陽花莉が近づいてくる。
付き添っていた彼女の母親に軽く会釈をして、私は作り慣れた笑顔を浮かべる。
「うん。綺麗な歌が聞こえたから、気になってね」
「えー? ほんと? 上手かった?」
「すごく上手だったよ。将来は歌手さんかな?」
「ううん! わたしはアイドルになるの!」
「アイドルか」
私はチラリと彼女の車椅子を見て、当然のように嘘を述べた。
「いいね。きっとなれるよ」
不治の病、というわけでは決してない。
だが普通に歩く程度ならともかく、歌って踊るのはまず無理だ。
しかし、そんなことを子供に伝える意味はない。
「そうだ、陽花莉ちゃん。そろそろ検査だけど、準備はできてる?」
「あ、お母さん」
「できてます。そろそろ向かおうかと……」
「そうですか。では、また後ほど。陽花莉ちゃんも、後でね」
「うん、またね!」
朗らかに笑う陽花莉に見送られて、私は遊戯室を出た。
◆
その後、陽花莉は瞬く間に快復していった。
けれど、やはりそれは予想通りの域を超えることはなく。
彼女は、激しい運動ができる身体にはならなかった。
「先生。わたし、これ以上良くならないの?」
今は彼女の両親を排した、カウンセリングの場だ。
だから、私は純粋に陽花莉と向き合うしかない。
「……そうだね。リハビリの経過次第だけど……」
「気にしてる? アイドルになりたいって言ったこと」
ズバリと言い当てられ、一瞬言葉に詰まった。
それだけで、察せられるには充分だったのだろう。
「良いよ、気にしなくて。別に踊れなくたって、アイドルにはなれるから」
「……そうなんだ?」
「アイドルは、好きになってもらうのがお仕事だからね」
決してそれだけではないと思うが、自信に満ちた笑みに水を差そうとは思わなかった。
「陽花莉ちゃんは、強いね」
代わりに出た言葉に、一切の嘘は含まれていない。
「先生は弱いよね」
「言ってくれるね」
「怒った?」
「いいや、全然」
事実を指摘されて良い気はしないが、それでも怒るほどではない。
お互いにヘラヘラと笑いながら、話を続ける。
「でも、どうしてそう思われたのかな?」
「この前、拓海くんのお母さんに滅茶苦茶怒鳴られてたじゃない? その後の先生、すっごい傷付いた顔してたよ」
「そんなの見てたんだ。悪い子だね」
苦い記憶が、鮮明に甦る。
救えなかった少年の顔が、ふと思い浮かんだ。
「別に、先生の所為じゃないと思うよ?」
「……いいや、あのお母さんの所為じゃないし、もちろん拓海くんの所為でもない。私の所為だよ」
「面倒くさいね。先生は」
椅子の背もたれを軋ませて、陽花莉は呆れたようにそう言った。
「なら、こうしよう」
立ち上がった陽花莉が、アイドルのようにくるりとターンした。
まるで、良くなった足を見せつけるように。
「わたしが、世界中の人を救ってあげる!」
その笑顔は、陽射しの如く輝いている。
「そんなわたしを治したのは先生なんだから、先生は世界を救ったみたいなものってわけ!」
「それはちょっと無茶じゃない?」
「良いの! わたしがそう言ってるんだから!」
暴論としか言いようがない、無茶な理屈。
だけど何故だろう。
どこか救われたような心地がした。
「だから先生も、未来のわたしのファンを減らさないように、頑張ってよね!」
◆
あれから、十年ばかりが経った。
私は今日も、惰性のままに働いている。
『はい、ありがとうございましたー!』
付けっぱなしのテレビから、アナウンサーの声が響いた。
『続いての歌唱は、宮増陽花莉さんです!』
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