前略_平行世界と思しき世界に来ましたが、俺は元気にやってます。

江古田ワミコ@うなぎパイ信者

第1話 起きたら知らない場所にいましたが、俺は元気にやってます。

 惨めだ。というか、滑稽だ。

 電気をつけ忘れたトイレに居座り、思考を巡らせる。

 暗いから自分の姿は確認できない。だが、吐瀉物塗れの口に、吐瀉物と胃液、そして強烈なアルコール臭がスーツに染み込んで、何とも言えない臭いを放っている。今の自分は100人中100人が汚いと言うだろう。

 シャワーを浴びたいがそれが出来る程の余力は残っていない。まあ、明日は休みだ。どうとでもなるだろう。

 マットレスで寝ようと立ち上がれば、体の制御が利かなくなり、冷えた床が皮膚に触れる。声にならない声がワンルームに響いた。嫌味な程に、打ちつけた頬や肩や腰が痛みを主張してくる。数十秒も経てばそれも収まったが、今度は酷い眠気が襲って来た。アルコールと嘔吐による疲労で俺の体は限界だったようだ。

 嗚呼、今のような笑えも出来なかったコントは何という題材だったか。そんな下らないことを考えながら、静かに意識が途切れた。深夜24時頃の事だった。


 突然、何かに接続された気がした。しかし、何に接続されたかは分からない。それでも、その強烈な違和感に顔を上げると眼前に未成熟な青年がいた。勿論、自分の知り合い等ではない。さらに補足を入れるならば、今いる場所は自分の見知った住処ではない。

 状況確認の為に慌てて後ろを振り返れば既視感のあるゲーム画面だ。しかし、まるで自分がパソコンに入り込んだかのように、ゲーム画面があり得ない程大きく見える。

「あんた誰?!」

 青年が俺の存在に気付き、ギャグ漫画のように飛び上がる。そして、拾って来た野良猫と同レベルの警戒心で俺からゆっくり距離を取る。

 自分の置かれている状況は依然、不明なままだ。寧ろ、その不可解さが増したとも言える。

「それはこっちのセリフだ。」

 俺が少し目を細めると、向こうも負けじと此方を睨む。引け腰になっているところが現代の子供っぽいなと思った。喧嘩や暴力とは無縁の時代、だから緊急事態に何もできなくなる。…この世代の子供の典型例みたいな子供だ。

 俺が青年を観察していると、膝を震わせながら俺を指さして青年は言った。

「…まず、おっさんの事を教えろよ。そもそも、パソコンに入るって…。

 どんな”固有魔法持ち”だ?!」

 俺は眩暈がした。

 魔法、そんな物ある筈がない。だが、青年は至って真面目に固有魔法だの、自分のパソコンにどうやって入っただのと喚いている。…恐らくこの青年は酷い厨二病なんだろう。この真剣さは、重度の厨二病だった高校時代の友人を想起させる。

 あまりの痛さに成人式の日の同窓会で誰もが彼をいじり、様々なエピソードを本人の前で語らっていた。その時は流石に友人が可哀そうで小さくなった友人の背中を撫でてやったものだ。

「…益々、訳が分からない。取り敢えず、俺の名前は斎藤亮太、三十二歳。只のサラリーマン。後、これはお節介かもしれないが、厨二病は誰も幸せにならないから早めに卒業した方がいい。」

 お節介だろうと思いながら、目の前の健全な青年の青春を守るため、俺は勇気を出して言った。

 あの友人と同じ轍を踏ませる訳にはいかない。今の青年のように、厨二病を拗らせた結果、散々いじられ、擦られてきた友人をよく知っている。そして、大人になった時、顔から火が出る程の黒歴史になってしまうのだ。

「いやいやいや、僕が厨二病な訳ないだろ! 」

 反論した青年が嘘を吐いた気配はない。ならば、俺の知らないところで化学は魔法も再現できるようになったとでも言うのだろうか。仮にそうだとしても、俺が一体どんな方法でどんな魔法を使ったのだというのだろうか。

 全くもって検討がつかないし、自分としては俄かには信じ難い。

「全ての事象は科学に基づいている。魔法なんて不可思議な物はない、そんなおざなりな幻想を信じていることが許されるのは中学校までだ。」

 俺は魔法に関して更に質問攻めしていくことにした。何となくだが、そこに解決の糸口があると思ったからだ。

 …これで間違っていたら、俺は恰好が悪いどころの話ではないと思うが。頼むからこの直感が合っていて欲しい、俺の面子の為にも。

「…待って、おっさん、本当に何者?」

 青年は相も変わらず困惑と警戒の様相を解かない。自分もこの状況を把握しきれいていないのだから、子供であるこの青年は尚更だろう。言い換えれば、致し方ないと言える。

 しかし、自分は只の会社員で、それ以上でも以下でもない。それ以外の表現方法はない平凡な男だ。

「さっきも言っただろ、只のサラリーマンだ。取り敢えず、この惑星の名前、及び国、歴史、ここ最近の世界情勢を教えてくれ。」

 違和感を感じた俺は、自分の説を立証するために、さらに質問をしていく。だが、青年は相も変わらず混乱していて、レスポンスには常に数秒の遅れがあり、会話のテンポは非常に悪い。

「…はあ?! 此処は地球だろ、国の名前は日本で…。」

 俺の予想では、最近流行りの異世界転生かと思ったが、どうやら違うらしい。そもそも、異世界なのに言葉が日本語で通じるのはおかしいか。ならば、ここが地球で日本であるということは間違いないだろう。

 …日本だというならば、月曜には出勤しないといけないのか。不可思議な現象で、パソコンの中に入っていても会社のタイムカードって切れるものなんだろうか。 

「俺も住んでいた惑星は地球で、住んでいた国は日本だった。」

 青年は最初聞いた時は、その情報量に耐えられなかったのか、一瞬放心した。しかし、時間が経つにつれて情報を飲み込むことが出来たのか、少しずつ目が開かれていった。

「はあ?! 流石に噓だろ。やっぱり、おっさんからかってんでしょ? 」

 気持ちは痛い程分かるが、俺も混乱しているので何とも答えられない。

 …ふざけずに考えると、恐らく今俺がいる世界は少なくとも俺が知っている世界ではない。かといって、全く知らない世界という訳ではない。

 理由は二つある。一つ目は、この青年がしているゲームは俺がしたことのあるゲームと全く同じ画面からだ。それが異世界、基、全く違う世界であるならば、文化も全く異なると考えていいだろう。ならば、この時点で異世界、という説は破綻する。

 二つ目は、今のところ魔法があるということ以外、自分の住んでいた世界の特徴と概ね同じだからだ。

 この二点から、俺が想像していたような一般的なラノベでよく見る異世界転生ではない。今の状況を表す言葉があるとすれば、恐らくパラレルワールドに飛ばされたということなのだろう。

 ならば、どこかの歴史に魔法が生まれる切っ掛けとなった特異点がある筈だ。

「次は歴史について教えてくれ。」

 怪訝そうな顔をして数秒考えこんだ青年は決心したように顔を上げると、俺に向き直った。どうやら、取り敢えずは深く考えずに、目の前で起きていることへ対処することにしたらしい。自分が台風の目とはいえ、賢明な判断だと他人事のように感心した。

「どこから?」

「解明されている歴史から全て。俺の知っている歴史なら、人は猿人から原人、新人…ホモサピエンスへと進化、そんな風に始まった筈だ。」

 _ビンゴだな。青年の表情を見てそう思った。どうやら、人類の始まりが俺の世界とこの青年の世界の特異点らしい。

「…おっさん、俺が知ってる歴史だと、新人はそのホモ…なんとかじゃなくて、アラピカトルラの筈だぜ。」

 この青年の言うことを信じるならば、そこが特異点なのだろう。恐らく、この青年と元の俺の体にはいくつかの相違点が見つかる筈だ。主に、魔法に関する器官は俺が持ちえない器官と知識だ。そして、逆を言えば、その点以外に関しては似通っているどころか、同じである可能性が高い。人物まで同一かどうかは分からないが、文化が同じであることからそこも概ね同じだと考えていいだろう。

「やっぱり俺は、何の因果かパラレルワールドに来ちまったってことか。」

 俺は溜息1つ吐いた。どんな状況かはまだよく分からないが、面倒臭いことになってしまったのはこれで確定した訳だ。

 こういう時はカフェインを取って精神を落ち着けるのが俺のルーティンだが、生憎今はそれを摂取することも不可能、ストレスは溜まる一方だ。

「僕も正直驚いてるけど、そうとしか考えられないぜ。」

 青年の目には衝撃の奥に期待や切望も見える。恐らく、平凡な日常が変わるような感覚に捕らわれているのだろう。しかし、どうやってこんな冴えないアラサーが青春真っ只中の青年の日常を変えることが出来るんだろうか。いや、出来ないだろう。だが、自分の中に期待があるのもまた事実だ。もう、これ以上状況が変化することなんて、ある筈もないのに。

 因みに、俺としては1つ文句がある。

「…夏のボーナス受け取って、美味い物食ってから来たかった。」

「軽っ、言うことそれでいいのかよ。」

「いやあ、いきなり明日から出張だ。なんて言われるより何億倍とマシだ。」

 死んだ魚の目をしながら社畜として百点満点の回答をすると、青年に引かれた。少しばかりショックだ。それに、俺と同じ状況で社畜を連れてきたら同じことを言うと思うが。

「社会人怖っ。

 …そんでどうするの?」

「お前だって何時までもこんなおっさんに居つかれちゃ困るだろ。パソコンの中にいるということは、俺という存在を固定しているであろうファイルがある筈だ。

 それを消せば、俺も消えるだろう。」

 淡々と俺は告げた。こんな_パソコンの中にいる人間なんて、どんな世界であろうと研究者の興味の対象だ。変な実験で精神をすり減らすなぞ、俺はしたくない。それにこの青年にも迷惑をかけるつもりはない。

「おっさん、意味わかってんの? 」

「…ああ、分かってるさ。パラレルワールドとは言っても、結局は右も左もわからない異世界に来たも同然だ。…大切な人もいない場所に居ても仕方がない。それに、お前が俺を消せば、俺も元の世界に帰れるかもしれないしな。」

 眼前の青年は不安げに瞳を揺らす。どうやら決心がつかないらしい。まあ、いきなりこんなこと言われたら混乱するのも当然か。

「何が起こるか分からないのにそんな無責任なことできねーよ。…絶対にファイル消さないからな。」

 そっぽを向いた青年は、口を尖らせながら言った。…参ったな、月曜の出社には間に合いそうにない。まあ、例えこのまま普通の日常に戻っても、代わりのある消費されるだけの日常を送るだけか。なら、しばらくはこの青年の世話になってもいいかもしれない。

「まあ、取り合えずよろしくな、斎藤さん。」

「…そういや、俺、お前の名前知らないな。」

「僕は野口啓人、高校生二年生。」

「野口か、よろしく。」

 パソコンとリアルだから握手は出来ないものの、確かに俺たちは言葉という手で心の握手をした_ような気がした。

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