第63話 いつも通り

 四月下旬。

 郊外に佇むとあるボロアパート前にて、影一普通かげいちふつうは珍しいしかめ面を浮かべていた。


「ねえ」

「…………」


 業務中の普段着となったグレーのスーツに、いつもの革靴。

 フリーランスの身である以上スーツに拘る必要はないのだが、社畜時代の名残か、スーツだと仕事に身が入る感覚があるのも事実だ。

 また掃除屋家業はラフな格好の者も多いためか、影一のスーツ姿に好感をもつ顧客もいるため、業務的な意味でも役に立っている。


 もっとも、相手が最低限のコミュニケーション能力を持っていることが大前提だが……。


「ねえ。ねえねえねえ、ちょっとねあなた。これ違法じゃないの? い・ほ・う! 親の許可なくうちの子と勝手に契約結んで、ダンジョンの掃除を受けました、なんて、どぉ~考えてもおかしいでしょぉ~?」


 そんな影一の前で――饅頭のように頬も身体も膨れたドラム缶のようなおばさん……兼也かねよ小瀬こせのキンキン声に、影一は無言で眼鏡を押し上げた。

 並ぶ綺羅星も、顔をしかめ閉口している。




 ”氷山雪原”にて密かにベヒモスを討伐した影一は、翌々日から通常業務を再開した。


 安心安全ノンストレス。

 影一の人生に、大きな事件は必要ない。

 大型モンスターとの激闘や殺人は日々のスパイス、ご飯にまぶすごま塩程度で十分。

 変化のない日常をゆるりと過ごす、それが影一の望む平穏そのもの。


 というわけで今日も依頼をうけ、D級ダンジョンの掃除を完了したのだが……。


「こんなの無効よ、む・こ・う! お金なんてぜぇ~ったい払わないわよ!?」

「……失礼ながら、契約の経緯はメールおよび迷宮庁のクエスト報告書に記載された通りです。また契約書の方にも既にお客様のサインがなされています」

「だーかーら、それがインチキだって言ってるのよ! ひどい、なんてひどい……うちの子の優しさにつけ込んで、ダンジョンは危ない、早く掃除した方がいい、でないとママが心配するよって騙したんでしょ私ぜんぶ分かってるんだから」

「しかし、お客様」

「全部SNSで見たんだから! 私は世界の真実を知ってるのよ!」


 ぷるんぷるんと豚顔を揺らし、鬼のような形相で睨んでくる兼也おばさん。

 うわぁ……と横でドン引きする綺羅星。


 アパートの住人は慣れっこなのか、顔を出そうともしない。もしくは入居者がいないのか。

 この大家が原因ならわからなくもないが……。


「兼也さん。親の同意なく契約をしたのは事実です。その点は、私の不備と考えることも不可能ではありませんが……」

「でしょう!? 親の同意なく結んだ契約はダメって、法律にも書いてあるでしょぉ?」

「状況によっては。しかしですね」


 と、影一は兼也の隣でもじもじしている、息子さんへと目を向け――



「おたくの息子さん……書類によると、三十七歳、ですよね?」



 同じくでっぷり太った、Tシャツからおへそがはみ出した中年を伺う。

 お子さんと呼ぶのも気後れする、うっすらと禿げかかった髪に脂肪をたっぷり蓄えたタヌキのような男――兼也かねよクレオが、ひぐっ、えぐっ、と喉を引きつらせ涙を堪える様は、なんというか。


「ひぐっ……ひ、ひっ、ふぐっ……ママぁ……このおじさん、ボクをいじめるよぉ……」

「ああ、大丈夫よクーくん、ママがついてるからね? ……ねえあなた、泣いてるこの子を見てなんとも思わないの?」

「年齢的に、息子さんは十分に物事を判断できる歳かと思いますが」

「まあ、あなた年齢で人を差別するんですか!? うちの子は色々と遅れてるんです、そういうの見ればわかるでしょ? だったら遠慮ってものをするべきじゃないのぉ???」

「であればせめて、契約書の類は必ず奥様が目を通すように――」

「この子の自主性を奪うっていうんですか! 人権侵害! 差別よ、差別ぅぅぅ!」


 再び響くキンキン声に、影一はやれやれと眼鏡を押し上げる。

 話し合いにならないケースは、稀にあるが……ここまで酷い事例は逆に珍しい。


 が、それでも仕事は仕事。


「一応お伝えしておきますが……契約者が十八歳を超えているのでしたら、契約を勝手に取り消すことは出来ません。私はフリーランスの掃除屋ではありますが、同時に、本業務は迷宮庁を通じた国の事業でもあります。よって税金が――」

「だったら裁判でもなんでもすればいいじゃない、そうやって私達をいじめてばかり……!」


 うっうっ、とおばさんまで泣き出してしまい、息子さんが「大丈夫、ママ」と背中をさする。

 うっすらと、非難がましくこちらを見つめる息子さん。


 ……これ以上の会話は無意味らしい。


「畏まりました。では、本日は引き下がらせて頂きます」

「一旦じゃなくてもう二度と来なくていいわよ、何ならこっちから訴えてやるんだから、この詐欺師! あなた名前は――」

「本件につきましては後日、改めて」


 ぺこりとお辞儀をしたのち、踵を返す影一。

 その背に「絶対払わないんだから!」と唾を吐かれながら退席すると、隣の綺羅星が疲れたように呟いた。


「ああいう人もいるんですね……」

「あそこまで酷いケースは稀です。大半の依頼人は誠実ですよ」


 一般市民にとって、ダンジョンの出現は災害のようなものだ。

 放置すれば自宅が危険にさらされ、掃除には金がかかる。

 怒りたくなる気持ちはわかるが、それでも大人として対処するのが大半の反応だ。


「……ところで先生。あの人達はどうするんですか?」


 綺羅星の質問に、影一は笑って答えた。


「いつも通りですよ」

「いつも通り……」

「ええ。いつも通りです」


 大した問題ではない。

 確かに稀な事例ではあるが――影一の方針はいつだって、変わりないのだから。


*


 数日後。

 兼也母子の元に、荷物が届いた。

 中身は、お詫びの品としてよく用いられるクッキーのアソートセット。それを見た母子は大喜びした。


「ほ、ほらね。ママ。うまくいったでしょ? ボクが泣いたら、お、大人の人はきっと言い返せないって……」

「ああもう本当に、クーくんは天才ね! ママ、またひとつ賢くなっちゃったわ。これが現代のライフハックってやつよねぇ。今度SNSに書いていいかしら?」

「う、うん。またバズっちゃうかも……?」

「ほーんと、ああいう人って自分が馬鹿だって気づかないのよねぇ。人生賢く生きなきゃ損よぉ?」


 こういう所で節約するのが、人生をうまく生きるコツなのよねぇ、と笑いながら箱を開く母。

 うーん、普通!

 デパ地下だったら三千円くらい? まったく、誠意ってものが足りないんじゃないの? まあいいわ。


「ママ、美味しそう。頂きまぁす」

「ああもう、クーくんダメよ、ご飯の前にお菓子食べちゃ。……でも私も頂いちゃおうっと。んー、美味しい!」

「おいしいね、ママ。……あれ?」

「どうしたの、クーくん」

「いま、ママの口から、ぴぴ、って音しなかった?」

「なに言ってるの、もう。バカねぇクーくんは。お口から音がするはずないでしょ? ほら、お菓子はそこまでにして晩ご飯にしましょ? きちんとお野菜も食べるのよ?」

「えー、お野菜嫌い……」

「ワガママ言っちゃだめよ? バランス良く食べるのが健康の秘訣なの。長生きするためにはね、イヤなことも我慢しなきゃいけないの、それが大人って……あら? ねえクーくん、あなたのお腹から、ピピッ、って音が――」


*


 ドォン、と。

 小さな爆発を遠目に観察していた影一は、今日もまた日本を平和にしてしまったな……と満足げに頷いた。

 善行をすると、気持ちがいい。

 爆発はやはり朝に限る。一日の始まりに心のゴミを片付けると、とても晴れやかな気分になるのだ。


 ……隣で、綺羅星はなぜか微妙な顔をしているが。


「先生。前から思ってたんですが……バレないんですか?」

「地上はダンジョンに比べて魔力密度が薄く、人命を害するほどのスキルは存在しない、というのが現世界の常識です」

「でも普通、人が行方不明になったら誰かが気づくんじゃ……」

「可能性はゼロではありません。が、世の中には消しやすい人間というのがいます」


 社会との繋がりが薄く、家族としかコミュニケーションを取れない人間は狙いやすい。

 さらに周囲に迷惑をかけてる人間であれば、行方不明になっても通報されない――消えて良かった、と密かに思う人間も多いため、調査そのものが杜撰になる。


「世間では、無敵の人、などと呼ばれますが、彼等が無敵なのは法律に守られているに過ぎません。彼等の頭には、暴言を吐いたら爆殺されるという発想がないのでしょう。想像力の欠如ですね」

「普通は考えないと思いますけど……」

「だとしても、初対面の相手に暴言を吐けば悪感情を持たれることくらい分かるでしょう?」


 大人として真っ当な対応をすれば、お腹が爆発することなど無いのだ。

 一般常識だと思うのだが、どうも世の中、理解に乏しい人が稀にいるらしい。


「綺羅星さんもぜひ、あのような大人にはならないでくださいね」

「なりませんよ……」

「そしてぜひ、あのような大人を遠慮なく片付けられる、立派な大人になってくださいね」

「なりませんよ!?」


 連続の突っ込みに影一が笑い、さて、とスマホを確認。


「次のダンジョンもD級上位。”洞窟”型で、出現モンスターはゾンビ系とのこと。まともな依頼人だと良いのですが」

「次の依頼人も、消えなきゃいいですけど……」

「安心してください綺羅星さん。あんなこと早々起きませんよ」


 和やかに、彼等は次の現場へと向かい――






 二人はまたも渋い顔をしながら、閑静な住宅街の一角にあるダンジョンの入口――その傍にたむろする三人組を見つめていた。


「あなた方は……?」

「へへ、よく聞いてくれたッス! 俺達は狩人戦隊”ブラザーズ”! 近々デビュー予定の配信者ッス!」

「オホホ! わたくし達との共演、じつに光栄に思うざます!」

「お、おで、バカだからわかんねーけど……よ、喜ぶ」


 当然のようにレコーダーを構え、謎のポーズを取る三人組みに、影一が眼鏡をそっと押し上げる。

 その隣で、綺羅星も呆れながら、また? と訝しんだ。


 ……また配信者の三人組か? と。

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