第56話 九条信

「お恥ずかしながら――何が起きたのか、見当もつきません」


 迷宮庁治安維持課、後藤は報告内容に歯噛みしながら事実を告げた。




 S級ダンジョン”凪の平原”にて発生した異常鳴動。

 原因が”雪原氷山”にあると判断した迷宮庁は、後藤を含む数チームを緊急派遣しすぐさま現場に赴いた。


 敵は、雪原地帯を闊歩する無数の”氷結竜アイスオーグ”。

 及び、未知の”ダンジョンボス”。

 この二匹に対し最大限の警戒を行いつつ、ボスの居城と思わしき氷山へと乗り込んだのだが――


「……”雪原氷山”には竜の一匹も見当たらず、ダンジョンボスも未発見。鳴動は理由なく消失した、と」

「はい。しかし先遣隊が、ダンジョンボスが存在したと思わしき氷山地下にて戦闘の後と思わしきものを確認いたしました」

「……思わしきもの、とは、つまり戦闘でない可能性もあると?」


 後藤が頷く。あの光景は、虎子ともどもそうとしか表現できなかった。


 レーザーにくりぬかれたかのようなヒビの入った地表に、穴だらけの岩盤。

 巨大な怪物が突進したと思わしき足跡は、戦闘の痕跡というより恐竜が大暴れした跡のようですらあった。

 そしてもっとも理解出来ないのが――迷宮そのものを複数層にわたりぶった切る、謎の切断痕だ。


「後藤君。レコーダーの記録は私も確認している。疑うつもりはない。……が、現実のダンジョンであんなことが可能かね?」

「不可能だ、と返答することは簡単です。しかし現実に起きています」

「では、その正体は何だと思う?」


 上司に問われ、後藤は……考えたくはないが、答えはひとつしかない。


「ダンジョンボスを倒した何者かによる攻撃かと」

「ボスの攻撃ではない、と」

「ボス側があの攻撃を行えたのだとしたら、ダンジョンボスが生存していないのは不自然です」


 だが、その仮定が真実なら――在野に、鳴度8.3級のモンスターを迷宮庁に知られぬまま単身撃破できる化物が存在することになる。

 しかも迷宮庁は、その存在が人間かどうかすら把握できていない。

 日本の治安を預かる身としては、決してあってはならないことだった。


「……ところで後藤君。君の部下が捕らえたという、現場にいた男は?」

「現在、尋問中とのことです」


 そんな後藤達の唯一の成果は、現場に残っていた男を確保したことだ。


 元配信者グループ”ナンバーズ”九条信。


 経緯は不明だが、重要参考人であることに代わりはない。

 現在、担当者が拘束し情報収集にあたっている。

 ひとつでも情報を聞き出せれば……可能であれば、ボスを倒した犯人も突き止めたいが。


 思案する二人の耳に、ノック音が響く。

 職員が一礼し、後藤にも聞こえる程度の声で上司に耳打ちした。


「先程の、九条氏ですが……病院に緊急搬送されました」

「……なに?」


*


 後藤達の面談より、すこし前――


「そんなに緊張しないでくれたまえ。べつに、君を取って食おうってわけじゃない。むしろ我々は君の”味方”だ。友達でもあり仲間でもある。……だから、君のことを心配しているだけなんだよ。ねえ?」


 鼠のように目の細い背広男に、九条は怯えたように震えていた。


 場所は……おそらく、迷宮庁管轄の建物の、地下。

 案内される間目隠しをされたので不明だが、エレベーターの感覚からして間違いないだろう。

 そして今、九条の前にいるネズミ男は――絶対に、カタギではない。


「九条君。君達がダンジョンにいた理由は、聞いた。お仲間のことは、本当に残念だった。私も、若い頃には無謀なダンジョンアタックに挑戦したものだ。気持ちは分かる。仲間を失うのは辛いだろう?」

「っ……」

「だが、その後のことが分からない。……君はダンジョンボスに遭遇した。ところが、我々の仲間が到着したころには、ダンジョンボスは影も形もないときた。一体なにが起きたのだろう? じつに不思議だ」


 黙り込む九条に、ふっと溜息をつく男。


 ……もちろん、素直にあの男のことを語ってもいい。

 眼前のネズミ男は、明らかに異質な空気をまとっている。沈黙を貫けばどうなるか、想像は容易い。


 だが、もしこの状況が、あのリーマン男が仕掛けた茶番だったら?

 よく考えればあれだけの力を持つ男だ、裏で迷宮庁と繋がっていてもおかしくない。

 その上で自分をハメるため、わざと脅迫的に迫ることで、自分が嘘をついてないか見極めようとしている……。


 すっかり疑心暗鬼に陥ってしまった九条は、じっと唇を噛んで耐える。が、


「君は、この世界が不平等だと感じたことはないかね?」

「……え」

「いやなに。君の母親にも、話を聞かせて貰ってね。聞けば、君は昔とても優秀で、才能ある人間だったそうじゃないか。……ただ残念ながら、境遇に恵まれなかった。理解者に巡り会えず、不運に見舞われ、ダンジョンへ挑戦するようになったと聞いたよ」


 失礼、とネズミ男が胸ポケットからタバコを取り出す。

 今どき吸う人間がいるのかと呆れる前で、男が美味しそうに一服し、煙を吐き出した。


 白い煙が、狭い室内に充満し――九条は妙な気分になる。

 妙に心が浮つくような。

 アルコールを煽った時のように、ふわふわとした感覚に……。


「その後も苦労は絶えなかったようだね。若くして入ったチームは、即座に崩壊。君は”ナンバーズ”のリーダーとして重責を押しつけられ、酷い扱いを受けた。多くの苦労があっただろう? 分かるよ。リーダーの苦労、それは不平等だ」

「っ……!」

「部下は身勝手にものを言うばかり。あれがほしい、これをしろ。パーティ事情も考えず自分の権利ばかり主張し、ろくに義務も果たさない。そんな連中を必死でまとめ上げたにも関わらず、無能な上司からお小言をもらう」


 やってられないねと笑う男に、九条は初めて男を見る。

 慇懃無礼なネズミ顔――でもよく見れば、九条に親しみある笑顔を向けているではないか。


「迷宮庁も、しょせんはお役所仕事。融通の効かない部下や上司に悩み、苛立ったものさ。最近は退職も考えていてね。……将来をどうしようか悩んでいたところに、君が現れたというわけだ」


 男がもう一度タバコを吸う。

 濃密な煙が充満し、甘ったるい香りに誘われながら、九条はぼんやりと頷く。


 ああ。この人は自分の苦労を……理解してくれる。

 リーダーとして努力した自分を。

 才能はあるのに、周囲の偏見で見捨てられた自分を、分かってくれる……


「そうなんです。誰も、僕のことを分かってくれなくて……」

「それは、さぞ辛かっただろう。君の苦労を誰も理解してくれない、それは悲劇であり不幸だ。……が、君もこのまま終わるのは不満だろう? 特に迷宮庁の上層部は、君が現場で起きたことをどうしても知りたいらしい。口を割らないなら少々強引な手を使う……という話も聞いてる」


 ぞくり、と九条の顔が引きつる。それは、やはり……。


「が、私としてはそんな手は使いたくない。そもそも君は、巻き込まれただけの”被害者”だ」

「……被害、者?」

「そう。あの凄惨な現場に取り残された男。私は刑事ではないが、君がスケープゴートにされたことくらいは分かる。……君は利用されただけ。君は悪くない。だから、きちんと事情を話せば迷宮庁は君を保護すると約束している」

「保護……」

「君には前科があるが、あくまで若気の至り。何なら私が事情を説明し、狩人ライセンスの再発行も肩代わりしよう。何せ、君ほど初対面で親しみを感じた相手はそういないからね」


 そう語り、ネズミのように目を細めた男が親しげに笑う。


 ……保護。被害者。そうだ。

 考えてみれば、九条は完全な被害者だ。

 理不尽な事務所の解雇に、当たり屋のような悪質リーマン。

 そもそも九条が”雪原氷山”に突入したのも深六が下心を出し、一発逆転しようと八崎に乗せられたのが始まりじゃないか。


 つまり僕は悪くない。

 悪くないのであれば、真実をつまびらかにして何が悪い……?


 ――約束なんて、どうでもいい、と思った。

 ここで全てを告白し、迷宮庁の保護を貰う。その上で、あのリーマンを迷宮庁に捕らえて貰う。

 幸い、目の前にいるネズミ男は信頼が置けそうだ。いや、彼こそ真の仲間にして唯一無二の存在。

 僕の苦労をようやく理解し、認めてくれる、本当の理解者だ――



「僕は、見たんです。ダンジョンの最下層に現れた山のような化物を、あのおと――ぐっ」


 そうして席を立ち、九条がすべてを語ろうとした瞬間、

 首元に違和感。

 突然誰かに首を締め付けられたかのように息が詰まり、視界が揺れる。


「どうした? 九条君?」

「っ……く、げっ……あの、あの、お……にんげ……あ、あが……?」


 あの男。あの男が。

 九条がその名を口にしかけ、けれど意識に反して声が出ない。

 いや違う。声が出ないのではない。

 息そのものが出来ていない。


 呼吸が。呼吸が――し、死ぬ、た、助けて――っ。


「何だこれは……何かの特殊スキルか!? くそ、回復持ちだ、急げ!」


 ネズミ男が怒声をあげるなか、九条は呼吸を失い椅子から転げ落ちる。

 意識が朦朧としながら、それでも、あの男の名を口にしようともがき――声を形にしようとすればするほど、奈落の底から化物に首を絞められるような感覚に陥り、九条はもがく。


 もがき、あえぎ、そして気づく。

 あの時の契約書。

 不気味な魔力を放っていたあれは、まさか……


 九条の知らない、未知のスキル……?


 だとしたら。九条は……まさか。

 生涯あの男の命じた通り、事件について口を開くことすら許されず。


 それどころか、今後ダンジョンに潜ることも許されず。

 何より、あの男との約束――

 彼の価値観に基づき、品行方正に生きることを”強制”させられるのでは?


「あ……あっ……!」


 気づいた途端、九条の瞳にうっすらと涙が零れた。

 自分は生涯、あの男から逃れられないのでは――理性ではなく本能が恐怖に震え、九条の心を締め上げる。


 今になって、理解する。

 九条はあの男と契約してしまった。

 一生。生きている限り、今後ダンジョンに潜ることは出来ない……どころか。

 あの男の価値観に基づき、社会規範に背くこともできない――


 それは、つまり。

 人生を束縛され永遠に苦しみながら、強制的に押しつけられた”品行方正”に基づき、ずっと……

 ずっと、人生を真面目に生かされ続ける、という意味ではないか?


 例えば――赤信号で止まることを強要され。

 人に優しく接することを強要され。

 親に悪態をつくことも許されず、健やかに穏やかに、社会のルールから一切の逸脱を許されない。

 健全な社会人として、朗らかに生き続けるという……あまりにも、あまりにも、つまらない人生。


 例えるなら、学校に必ず一人はいるような。

 真面目すぎて、何の面白みもないクラス委員長のような。

 正しい生き方だけれど、ひたすらに他人のご機嫌をうかがい、我慢に我慢を続ける苦痛に満ちた人生に、無理やり九条信という人間の型をはめ込まれ――生き埋めにされたまま生涯を終えさせられるような。


 当然、ダンジョンなんていう野蛮な所に潜ることは二度となく。

 配信者としての道も閉ざされ……それ以前に、社会で目立つことすら許されず。


 社会の毒にも薬にもならない人生。

 ……それは。そんなって。

 ただ生きてるだけの、地獄じゃないか……?


「あ、ああっ……」


 そしてもし、真面目に生きることを強要されるのであれば――いまの九条は、死ぬことすら許されない。

 自死とは極めて不真面目な行為であり、あの男の価値観にも反するだろう。

 つまり、もう――


 自分は二度と、逃げられない……。


 職員がかけつけるのを目の当たりにしながら、九条の意識が奈落へと落ちていく。


 これから自分はどうなるのだろう?

 母は、真面目になった九条の態度に喜ぶだろう。

 父はなにも言わないだろうが、内心ではほっとすることだろう。

 九条はこれから真面目にバイトをし、興味もない他人にそれなりに好印象をもたれ、けれど本心を明かせないがゆえに誰とも深い付き合いができず。

 毒にも薬にもならぬまま歳を重ね、平穏に人生を過ごしていく


 そこに――九条信という男の意思は、存在しない。




 ……ああ。どうして僕ばかり、こんな目に。

 溺れるように藻掻きながら、九条は己の意識が消えゆくのを感じながら手を伸ばし、涙を零した。


 ああ。どうして世界は、こうも不平等なんだろう――

 あまりにも理不尽だ、と。

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