第44話 かけるべき言葉
政府依頼の掃討作戦を終えた翌日、影一は引き続き”雪原氷山”の攻略を行っていた。
二十匹近い氷竜とそれなりの魔物を倒し、マップの約六割を埋め、明日にはボスに到達できるだろうなと目算を立てたのちダンジョンを脱出する。
迷宮庁にバレないよう、新ダンジョンの攻略は夜間のみ。
踏破にそう時間はかからないだろう。
仕事もこれくらい自由であれば良いのに、と思いつつ、のんびり帰宅したその最中――さざ波のように揺れる魔力を感知した。
地上は魔力濃度が薄く、影一とて全てを把握するのは難しい。
それでも、身に覚えのある魔力くらいは選別できる。
案の定……自宅につくと、綺羅星が体育座りをしながらちょこんと腰掛けていた。
「夜分にどうしましたか、綺羅星さん……?」
ふむ。様子が変だな。
いつもの制服姿だが、眼鏡の奥に貯め込んだ涙といい、汚れた顔といい訳ありらしい。
……さて。
「理由は存じませんが、綺羅星さんの気が許すのであれば自宅へどうぞ」
「……先生。私、あの」
「先に告げておきますが、私は年頃の女性を励ます言葉を持ち合わせておりません。しかしながら、泣いている弟子を廊下に放置するほど、人でなしでもないつもりです」
自分に害意を持つ敵には容赦しないが、縁のある人間を無視することはない。
それに、こういう時は親切にしておいた方が後々、面倒にならない。
綺羅星を室内のソファに案内しつつ、どちらがお好みで? と、お茶とインスタントの紅茶パックを手に取る。
紅茶を差し出し、砂糖とミルクを添えたのち。
影一は背広をクローゼットに預け、スマホを弄り始めた。
会話に困ったわけではない。社交辞令の一つくらいは持ち合わせている。
が、当人が口を開く前から喋るのは厚かましいと思っただけだ。
とりあえず本日のソシャゲでも消化するか……とスマホ片手にぽちぽち操作していると。
「……私、影一さんに迷惑をかけてしまったかも……それで、ご、ごめんなさい、って」
「事情を伺っても?」
頷く綺羅星。
かいつまんで聞けば――学校の友人を自称する女から、影一との関係を問われたらしい。
いい歳したおじさんと、堅物真面目なクラス委員長。
……なるほど、噂にするには格好の的ではある。
「それで、どのような流れに?」
「……先生のことを話さないなら、探偵でも雇って調べるって言われて……私が、先生に迷惑がかかるのが嫌だとお願いしたら、じゃあみんなの前で説明してって言われて……どんなに考えても、どうしようもなくて」
それで泣いて逃げてきた、か。彼女の性格を考えれば分からなくもない。
反応としては、些か面白みに欠けはする――
「それで私、訳わかんなくなって……その時、たまたま学校にダンジョンがあって。それで……逆に、相手を襲いまして」
ん??
なんか急に面白い話になったな、と身を乗り出す影一。
「私、説明してもどうせ聞いてくれないと思って……それで悩んで、考えて、先生だったらどうするかなって考えて。じゃあ殺るしかないって思って、う、上手くやろうと思ったんですけど……全然、うまくいかなく、て」
綺羅星の瞳に涙が浮かぶ。
たどたどしく紡がれる話をまとめるに、どうやら……
彼女は例の上半身鎧を着込み、顔を隠したうえでチェーンソー片手に連中へ襲いかかったらしい。
相手は明らかに、びびっていた。
為す術もなく転げ回り、あと一歩のところまで追い詰めたのだが――先生が割り込んできたため、仕留めきれなかったという。
「やろうと思った直前、ダンジョンに先生が来て。……私、見つかったらまずいと思って、慌ててお借りしてた”ハイドクローク”で逃げて……それから、どうしたらいいのか、分からなくなって……」
感極まった綺羅星の瞳から、ついに大粒の涙が零れ落ちた。
どうしよう、どうしよう。情緒が乱れるがままスカートに雫がしたたり落ち、そして、
「私、死刑になるんでしょうか」
ふむ?
「きっと今ごろ、学校は大騒ぎになってて……委員長は化物だ、犯罪者だって、みんな騒いでて。学校の先生にまで迷惑かけて。だから私、つ、捕まったらきっと先生にも迷惑かけちゃうって思って、だから」
「……なるほど。おおむね状況は理解しました」
「先生。私、死んだ方がいいんでしょうか? そしたら、せ、先生にもご迷惑をかけることないかな、って……」
あはは、と歪に笑いながら影一に問う綺羅星。
どうやら、彼女はいま大変に混乱しているようだ。
彼女の理屈をまとめると――自分に害をなす自称友人に対し、大立ち回りをしたがとどめをさせず、学校の先生やみんなに迷惑をかけた。
自分の人生はもうおしまい。
迷宮庁に傷害罪で逮捕され、影一にも迷惑をかけるから死んでお詫びします……といった所だろうか。
まあ……彼女の動揺する気持ちは、理解できる。
三十を超えた自分ならともかく、年頃の高校生が混乱の末にぶち切れチェーンソーで同級生を切り刻んだのなら、動揺のひとつもするだろう。
……彼女が求めている言葉も、容易に推測できる。
心配しなくていい。
後は自分がすべて解決する。
君はよく頑張った、泣くことはない。悪いのはすべて君に言い寄った自称友人共だ。
……励ましと、共感。
彼女の境遇に同情し、慰めてあげれば彼女は大いに喜ぶことだろう。
表向きは「違います、そんなつもりじゃ……」と口にしながら、心の中で影一に感謝するに違いない。
……しかし。
理屈がそうだとしても、彼女は――影一普通の弟子である。
であれば、かけるべき言葉は慰めではない。
影一の弟子であるなら、問うべきは、ただ一つ。
「綺羅星さん。証拠はありますか?」
「……え」
「綺羅星善子という人間が、イコール、鎧の化物の中身でありお友達を襲った犯人であるという証拠。その時誰かレコーダーを回していましたか? 鎧の中身があなただとあなた自身が宣言したり、相手に勘づかれるきっかけはありましたか?」
「……それ、は」
影一はゆるりとゲーミングチェアに腰掛け直し、涙ぐむ綺羅星ににこりと笑う。
ああ。この子は、本当に――影一の期待をいつも上回ってくれる。
彼女自身は、無自覚のようだが……。
「いいですか、綺羅星さん。殺人も暴行も、確かな証拠がなければ犯罪であるとは言えません。少なくとも法の元では裁けません。そして綺羅星さん。あなたは今、いかにも頭が真っ白になって暴走したかのように仰いましたが――それは嘘です」
「で。でも私……」
「確かに情緒は乱れています。動揺もしています。が、よく考えてください。いいですか? 指を立てて順に説明しましょう。
1.あなたは犯行時にきちんと顔を隠した
2.先生が来たら”ハイドクローク”で目撃されないよう姿を消した
3.レコーダーが回ってないことも確認した
ここからは推測ですが、
4.事前にダンジョンの構造も把握していた
5.自称友達がダンジョンに足を踏み入れるような細工もした
……しかもこれ、わざわざ一日かけてやってますよね?」
「…………」
「あなたは今、衝動的な犯行を悔いているような言動をしました。が、はっきり言いましょう。これは誰がどう見ても計画的犯行であり――とどめのタイミングこそ先生の登場で逃しましたが、見方を変えれば、殺人までしなかったことで迷宮庁の調査を免れた計画的対応ともいえる」
今のご時世、ダンジョンで怪我をした程度のことで迷宮庁は出張ってこない。
が、致死二名となれば話は違う。
安心安全の面で考えるなら、偶然ではあるものの彼女は難を逃れたのだ。
君はいい弟子ですねと褒める影一に、ぽかんとする綺羅星。
「今回。もしあなたが衝動に任せ、犯人が自分だとバレバレな行動をしてたなら私も失望していたでしょう。が、あなたは泣きながら怒りながら、裏で安心安全のためにやることはしっかりやっている。大変クレバーな対応だ」
もちろん100点満点の結果ではないが、及第点の対応だと判断する。
であれば、影一がやるべきことは後始末。
計画に荒がなかったか再点検し、万が一証拠が残っているなら早めに処分してしまえばいい。
影一は適当なレポート用紙を手に取り、ペンを握る。
「ではもう一度きちんと、時系列に沿って詳細を分析しましょう。泣きながらで構いません。涙しながら、ぐずりながら証拠隠滅を行ってこそ私の弟子です。……後片付けさえ怠らなければ、あなたの涙はやがて感動ものの映画を見たあとのように、晴れやかなものに変わるでしょう。それに……」
影一は酷薄な笑みを浮かべ、綺羅星にささやく。
それはもう、楽しげに――
「チェーンソーで刻んでしまえば終わりですが、刻まれる恐怖だけを与えて、逃がし、泳がせる……これも一興。つぎに合った時、相手の反応が楽しみだと思いません? その時にはあなたのストレスも、さぞ心地良く解消されることでしょう」
安心安全、ノンストレス。
その方針に沿うなら、彼女の行いはとても素敵な善行だ。
人間なら誰だって、嫌いな相手の四肢をうっかり切り刻みたくなる時だってあるだろう?
やはり彼女は才能がある、と、涙でぐちゃぐちゃになった綺羅星を伺いながら。
影一は珍しいほど上機嫌に微笑みつつ、師匠としての仕事をこなすべく状況を整理し始めた。
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