目目連
@wlm6223
目目連
綽如は檀家の法事の帰路、超勝寺へ続く山道を歩いていた。山中の道とも言われぬ道を登り、夏の木々の小息の繁く中を一人で歩くと、ここは来慣れた道である筈なのに、またいつもと違う山野の景色に心付いた。それは先程から降り始めた夕立のせいであろうと思った。雨脚は次第に激しくなり、足下の泥濘が綽如の足を洗った。綽如は道外れにあった陋屋に束の間の雨宿りをとった。こんな所に陋屋などあったかと暫時不審に思い、軒下から声を掛けた。
「ご免。急な雨で暫く休みをとりたい」
家内から返事は無かった。綽如は陋屋の仔細を見ると、どうも長い間うち捨てられたようだった。戸を開け中に誰か居るか見ると、破れ障子に腐りかけた畳のあるばかりで、一向人の気配がない。だが朽ち果てて全くの自然に還るのを待つようには感じなかった。
綽如は三和土で足に纏わり付いた泥を拭い、部屋へ上がった。雨音が激しく耳をついたが雨漏りはなかった。やはりこの陋屋は尋常のものではないと、その気配を覚った。
「どうぞ。さ、こちらへ」
隣の部屋に続く障子が開き、老爺が現れた。その老爺は身なりも貧しくなく、きちんとした正座を組み、綽如に頭を下げた。
「急な雨にやられまして。暫く世話になります」
「左様ですか。まあ、ごゆるりと」
うらぶれた陋屋には似つかわしくない老爺の物腰に、綽如の不審は募った。
「ここで何をやっておられるのですか?」
「ええ。私は碁打ち師でございます。いや碁打ち師をやっていたと申した方が正しいでございましょうか。どうです、一局お願いできませんか」
「構いませんが」
綽如が言うと辺りは暗闇にたち消えり、雷鳴が轟き、碁盤と石が現れた。四方を囲む障子に無数の目が浮かび上がり綽如と碁盤を瞶めた。
これは妖怪、目目連! 綽如が感じていた、ただならぬ不審は妖気のものだったと、そのとき気が付いた。
老爺は好相を崩さずに先手を打った。綽如はしばしの黙考のあと一手打った。
思いもかけない妖魔との勝負に勝つべきか負けるべきか、いや、勝てるのか、綽如は胸の裡に思った。その思慮を老爺は見透かしたかのように言った。
「……勝敗がどうあれ、私はあなたを取って食おうと言うのじゃありません」
障子に浮かんだ無数の目は盤上を凝視し、勝負の行方を瞶めている
「ではどういうつもりで?」
「私は既にこの世のものではございません。お坊様ならお分かりでしょう? 私は生前、最後の勝負で負け、斬られたのです」
「……」
「こんなご無体なことがありましょうか。ですが、これでも勝負師として生きていた者です。勝負に負けたことに悔いが残る。まさか斬られるとも思っていなかった。その無念がこうして私をこの世へ引き留めているのです」
勝負の序盤は綽如の優勢ではじまった。いや、老爺が相手の出方を見極め、どの戦法で闘うべきかを判断する手を打っていった。
「この道を通りかかる者すべてに碁を勧めるのですか」
「そうではございません。妖魔と言えども人を見ます。お坊様なら私をどうすべきかご存じだと思ったまでです」
勝負は中盤に入り綽如は初めて誤手を打った。真っ暗闇の中、無数の目に瞶められながらでの勝負である。ここまで平静を保てたのは綽如の法力によるものと言ってよかった。だが老爺は誤手を見逃さず手を進めた。
「お坊様、私に足りないものは何でございましょう」
綽如は呻吟もせずすらりと応えた。
「あなたはもう満ち足りている。執着を棄てるのです。生への執着、勝負への執着を棄てるのです。それが出来ないが為に妖魔に身を堕としてしまっているのです」
勝負は終盤に近づき老爺の優勢になっていった。だが老爺は一気に勝負を詰めることなく、あくまでも定石に則った手を打っていった。
綽如が最後の一手を打つと「まいりました」と頭を下げた。勝負は老爺に軍配が上がった。それを見ると老爺は安心したかのように大きく息をついて言った。
「……ありがたや……」
辺りが明るくなった。そこには障子の目も消え、妖しげな気配も消え、老爺も消え、陋屋も消えた。ただ草叢の中にいる綽如だけが残った。雨もあがり、山中に輝く緑の息吹の中から美しい夕日が差し込んできた。綽如はそこで読誦し、夕立に洗われた山道を超勝寺へ向かって歩いて行った。
目目連 @wlm6223
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