万年筆と私

@wlm6223

万年筆と私

 ……山手線を何周したか分からないが、目を醒ますと東京駅だった。どうやら通勤ラッシュ時らしく、満員電車の中、人々は「眠い」だの「面倒くさい」だのと考えるでもなし頭に思い描いていた。なぜそんな事が分かるかというと、皆、頭の上に漫画のように吹き出しが浮かび上がったいたのだ。

 私は丸善本店に用があるのを思い出した。今日は修理に出していた万年筆を受け取る日である。だから電車に乗っていたのだ。まだ開店前の時間のなので、そう急ぐ事もない。

 電車のドアが閉まりそうになり、私は眠気を振りほどき、慌てて東京駅で下車した。

 東京駅の一日の昇降客は約三五〇万人だそうである。皆、どこから来てどこへ向かうのかは知らないが、とにかく落ち着きなく足早に過ぎ去って行く。私が東京駅に来る用事といえば丸善ぐらいしかないので、これだけ大勢の人々が往来するのが不思議でならない。

 私は東京生まれの東京育ちである。が、渋谷駅、新宿駅、そして東京駅だけは未だに迷子になる。とにかく駅が大きすぎるのだ。特に地下街へ入ってしまうと皆目じぶんの居場所が分からなくなってしまう。目指す丸善だって、躊躇なく真っ直ぐ行けた例しがない。

 たしか丸の内口を出てすぐのところに丸善があるのは覚えているのだが、その丸の内口がどこにあるのか判然としない。

 私はとりあえず朝食を摂ろうと思い、駅構内を人波に流されながら構内の店舗を見てまわった。あちこちに店はあるのだが、土産物屋ばかりで立ち食いそば屋すら見付からない。仕方なし、東京名物の東京ばな奈でも食うか? やなこった。朝から甘いものを欲しがるほど私はインテリじゃない。

 ほどなく新幹線の改札口に出てしまった。

 見るからにこれから出張にでる会社員が多い。のみならず、いま初めて東京に出てきました、という風の人も見受けられる。外国人が意外に多い。京都観光へ出向くのだろう。

 一組の外国人がいかにも困った様子でパンフレットを広げているのを見て

「May I help you?」

 と話し掛けてしまった。

「千代田線はどこですか」

 と流暢な日本語で答えてきた。

 たしか東京駅は五本か六本の地下鉄と連結していた筈だ。だが、私も迷子である。ちゃんとした返事が出来るわけがない。だったら声を掛けなければよいのだが、どうもそうする訳にもいかない。彼らも私も困惑した。私は構内にぶら下がる案内板を示して

「緑色のマークを追ってください」

 とだけ言って足早に去ってしまった。彼らがちゃんと千代田線を見付けられたかどうかは知る由もないが、私も自分の道程が判然としないので困っているのである。

 私は人波に流されて八重洲口に出た。そこで漸く喫茶店を見付け、朝食にサンドイッチとコーヒーを口にした。さて、と一息つくと、確か丸の内口は駅の西側、八重洲口は東側であった事を思い出した。

 私は店員に丸の内口への行き方を訊いたが、店員も不案内なようで店長を呼んだ。

「ちょうど駅の反対側です。駅員に訊いてもらったほうがいいですよ」

 要するに分からない、との事だった。

 私は喫茶店を出て、とにかく駅の反対側、西側に向かって歩き出した。駅の構内なのでスマホのGPSも使えない。どこをどう歩いて行ったか自分でも分からないが、暫くすると案内板に「丸の内口」という文字が出てきた。その案内板に従い構内の回廊を進むと、改札までなんとか辿り着いた。

 丸の内口の改札を出ると、そこは初代の東京駅を再現したヨーロッパ風のホールになっている。そう、思い出した。ここから丸善まではすぐそこだ。

 ドーム状の高い屋根から幾筋もの陽光がステンドグラス越しに差し込み、そのもとで通行人の男女が軽快にワルツを踊っている。ちょっとした愉快な光景に出くわし、私の心も躍った。光の加減から、ちょうど正午なのだろう。躍る人々を七色の彩色がいろどった。

 私も一緒に踊りたかったが、相手にしてくれる女性が見付からなかったので、その光景を眺めるだけにした。だがそれでも私の気分は愉快だった。

 私は駅を出てオアゾへ入った。すぐ右手に丸善本店がある。私は丸善へ入店し、エスカレーターに乗って万年筆コーナーのあるフロアまで行き、清楚な店員をつかまえて用向きを伝えた。

「こちらですね」

 と、店員は両手で万年筆を差し出した。

「これです。どうも有り難う」

 さっそく東京駅へ戻り、山手線のホームへ出た。不思議な事に道に迷わなかった。

 私は自宅へ帰り、今日の出来事を直してもらった万年筆で日記につけることにした。

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