葡萄畑と私

@wlm6223

葡萄畑と私

 十月下旬、エリックは社用車の後部座席で退屈な時を過ごしていた。ブルゴーニュにある葡萄畑を視察するための一泊二日の出張である。エリックが属している会社のワインは、伝統こそなかったが、毎年評判の高いワインを製造しているので知名度は高かった。エリックもそのワインの将来性を感じ、転職を決意したのである。エリックは根っからの経営畑のビジネスマンなので、現場の視察なんてものは、得るところもあまり大きいものではない。「行けば分かりますけど、けっこう面白いものが見れますよ」運転手が軽口をたたくが、エリックは車窓を流れる田舎の風景に気をとられていた。

 エリックを乗せた車は、程無く葡萄畑を管理する平屋のオフィスへ着いた。

「どうも。お待ちしていましたよ」

 葡萄畑の管理者と軽く挨拶をかわし、会議室へ通されると、ワイン造りの工程を一通りレクチャーされた。エリックにとっては退屈な講義だったが、さしあたりはこんなものだろうと思った。

「とりあえず畑へ行ってみますか」

 管理者は日に焼けた笑顔でエリックを促した。

 オフィスから歩いて五分ほどの場所に葡萄畑はあった。

 何エーカーあるのだろうか。見渡す限りの葡萄畑である。葡萄の木が整然と生え渡り、都会育ちのエリックには物珍しい土と緑の匂いで充満していた。秋の日盛りでさらに濃密な大地の風が吹いてくる。その葡萄畑の間に灰色の物がちょこまかとそこら中に何百と動き回っている。まるで葡萄にたかる小動物のようなのだが、管理者が言うには彼らが実際の収穫作業をしているとのことである。エリックがあれは何だと管理者に訊いた。

「『テトラストン』ですよ。ご存じありませんでしたかな」

 エリックが知らない、と答えると管理者は是非にとテトラストンを紹介してくれると言う。エリックと管理者は葡萄畑へ降りていき、一匹のテトラストンを呼び寄せた。

 テトラストンは体長五〇センチほどの動物である。太くて短い四本の手足を持ち、どれが手でどれが足、という区別がない。皮膚は灰色をしており、皮膚というよりもコンクリートで出来ているように見える。顔や胴体にあたる部分はなく、四本のずんぐりした手足を纏めただけのように見える。肥大した灰色の四本足のヒトデ、といったところだ。

「どうだい、今年の出来は」

管理者がテトラストンへ破顔しながら訊く。「去年ほどではないですけど、なかなか上出来ですね。ちょっと酸味が強いかな」

管理者が葡萄を指さし、

「一つくれんかね」

「ああ、どうぞ」

 そのテトラストンは管理者へ葡萄を一房手渡した。管理者がエリックへ葡萄一粒を渡した。二人は一緒に葡萄を食べた。なかなか旨い。思わず二人は目を見合わせた。

「ところでテトラストンとかいう、彼らは何なんだ?」

エリックが管理者へ訊ねると、管理者は笑顔のまま大仰に答えた。

「従順な労働者ですよ。仕事は速いし最低賃金で働いてくれますしね。収穫だけじゃなく、五年前から他の工程もテトラストンに委せてるんですよ」

 管理者が言うには、テトラストンは葡萄の収穫時期よりちょっと前に現れて畑で寝起きし、収穫時期を待つそうである。どこで覚えたのかは分からないが、ワイン製造に最も適した頃に収穫を始めサイロへ葡萄を運んでくる。テトラストンは必ず四人一組で働き、(滅多にないが)欠員が出たグループには他のグループが援助し収穫作業を滞らせないのだそうである。テトラストンが最初に現れたのは約十年前。そのときはごく少数であったが、年々数が増え、今では会社が保有する全葡萄畑で活躍している。ワイン製造の最終工程が終わる頃、何処へともなく姿を消すのだそうである。

 エリックはそんな得体の知れない労働者を雇用して良いものなのかと考えたが、管理者はそれを察したのか、こう言った。「テトラストンが去るときには決まって『また来年』って言ってくれるんですよ。まったく、頼りになるいい連中ですよ。本来なら機械化する工程もテトラストンがやってくれるんです。葡萄の収穫から搾汁、発酵の管理、瓶詰めまで。何から何までテトラストン無しじゃやっていけない、昔ながらワイン造りをやっていけるのも、彼らのお陰なんですよ」そんな事をいいながら、管理者はもう一粒葡萄の実を食べた。

 本社の連中はこのことを知っているのだろうか? エリックは内心訝しんだが、テトラストンのことは内密にすることにした。

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