神津島

@wlm6223

神津島

 東京都島嶼部と言えば伊豆大島や八丈島が有名であるが、それ以外にも沢山の島が東京都に属していることは、都民の間ですらあまり知られていない。野生のイルカと遊泳できる御倉島、絶景で海外には知られている青ヶ島、もっと南部へ行けば全島が国の天然記念物に指定されている鳥島など、観光資源に恵まれた数々の島があるのである。

 私は休暇を利用してその島の中の一つ、神津島へ出向くことにした。

 旅の目的らしいものは特になく、ただ神津島の観光案内にあった「裏砂漠」と、江戸時代には島流しの場所だったことにちょっと興味を惹かれたのだ。

 竹橋からの東海汽船の大型船に乗り、あっけなく神津島に辿り着いた。

 港でお世話になる宿の女将が出迎えてくれた。挨拶も早々に宿へ案内された。「お客さんも釣りですか? それともダイビング?」と訊かれたので「いえ、ただの観光です」というと女将は意外そうな顔をした。

「狭い島ですから珍しいものはほとんどないですよ」

「いや、島の歴史や言い伝えなんかを知りたくて」

「ああ。そういうのなら全部ホームページに書いてありまよ」

 いきなり出鼻をくじかれた。もう旅の楽しみが無くなったようなものだ。女将は私に島の観光案内のパンフレットをくれた。

 女将が部屋へ案内してくれた。六畳一間の和室で、四面に魚拓が掲げられている。やはり海釣りやダイビング客が主で、私のようなただの観光客というのは珍しいようである。

 宿について早々、私は島の様子を観察しに出歩くことにした。原チャリをレンタル屋で借り受け、島内を一周した。ものの一時間もかからなかった。これなら歩きで充分だと判断し、島内を歩いてぶらつくことにした。

 おそらく島内で唯一あろう寿司屋で島寿司で腹を満たし、道沿いに行くと、小さな砂浜に出た。ここは本当に東京都なのだろうかと疑うほどの美しいエメラルドグリーンで、砂浜の砂一粒一粒がきめ細やかな柔らかい浜を作っていた、遠くに船が何艘も見えた。おそらく釣り客用の釣り船だろう。

 私はパンフレットを元に流人墓地を訪れた。正確な記録は残っていないようで、神津島に流されたキリシタンの数は分かっていない。墓はいわゆる墓の形をしておらず、灯籠のように見えた。私はキリスト教風に祈りを捧げるのが良いか、仏教風に手を合わせるのがいいのか迷ったが、仏教風に手を合わせた。信仰を守った者への祈りは、どの形式であれ良しと思ったからだ。

 宿への帰り道、たまたま島の生活道路へ出た。煙草屋の番台に子供が座り店番をしていた。この道を通るのは島民だけらしく、私のような闖入者に皆が視線を私へ投げかけた。

 宿へ戻ると夕飯に刺身の盛り合わせが出た。一人分にしてはやや多いぐらいだったが、色とりどりの魚介はどれも旨く、ペロリとたいらげでしまった。

 翌日、裏砂漠へ出掛けた。女将は「なんにもありませんよ」と言っていたが、本当に何も無かった。起伏のある丘陵で、音も無く、風も無く、ただ薄茶色の砂が広がっているだけだった。

 宿へ戻ると帰りの支度をした。女将に「島の生活はどうやって物資を調達しているんですか」と訊くと「週に一回、島民専用の飛行機で府中まで行くんです」と応えた。道理で海に隔離された閉塞感がないのが納得できた。

 神津島はもうまごうことなく東京なのである。言葉に訛りもなく、生活様式も本州と違わない。見るべき者は全て見た気になった。私はもう神津島に来ることはないだろう。

 その日の昼過ぎ、私は島を離れた。来るときとは違い、大型船ではなくジェット船だ。

天候が悪いせいか、やや波が高く、船は上下に乱高下した。

 私は酷い船酔いをした。いや、ただの船酔いとは思えなかった。体中の穴という穴から、全てが吹き出た。冷や汗、脂汗、尿意、鼻水、激しい嘔吐、苦しい便意。自分でもこれはおかしいと感じた。昨晩の刺身があたったのか? 私はトイレに立て籠もった。

 なんとか客席へ戻ると「天候悪化のため神津島へ戻ります」とのアナウンスがあった。

 ジェット船はまた神津島へ戻った。私はふらつきながら下船すると、女将が私を待っていてくれた。「船から連絡があって、戻ってくると言ってましたから」とのことだ。

 私は体の不調を訴え、早々に宿へ戻り、また六畳一間の部屋へ寝かされた。体の変調が治まるまで何時間かかるか分からないが、安静にするしかなかった。ふと目を開けると、四面の魚拓がこちらを見ているような気がした。何にせよ、またしばらく神津島に逗留するしかなかった。

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