第21話

 ポポが運転する車両が、未だ朝の余韻を残す空気の中を押し進む。

 自分達以外が乗っていない電車の中で、四人は光が微睡んでいるかのような安穏とした空間で電車の音と一定のリズムを楽しんでいた。

 思えば、四人とも電車に乗るなんて随分と久しぶりだった。晶と巡は『ガワ』になってすぐ、他の『ガワ』の車に乗せてもらい東京まで来たし、枝垂とうつろは元から東京在住だった。仕事の際も都内からは出ず、遠出も車を用いていた。

 だから、このがたんごとんという音も、早く流れていく遠くの景色も、自分達と一緒に揺られる吊り革も、何年も見ていなかったし感じていなかったものだ。


「そーいや、うつろさん。あの衣装、何?」


 眠りかけている巡の隣で、晶が首を傾げる。


「あの衣装?」


「ほら、あの白いヒラヒラしたやつ。剣舞の時の」


 ああ、とうつろは呟き、少し眉を顰めた。


「……ノーコメントでいいかな」


「えー? そんなこと言うなら、うつろさんオタクの枝垂くんに訊いちゃおっかなー?」


「わ、私ですか?」


 確かに枝垂の『中の人』がうつろの『中の人』のファンであったことは事実だが、オタクと表現されると少し戸惑ってしまう。


「夜薙くん、やめて」


「しーだーれーくーん」


「夜薙くん」


「枝垂くんっ」


 二人の先輩の間で板挟みになり、枝垂は二人の顔を交互に見る。


「あ、哀染先輩が嫌だって言うので……」


 ちぇー、と晶が唇を尖らせ、うつろが周囲に気づかれないような小さな安堵の息を漏らす。

 確かに、枝垂はうつろのあの衣服に見覚えがあった。

 ブイチューバーはイラストレーターとモデラーに発注をすることで、立ち絵を何パターンでも用意し配信で使うことができる。勿論双方の仕事の都合もあるので、大量に制作することは叶わないが。

 基本的に初めから使っている立ち絵の他、後から追加で作られた立ち絵を『新衣装』などと呼んで配信で公開することが多い。

 つまり、うつろのあの水干や七枝刀は、後から追加された立ち絵の『衣装』である訳だ。枝垂にもそういった衣装は一つだけある。


 鬼剣舞の練習の際、うつろが衣装に着替えるのは一瞬だった。彼の全身をノイズのようなものが包み、それが晴れたと思ったら真っ白な水干の衣装に変わっていたのだ。衣服だけならまだしも、髪の長さすら一瞬で変わるのだから驚きだ。


 それにしても、と枝垂はうつろをこっそりと盗み見る。

 鬼剣舞の練習を夜通し続けていて全員疲労は溜まっているものの、一番疲れているのは剣舞で体を使っていたうつろだろう。彼は腕を組んで目を閉じ、既に眠りの準備に入っている。

 彼はどうして、衣装について言及されることを嫌がったのだろう。枝垂の記憶が正しければ、あの衣装はうつろの過去を象徴する衣装だった。うつろは以前はとある因習村の神主の子で、その因習に運命を翻弄されていたと言う。

 そこで、うつろの腕の傷を思い出した。設定であるから、絶対に消えない傷。

 まるで、徹底的に可哀想なキャラクターとして作られているかのようだ。

 視聴者にすら詳しくは明かされない、しかし本人が口を噤むからこそ悲惨さを思わせる過去があり、豊かな笑顔の裏では自傷と外傷の傷跡がびっしりとついている。


 誰かの嗜虐趣味を押し付けられているかのようだと、枝垂は思った。


 だとすると、誰がそれをしているのだろうか。誰がうつろを、可哀想なキャラクターとして設定したのだろう。


 『中の人』以外、有り得ない。


 枝垂は思わず眉を顰める。枝垂にとって自分の『中の人』は敬愛できる人間だったから、『中の人』が『ガワ』に己の欲望を押し付けてうつろを苦しめているなどとは、考えたくなかった。

 けれど、きっとそれが事実だ。


 だからうつろは死にたいのだろうか。永遠に逃れられない設定という名の枷から逃れるために、死にたいのだろうか。

 望みもしていない自傷の傷跡に、ただただ苦しませるために存在するかのような過去に、苦しむのは一体どれだけ辛いのだろう。

 うつろは、この三年間を絶望の中で生きてきたのだろうか。

 考えれば考えるほどに、泣きたくなった。その苦しみに心を寄せることすら、うつろに対して失礼なのではないかと思って、考えないようにするために窓の外の景色を見る。

 枝垂は死にたい。これは心からの意思だ。しかしそれは己の『中の人』を殺してしまった罪悪感ゆえで、今という時間が辛く苦しいわけではない。

 しかし、うつろにとって今はどうだろうか。楽しいだろうか。安心できるだろうか。それともただただ、彼に辛苦を味合わせているだけなのだろうか。


 文字通り絵のような笑顔を携える彼に、本物の幸あれと心から願った。

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