悪魔のビジネス

@wlm6223

悪魔のビジネス

 私は血の渇きに飢えていた。もう五年ちかく魂を食っていない。魂は若ければ若いほど味わい深い。悪魔に魂を売った慚愧の念が口の中で蠕動し、固く噛みしめるほど悲痛な嘆きと後悔の念がじわりと口の中をほとばしる。それが私の渇きを潤してくれるのだ。老いた魂の諦念など美味くもない。若い魂が欲しいのだ。

 私は飢えを堪えつつ闇夜の中を徘徊していた。ちょうど深夜零時をうつ頃、遠くから私を呼ぶ声が聞こえてきた。

 Eloim,Essaim,frugativi,appelavi

 その声は妙は節回しをつけて繰り返し繰り返し続いている。私は声のする方へ飛んで行った。

 辺鄙な田舎町の十字路の端で、黒人の青年がギターを抱えて歌っている。彼が私を呼んだのか。私は相手に合わせ、黒人の老紳士に化けて近付いていった。とぼとぼと歩いていくと、彼はやにわに手を止めて私を見た。

 「……やあ、こんな夜中に散歩かい」

 「君が私を呼んだんじゃないか」

 彼の目が急に驚きに変わる。私は彼の目をのぞき込んだ。悪魔は人間の目を見ればその全てを知ることができる。彼の名前はロバート・ジョンソン。ミュージシャン。その不幸な生い立ち、勝手気ままな自由な生活、いや、酒に溺れた旅芸人といった方が近いかも知れない。正式な結婚もしていないくせに子供がいる。家族とも音信不通。当然のように一人で国中を渡り歩き、その場その場の稼ぎでなんとか糊口を凌いでいる。女癖が悪く何人かに恨みをかっている。彼の将来は、良くて野垂れ死にだ。だが彼には絶望の気色がない。そのくせ大いな野心がある訳でもない。一体この男に何があると言うんだ。

 「本当なのか? 本当にあんたが……」

 疑うのも無理は無かろう。私だって召還されるのは久しぶりだ。

 「ああ。本当だとも」

 私は懐から葉巻を取り出し、指先で火を点ける。紫煙を吹き出すとその向こうで彼は不思議そうに私を見つめている。

 「なあ、あんたは何でも望みを叶えてくれるんだって?」

 「早速ビジネスの話か。そう慌てるな」

 「俺はロバート。みんなはボブって呼んでる。あんた名前は?」

 「それは言えんな。悪魔祓いに利用されては困るからな」

 彼はまっすぐ私を見つめる。するとますます彼の半生が見えてくる。淫奔な生活、衝動的な喧嘩、貧困の暮らしがありありと見えてくる。夜、世間が今日の糧に一家揃って神に感謝の祈りを捧げているとき、彼は飲んだくれてギターを抱えて歌っている。安いギャラでこき使われ明日のことなど何も考えていない。この男に未来は無い。だが若い。私は彼の魂を食いちぎり噛みしめる喜びを想像してみた。今すぐにでも噛みしだいてやりたい。

 「あんた、本当に地獄から来たのか」

 地獄は罪人が行くところだ。私はその橋渡しぐらいしかしていない。

 「まあ、そんなところだ」

 「俺の望みを訊いてくれるか」

 「ああ。いいとも」

 「とにかく金が欲しい」

 「それだけか」

 「ああ」

 「いいだろう。お前はミュージシャンなんだろ。ミュージシャンが成功するには名声が必要だ。それも付けてやろう。私と契約すれば子々孫々まで持て余る財産と、百年先まで残る栄誉を与えよう」

 彼は目を丸くし、半口を開けた。

 「どうすればいいんだ? 俺はブルースしか弾けないんだぜ」

 「お前の死後、魂を私によこせ。そのギターを貸してみろ」

 彼は私にギターを渡した。私はチューニングをし直して十二小節のブルースを弾いた。 「おい、今のなんだよ。どう弾いたんだ」

 「見ての通りだ。私と契約すれば明日からはお前も出来るようになる」

 私は思わず口元だけで笑った。

 「分かった。あんたと契約する。直ぐにだ」

 私は懐から契約書を取り出し、今回の契約に必要な条項を書き足した。

 「ではここにサインを」

 と、契約書の末尾を示した。彼は戸惑いながらもサインし、私に返した。

 「これで契約は結ばれた。じゃあ頑張れよ」

 私は高笑いをあげながらその場を去った。一瞬、振り返ると彼は茫然としているようだった。

 さて、あとは死神と交渉して彼の寿命を縮めるだけだ。急げ。私は血の渇きに飢えているのだ。

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