すもも祭り
@wlm6223
すもも祭り
今年も七月二十日が来た。毎年、郷里の府中にある大國魂神社のすもも祭りが斎行される日である。私は外回りの用件を済ませて直帰する、と会社へ連絡をいれ、武蔵野線府中本町駅へ降りた。
この街へ来るのは二十六年ぶりである。私はこの街で生まれ育ち、就職すると他所へ単身引っ越した。私はこの街の貧家に育った。 子供時分の思い出に良いものは何一つない。実家が貧しいだけならまだしも、家庭環境が悪かったのだ。父は零細企業の社長だったのだが、いかがわしい商売に身を費やし、そのくせ収入も少なかったようで、実家は古くて狭いアパート暮らしだった。だが散財家の父は、アパート住まいには不相応な高級外車を三年に一度は乗り換えるような奇癖があった。母は被害妄想ぎみの吝嗇家であった。一家揃って外食したのは一度しかない。それ以降、「家で作れば安く済む」が口癖になっていた。もちろん家族旅行などしたことが無かった。父は親戚一同から多額の借金をしていたようで、よく母と口喧嘩をしていた。小学生の私は、早く大人になってこの家から独立したい、と願い続けていた。その思いは中学、高校と進学するにしたがい、募るばかりであった。
私は高校を卒業すると同時に、馬喰横山の繊維問屋へ就職し、以来、営業マンとして糊口を凌いできた。二十五歳で結婚し、浅草橋に居を構えた。二十七歳で長男が誕生。三十一歳の時に両親が離婚。実家のアパートは取り壊しになったと聞いている。以後、両親とは連絡をとっていない。私は裕福ではないが実家のような貧しさはない中流の家庭を持つことができたのだ。
小学生のころ、近所の大國魂神社のすもも祭りが大好きだった。参道の両脇を埋め尽くす百何十軒の露店が賑やかしく立ち並び、人混みの中を友人と行ったり来たりするのが楽しかった。友人たちは思い思いに露店で買い物をした。焼きそば、たこ焼き、綿あめ、そしてこの祭り名物すもも等々。小遣いのない私はただ友人の買い物を眺めるしかなかったが、それでも祭りの賑わいが私の心を楽しませた。すもも祭りが終わると、もうすぐ夏休みだった。すもも祭りは夏の始まりを教えてくれた。
私が府中本町駅に降り立ったのはもう夕暮れどきだった。午前中に降った雨のせいか季節がらなのか、空気は湿っぽく初夏の風が微かに吹いていた。駅の東口へ出て本町商店会を五分ほど歩く。狭くて曲がりくねった道を行くと、さすがに二十六年前の景色とは随分変わっていた。が、駅ビルがある訳でもなく、平屋ばかりなのは昔とさほど変わりはなかった。大國魂神社の入口付近には、もう既に沢山の人だかりができていた。私は人混みの中に身を滑らせ、参道へ出た。
やあ。懐かしい景色じゃないか。参道の両脇にずらりと並んだ露店たち。それらを覆うように大樹の枝々が夜闇に影を落とす。私はすっかりお祭りの派手やかな楽しさに呑まれてしまった。参道の片隅にある日露戦役記念碑と多摩戦沒者慰霊碑に手を合わせると、もう子供にかえったように露店を眺めまわした。行き交う人々もみな笑顔に見えた。私も
笑顔だった。神楽殿では能をやっていた。暫く見入っていたものの、何をやっているのかサッパリ分からない。分からないといえば、すもも祭りの云われが分からない。たしか、戦国武将が戦勝を祝ってすももを奉納したのがはじまりだと子供時分に聞いたような気がする。私は露店を端から端まで見てまわった。射的をやり、お好み焼きを食べ、金魚すくいをやり、たこ焼きを食べた。小学生のころできなかった事を大の大人になってやってみたのだ。
人混みの中に五、六人の小学生たちがいた。私はその中に小学生の自分を発見した。なにか奢ってやろうと声をかけようとしたが、驚いてしまい声が出なかった。すると小学生たちは既に人混みの中にまぎれて見えなくなってしまった。自分が小学生のころ、こんなことがあったのだろうか? 私はぼんやりと流れる人波を見つめた。
露店を巡ってゆくと、すもも売りに出くわした。みかんを入れる赤いネットの中に、すももが五、六個はいっている。自分への土産のつもりで一袋買った。これで全ての露店を見てまわってしまった。もう、すもも祭りには用がなくなったと思った。
大國魂神社を抜け、実家のアパート跡へ行ってみることにした。すっかり夜となり、寂れた市街地を十分ほど歩いた。建物の殆どは二十六年前と変わっていたが、道の繋がりは変わっていなかった。たしかこのあたり、という場所は駐車場になっていた。
私は昔の惨めな生活とうまく決別できた気がした。私は土産のすももをぶら下げながら、府中にはもう二度と来るまいと思った。
すもも祭り @wlm6223
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