第1話 悪役令嬢初日!そして断罪

 天使のお姉さんと謎の契約を結んでから2日後の9時50分。私はもらったメモで指定された場所に来ていた。一見何の変哲もない普通のマンションだ。本当にここであっているのだろうか、少し不安になる。


(けど、駄目でもともと。当たれば日給2万円……)


 意を決してエントランスに入り、「707」の部屋番号を押して呼び出しボタンを押す。


「はい。どなたでしょう?」


 記憶にある天使のお姉さんの声が答えた。やはり、ここであっていたようだ。私はほっと胸をなでおろす。


「あの、吉田よしだ 汐里しおりです」

「汐里さん! お待ちしていました。どうぞ上がってきてください! 部屋の鍵はあけておきますから、707号室に直接入ってきて下さいね」


 エントランスの奥の扉が開く。私は扉の奥にあるエレベーターに乗って、7階に上がっていった。いまさらながら、本当にあの体験は夢ではなかったのだと、あの契約は有効だったのだと、日給2万円の副業はあるのだと実感する。7階に降り、今度は707号室を探す。……あった。直接入ってきてくれということだったので、そのまま扉をあける。


 すると、前回同様あたりが完全に真っ白になる。周囲を見回してから再び前をみると、あの天使のお姉さんが立っていた。


「汐里さん! ちゃんと来てくれてありがとうございます! 時間もぴったりで、流石社会人です!」

「ええまあ……正直半信半疑でしたけど、副業したかったので」


『ちゃんと来てくれてありがとう』、『流石社会人』ということは、社会人ではない、例えば学生とかがこの副業を過去に請けたんだろうか? そしてその人はちゃんと来なかったのかも……しれない。


「それじゃあ早速ですが、悪役令嬢『レティシア』になってもらいますね! それ!」


 お姉さんが私に向かってどこからか取り出した指さし棒を振ると、私は某美少女戦士の変身シーンのとき現れるような光に包まれた。そして、その光が晴れると、自分の姿はすっかり変化してしまっていた! 深紅を基調にした豪奢なドレス、上流階級らしく白く細い指。おそらく、画面越しに見ていたレティシアの姿になっているのだろう。手や体くらいしか見えていないから顔がどうなっているかはわからないけれど、この様子だと多分レティシアっぽくなっているに違いない。


「素晴らしい! どこからどう見ても、きらカレのレティシアです! ……あれ? あんまり驚いてないですね?」

「いや、驚いてますよ。十分驚いてますけど、30超えてくるとビックリした気持ちを素直に表現するのが難しくなるというか……」

「なるほど、大人の落ち着きというやつですね? それはそれで素晴らしいです! さて、レティシアにバッチリ変身できたということで、早速きらカレの世界に行ってもらおうと思いますが、大丈夫でしょうか?」

「え、え、ちょっと待って! 少し展開早くないですか?」

「細かいことは『あちら』に行ってから説明しますから大丈夫ですよ。 神様たちも待っていますし、行っちゃいましょう! それ!」


 天使のお姉さんが再び指さし棒を振ると目の前が一度暗くなり、はるか上から劇場で見るような深紅の幕が下りてきた。そして、どこからともなく万雷の拍手が聞こえてくる。まるで爆竹のような激しい音に思わず耳をふさいでしまう。


(拍手? なんで?)


『神々も乙女ゲームを盤面に、悪役令嬢をコマに、遊戯をすることにされたのです。あなたはそのコマを演じる者として選ばれました』


(そういえば、天使のお姉さんはそんなことを言っていた。これは、神様かんきゃくたちの拍手……なんだろうか?)


 拍手は次第にさざ波のように引いていき、やがてあたりはしん、と静まり返る。それから一拍おいて、幕が左右にゆっくりと開いていく。幕の向こう側から差し込む光は異様に眩しく、反射的に目を覆ってしまう。ようやく目が慣れてきてあたりを見渡すとそこは、絵にかいたような立派な洋館の一室だった。


(ここ、もしかすると、レティシアの部屋?)


 状況を整理しよう。私はきらカレのレティシアに姿が変わっている。そして今、おそらくレティシアの私室にいる……はず。まずはこの2つを確かめるんだ。

 とりあえず目についた鏡台の前に立つ。顔から服からなにから完璧にレティシアになっている。顔をぺたぺた触ってみるが、特殊メイクというわけではなさそうな感触。どういう仕組みかはわからないが、とにかく何か不思議な力で私はレティシアになってしまったようだ。


「最近の副業はすごいわね……」


 呟く声も記憶のレティシアのままだ。女性らしく高く澄んでいて、どこかツンとした印象のある声はなんだか懐かしい。未だに信じられない思い半分、何をしていいかわからない気持ち半分でしばらく鏡のまえでぼーっとしていると、突如鏡に映る自分が自分の意志とは別に動き出した。……動き出した?!鏡の中の自分はのほほんとした笑みを浮かべながらひらひらとこちらに手を振って、勝手にしゃべり始める。


「汐里さん、改めレティシアさん! どうですか? 再現度半端ないですよね、このきらカレ世界!」

「まさか……天使のお姉さん?」

「あたりです! 先ほど申し上げた通り、色々細かいことを説明しにきました!」


 そういえばさっき、細かいことは『あちら』に行ってから説明すると言われていたことを思い出す。


「まずは軽くおさらいになりますが、レティシアさんにはきらカレのゲームの舞台になる7日間を繰り返し、5人の攻略キャラクターをそれぞれ攻略して頂きます。攻略順はメインヒーローの『レオン』を最後にするということ以外は制限がありません。お好きな順番で攻略してください。攻略が完了したり、断罪されてその周回で攻略キャラクターとこれ以上親密になれない状況になると初めの日に戻ります」


 ここまでは副業契約時に聞いた通りだ。


「また、きらカレ世界のもう一人の悪役令嬢である『ダフネ』も、あなたの世界の別の誰かが、あなたと同じ条件で役割を演じています」

「彼女よりも早く5人を攻略し終わればボーナス500万円、ということでしたよね」

「その通りです! ただ、ダフネを演じる人にも、同じくレティシアより早く5人を攻略すれば特別報酬ボーナスが出ます。ダフネも恐らく、それを狙ってくるでしょう」

「なるほど。攻略している最中に妨害されたりする可能性もあるってことね」

「その通りです!」


 逆に、私もボーナスが欲しければ、ある程度相手を妨害をしないといけなくなるかもってことか。ダフネは近衛騎士団の副長を務める貴族出身の女騎士。主人公・シャルロットが王都に来るにあたって、彼女の護衛としての任務を拝命しているはずだ。まあ、今日はこれから始まる7日間のうちの1日目。とりあえず肩慣らしで主要人物に一通りに会ってくるか――。そんなことを考えていると、にわかに廊下の方からバタバタといくつかの足音が聞こえてくる。1日目、レティシアの屋敷でなにかあったっけ? 細かいイベントだったら忘れちゃってるかも……。そんな、呑気なことを考えていると足音は部屋の前でぴたりと止まり、にわかに部屋の扉が大きな音を立てて開いた。


「その国賊を捉えよ!」

「え?!」


 扉の向こうには帯刀したダフネを先頭に近衛騎士が数人、殺気立った目をして立っていた。わ、私、いやレティシアが国賊?! そんなイベント知らないけど!あまりの急展開に私が何も言えずに固まっていると、ダフネの命令を受けた騎士に左右から両腕を拘束されてしまう。状況が分からず目を白黒させる私を冷たい目で見つめながら、ダフネは私の罪状を言い放つ。


「辺境伯の息女シャルロット殺害の罪で貴女を逮捕します」

「な、何の話ですか?! 私は何もしていません!」

「申し開きは後ほどされることですね。……連れていけ!」

「え、ちょ、ちょっと!」


 藁にも縋る気持ちで、先ほどの鏡台を振り返る。そこには先ほどまで話していたレティシアの姿をした天使のお姉さんの姿はなく、ただただ部屋の装飾が無機質に映っているだけだ。そこで、はっと思い出す。急にこの部屋に乗り込んできたダフネも、私と同じように誰かが演じている存在だと。そして、ボーナスを競い合う競争相手であることを!


「ダフネ、私は知ってますから! あなたの正体を!! あんまりズルいことすると、罰があたりますからね!!」


 騎士に両脇から抱えられて運ばれながらも、なんとか首を回してダフネの方に吠える。くそっやられた! 多分ボーナスのために私の今回の周回を潰す気に違いない。初手からこんな手を打ってくるとは……ダフネの中身は相当に本気のようだ。かくいう私も本気度では負けるつもりはないが、ダフネと違ってレティシアはただのか弱い令嬢。騎士たちを振りほどけるわけもなく、あっさりと牢獄に囚われてしまった。

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