『■■■■村のカミサマへ⑥』
「柳沢さんはクロミヤレイって知っていますか?」
「呪文ですか?」
「うーん、呪文とも違いますね。どちらかといと、人の名前かな……」
「……白鳥さんの知り合い?」
「たぶん……」
居酒屋の座敷席。
焼きそば、枝豆、刺身、そして日本酒……そして、晴れた空のように鮮やかな青色のカクテルが並べられたテーブルを囲み、私と柳沢は団欒していた。
居酒屋と言ってもチェーン店ではなく、地元密着型の小さな店である。周囲では、近所に住んでいるサラリーマンやカップルで賑わっていた。
「私が大学生のとき、こんな噂が流れていたの。○○大学の理学部には『クロミヤレイ』という学生がいる。けれども、誰も『クロミヤレイ』という学生の特徴を覚えていない」
「あぁ、確かに存在するけど誰も正体は知らないというヤツですね。都市伝説では、お決まりのパターン……」
皿から枝豆を一つ取る。
そのまま中身を出そうと、出っ張った部分を押したところ、緑の物体が勢いよく飛び出してテーブルに着地した。
恥ずかしさのあまり柳沢の方を見る。
茶色に染めたショートカットの下にある彼女の顔は、瞳は真剣な表情を浮かべながらこちらを見ていた。どうやら、笑われることは回避したらしい。
「どうして急に、そんな話を?」
「実は……私が、むかし見えていた、幽霊の名前も『クロミヤレイ』なんです」
「白鳥さんって、幽霊とか信じるタイプでしたっけ?」
「そういうわけじゃなくて……ずっと、むかし、まだ新しい家に引き取られたばかり頃は、ストレスを抱える日々で、よく幻覚を見たんです。例えば……チラッと、部屋の入口を見たら、こちらを睨みつける男の子が居て、もう一回見てみると消えていたりとか……。それで、私は、その幽霊のことを『クロミヤレイ』と呼ぶようになったんです。理由は、もう覚えていませんが……」
「なるほど……」
「大学に進学してから『クロミヤレイ』の噂を聞くようになったの。○○大学理学部には『クロミヤレイ』という学生がいる。どこにでも居そうな黒髪の青年で、背丈は小柄。態度はいつも礼儀正しく紳士的。彼と出会ったとか、話したとか、目撃情報はあるのに誰も彼について詳しく知らない……この噂を初めて聞いたとき、もしかして自分が作り出した幽霊が大学にまで着いてきちゃったのかなって、思って」
頬が赤く染まってきた柳沢は、無言で天井を仰いだ。考え事をしているみたいだ。
今日、柳沢が着ている服は、お嬢様ぽいブラウンとホワイトの清楚なワンピース。そして、机の上に乗っている割り箸は、ご丁寧なことに、入っていた袋で作られた箸置きの上で行儀良く並んでいた。
清楚美人で、マナーや仕事の効率は申し分ないのに、なぜか機械音痴。それが、
機械音痴に関しては、厳密に言うとデジタル音痴と言うべきかもしれない。十年ほど前、まだ私たちが入社したばかりの頃。彼女にUSBメモリーの使い方を説明したことがある。その際、データをUSBに移す方法を説明するだけでも、かなり時間がかかった。
「少し考えてみましたが……もしかして、白鳥さんが作り出した怪異が、大学まで着いてきたのではなく、もともと存在する怪異――もしくは、都市伝説が、白鳥さんと○○大学の学生に影響を及ぼしたのではないでしょうか?」
「……どういうことですか?」
「申し訳ありません、複雑な説明をしてしまいましたね。要するに、もともと『クロミヤレイ』という都市伝説が存在して、白鳥さんと○○大学の学生は、その都市伝説を元に、新しい怪異を作ったという話です」
「なる……ほど?」
「まず白鳥さんは、どうして幽霊に『クロミヤレイ』という名前をつけたのか覚えていないんですよね?」
「はい、そうです」
「まだ幼かったごろの白鳥さんは、どこかで『クロミヤレイ』という都市伝説を覚えたのだと思われます。そして、幽霊に名前をつける際、無意識のうちに『クロミヤレイ』という単語を選んでしまったのでしょう」
頭の中で立ち込めていた霧が晴れ始める。どうして、今まで、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
「○○大学で広まっている噂も同じでしょう。学生の中に『クロミヤレイ』の噂を聞いた人が居て、彼――もしくは、彼女が噂を流し始めた。そして、先ほど白鳥さんは『クロミヤレイ』のことを『どこにでも居そうな青年』と仰いましたよね?」
「えぇ、言いました」
「白鳥さんは、そんな大して特徴のない青年と出会ったところで、しっかりと記憶に残りますか? 答えはノーですよね?」
「確かに……言われてみれば……」
「おそらく、目撃情報はあるのに、誰も『クロミヤレイ』に関する詳しい情報を持っていなかった理由……それは、証言していた学生が過去に出会ったことのある『どこにでも居そうな青年』を『クロミヤレイ』だと誤認していたのでは?」
「ふむ、ふぅむ。なるほどぉ……なんというか、マンデラ効果に似ていますね」
空っぽになったロンググラスを眺める。
横に振るとカランコロンとサイコロ型の氷が音を鳴らした。
満たされていたチャイナブルーは飲み干した。グラスは空っぽ。私の中身を空っぽ。
かつて空色だったグラスは、証明に照らされて赤色へと変わり果てた。
両親が謎の死を遂げてから、黒宮家に引き取られて、毎日怯える日々を送ってきた。
黒宮家……そして、■■■■村は何かを隠している。私はたぶん騙されている。次死ぬのは私かもしれない。
毎日、そうやって怯えて暮らしてきた。
だから大学進学する際、一人暮らしがしたいと懇願した。都会のアパートはとにかく高かったけど、空き時間を使って、こつこつ、バイトで生活費を賄って――こつこつこつこつこつこつ……。
「白鳥さん……大丈夫ですか?」
柳沢の声により散漫していた思考が集束する。
「すみません、飲みすぎたみたいで。気持ち悪くなってきて……」
「あまり無理なさらないで下さいよ。店長、お冷下さーい!」
カウンターの方から「あいよー!」という声が聞こえてくる。
そうだ……無理しちゃいけない。
大学生の頃、無理しすぎて倒れて……お姉ちゃんに迷惑かけたじゃない。
「黒宮さん」
カウンター席に座った男性に話かけられる。常連客の方だ。
「苗字変わったの? もしかして籍入れた?」
「違います。白鳥は旧姓です。本当は黒宮なんです。でも私は、この苗字が嫌いで……滝沢さんには白鳥と呼んでもらっているんです」
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