黒宮怜の日記⑥「夢想」

「おはようございます」


 翌朝、客室がある二回から、フロントがある一階へ降りると、中居さんらしき人が朝食会場へ案内してくれた。


 雅登の妻であろうか?


 会場といっても、大型旅館のような広いバイキング会場のようなものではなく、どちらかというと、ちょっと広めのダイニングだ。

 窓際には、蓄音機、昔ながらの手動かき氷器、ガラスランプが並んでいた。まるで骨董品屋のショーウィンドウだ。


 柔らかい朝日に照らされた窓際の席に案内される。テーブルの上には、ご飯、鯖、お吸い物、サラダ、漬物などが並んでいた。


 カチカチと時計が鳴る。

 朝日が頬を照らし、段々ぼやけていた意識が戻ってきた。


 早速、鯖から口にする。特に可も不可もない普通の焼き鯖だ。そのまま、室内を見渡していると、ある違和感に気づいた。


(老夫婦が……いない……?)


 昨日、遭遇したはずの老夫婦が朝食会場にいない。 単純に、まだ起きていないか、もう既に朝食を取り終えている可能性もあるが、念の為、聞いてみる。


「あのぉ……」

「どうしました?」


 傍を通りかかった中居らしき人に、話しかける。


「食事で何か気になる点がございました? それとも……」


「いっ、いえ……食事は、とても美味しいです」


 彼女の声や表情から焦っていることが伺える。僕が黒宮家の人間だからか……?


「確か年配の方が二人宿泊していらっしゃいましたよね?」


「えぇ、あちらの方でしょうか?」


 中居らしき人は、手で二つ先のテーブルに座った二人組を指し示した。六十代ほどに見える男性二人組だ。朝だというのに、テーブルの上にはビール瓶が置かれている。


「もっと、お年を召した男女二人組です」


「あらぁ、すみません。昨夜、そのようなお客様はいらっしゃいませんでしたよ」


「え……?」


 思わず言葉を失う。


「そうですか。僕の勘違いだったみたいです。すみません」


 苦笑いをしてから、昨日の記憶を掘り起こそうとする。僕は確かに老夫婦を見た……そう、老夫婦を……あれ、そんなもの見たっけ?


 段々と、記憶が錯乱し始める。


「おにぃーさ……」


 何とか思い出そうと、記憶の海を漁る度に、頭の中をかき乱されるような感覚に襲われる。


「おにぃーさん!」

「いでぇっ!」


 右腕に痛みがはしる。

 何事かと、右側を見下ろしてみれば、小さな男の子に右腕をつままれていた。

 雅登の息子だろうか?


「顔色悪いよ。だいじょうぶ?」

「大丈夫だよ。大丈夫だから、離してくれないかな?」

「はぁい」


 少年はニッコリ笑ってから手を離した。

 まったく、返事がないからって、腕をつねるなよ。



*



「おはよう、怜君」

「おはようございます。雅登伯父さん」


 朝食会場から出ると、雅登が姿を現した。


「雅登伯父さん。二つお伺いしたいことがあるのですが……」


「なんだい?」


「滝沢凪という人を知りませんか?」


「知らないなぁ。どうして、そんな事を?」


「この村に住んでいた、僕の友人なんです」


 雅登が眉を八の字にする。


「いや、この村に滝沢という苗字の人は居ないよ。少なくとも俺が記憶する限りは」


「そんな……だって……」


 だって、僕には凪と過ごした思い出がある。一緒に虫取りして、一緒に花火で遊んで、一緒にイタズラをして、怒られて……。あの思い出は全て嘘だったのか?


「本当だよ。この村は人口が少ないからね。みんな、知り合いみたいなものなんだ。でも滝沢という苗字に覚えはないよ」


(僕がおかしいのか、あるいは、この村が異常なのか?)


「それよりも、もう一つの質問は?」


「あー、えーと、この宿に子供は住んでいますか?」


 雅登が目を見開く。


「おや、君も?」


「見えるって、何を?」


「黒と赤の和服を着た子供たちを」


(この人も、あの子供たちを知っている?)


「そうです。まさか、座敷わらしですか?」


「そんなものだよ。あの子達は遊び相手が欲しくて、いつも客を呼び込んでくるんだ。おかげで宿は一年中大繁盛だよ」


 ネットで『みかがみ屋』に関する情報を集めていた時、座敷わらしの話があったけど、まさか本当とはな。


「雅登伯父さんも見えるんですか?」


「いや、俺は見えないよ。ただ、昔、八重子さんが、この宿には子供の霊が沢山住んでいると話していてね」


 沢山ということは、他にもいるのか。


「なるほど、ありがとうございました」


「あぁ、大した役に立てなくて済まない。そうだ、怜君は明後日、東京に帰る予定だったよね?」


「そうですけど……」


「どうしても明後日に帰らなくてはならない用事があるのかい?」


「ないです」


「どうしても、今日中にやらないといけない用事は?」


「それもないですが……」


 今日は凪と関係のある場所を回る予定であったが、別にやらなければならない用事ではない。


「そうか、それは良かった。だったら今日の宿代をチャラにしてあげるから、代わりに八重子さんが市立病院に行くのを付き添ってくれないか?」


「市立病院ですか……?」


「そうだ。今、八重子さんの娘――君の従兄弟が市立病院に入院していてね。今日、八重子さんが、お見舞いに行くそうだ」


「それ、付き添いは必要なんですか?」


 子供のじゃあるまいし。


「実は最近、八重子さんは気を病んでいるみたいでね。一人で居させるのは怖いんだ」


 八重子が着物の下にまとっていたインナーを、思い出す。


(あのインナー、肌を隠す為に着ていたようにも見える。あの下には何が隠れているんだろう?)


「分かりました。でも、宿代チャラは流石に……」


「気にしなくて良いよ。そもそも甥っ子が泊まりに来たのに、金を取る方がおかしいからね。むしろ全日チャラにしてあげるから、ずっと、この村に残って欲しいぐらい」


「それは流石に申し訳ないです。チャラは今日だけでお願いします」


 廊下に雅登の笑い声が響く。


「おや、真面目だねぇ」


「ちなみに、娘さんの名前は?」


「みさき、黒宮みさきだよ」


 みさき?


 どこかで覚えのある名前だ。


 確か……村で暮らしていた頃、一緒に遊んでいた女の子。あだ名は『ミサ』。村の中で僕だけが使っていた名である。





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る