幸せ さよなら

朝、晴男は鈴の自宅に向かう。

新たなる決意を秘めて。


「ごめんください。わっ!」


鈴の家の引き戸を開けると、すぐ玄関で鈴の母親が指をついて深々とお辞儀をしていた。

まさかの光景に晴男は声を上げてしまったわけだ。


「晴男様、お待ちしておりました。」


顔をあげた鈴の母の目の下にはビッシリくまができてしまっている。

昨夜も思ったが、あまり眠れていないらしい。


「晴男ー!もうちょっと待ってー!」


玄関の奥から身内の声がする。

どうやらハナがここにお邪魔しているらしい。

たしかにいつのまにか家にいなかったが、まさか鈴の家にいるとは思わなかったのでビックリした。


「どうぞお掛けになってお待ちください。すぐにお茶を用意いたします。」


「いえ、私のことはお気になさらず。」


ヒステリックな母親なので晴男は少し緊張してしまっている。

口を一切開くことはなく、こちらを見るわけでもない。

鈴の母は本当に読めない人である。


トコトコと廊下に足音。


「は…晴ちゃん。」


少しうわずった鈴の声。

晴男がそちらを向くと、カラシ色に赤い椿の花の柄のついた艶やかな着物を身にまとう鈴の姿がそこにあった。

それがまた本当によく似合うこと。

晴男の目は鈴から離れることができなかった。


「この柄、鈴ちゃんに似合うと思って。」


鈴の後ろからハナが現れて言った。

どうやらハナが自らの着物を持ち出して、鈴に着付けたようだった。


「はい。よく似合ってると思います。」


二人は目が合うと一気に照れくささが増し、慌てて目を逸らした。

ハナは可愛い二人の反応に少し肩の荷が降りたような気がした。

昨夜の違和感はきっと勘違いだろう。

そう思えた。



「行ってまいります。」


晴男は持たせてもらった水筒2つを肩にかけ、ハナと鈴の母親に一礼をし、鈴と共に家を出た。


「…。」

「…。」


沈黙で歩き始める。

お互い、慣れないことに緊張を隠せないようだ。

美しい着物姿。

改まったデート。

鈴は一気に大人に近づけた気がした。

今の姿だったら晴男にふさわしい女性として周りは見てくれるだろうか。


「鈴ちゃ…」

「はいっ!」


晴男が呼びきる前に返事をする鈴。

ビックリしたが、固まって見えるその体に、鈴もまた緊張しているのかと晴男は心がゆるんだ。

フッと笑顔になる。


「今日はどこか行きたい所はありますか?」


晴男が尋ねる。

すると鈴は、ん〜と少し考えるポーズをとったが、ピッと人差し指をたて、


「廃寺!」


そう答えた。


「え、もちろん俺も行きたいけど…何か特別な場所じゃなくていいの?」


うん、と鈴が頷く。


「鈴にとってあそこは特別な場所だよ。それに晴ちゃん、今日帰らなきゃいけないでしょ?だった晴ちゃんも喜ぶ廃寺がいい。」


本心だった。

晴男との思い出が詰まったあの場所は、鈴にとって大好きな特別な場所となっていた。


晴男は自然と笑みがこぼれた。


「ありがとう。」



二人はゆっくりと廃寺に向かった。

セミが元気にあちこちで自分は生きていると泣き叫んだいた。

カラッと晴れている為、日差しが強い。

お互いの今日までを話しながら歩く。

時々二人は大笑いしている。

なんて平和で穏やかな時間だろうか。

今、日本が戦争中だということを忘れてしまいそうだった。


慣れないキッチリした着物で階段を登るのはなかなかにキツい。

小さな歩幅で一段一段と廃寺に近づいていく。

汗が頬をつたう。

すっかり筋肉のついた晴男は自分が以前より楽々と階段を登っていることに気づく。

振り向くと鈴は


「よいしょ。よいしょ。」


と、一生懸命に一段一段を踏みしめていた。

可愛い。


晴男が、鈴に手を伸ばす。

鈴は暑さで火照った顔で微笑み、その手をつかむ。

二人はゆっくりと階段を登っていく。

背中に優しい風をうけた。

前へ進む二人を後押ししてくれてるようだった。



「鈴ちゃん…掃除してくれていたの?」


久しぶりに訪れた廃寺の中、晴男が最後にみた時よりもずいぶんと綺麗にされているように感じた。

うんっと返事をする鈴。

晴男はなんだか胸がいっぱいになった。

嬉しい、それよりもっと上級の言葉で表したい感謝の気持ちが溢れそうだった。


晴男はまず正座し、仏像に手を合わせる。

鈴もその横で晴男のマネをする。

晴男は、以前のように鈴の父の安らかな眠りを祈り、自分の近況報告をし、これから先の決意を心の中で伝えた。

鈴は、晴男がこれからも無事に帰ってくるように願った。


「…鈴、お水飲んでいい?」


すっかり汗だくになってしまった鈴は、晴男が持ってくれた鈴用の水筒がほしいと手を伸ばす。

晴男が鈴の方に向き直り、水筒をすぐさま手渡した。

そして自分も自分用の水筒を手にする。

ごくっと喉をならし水を飲む鈴。

途中でハッとした。


「なんだか結婚式みたい。」


美味しそうに水を飲む鈴に釘付けになっていた晴男もまたハッとなる。

 

「結婚式…。そうだね。じゃあこの仏様が…仲人?仲人だっけ。」


「ん~わかんない。」


鈴は笑う。

それに釣られて晴男も笑う。


「三々九度って聞いたことあるけどわかんないや。まぁ…いっか。」


再び二人は水筒に口をつける。

ただでさえ暑いのに、久しぶりの二人っきりの場面にドキドキと緊張もしてしまってるからだろう、喉が渇いていた。


「本当によく似合ってるよ、鈴ちゃん。」


晴男は母のお下がりを身にまとう鈴に感慨深いものがあった。

鈴の可愛さも2倍以上にレベルアップしている。

またしばらく会うことはないだろう鈴をしっかり自分の目に焼き付けておきたかった。

それがこの姿で良かったなとも思った。

いつもの少しくたびれた衣服をまとう鈴だと心残りになりそうだったから。

都合のいい頭だなと晴男は思い、ちょっと自己嫌悪した。

鈴は変わらずニコニコと学校での出来事を話している。

楽しくやっているようで安心した。


「鈴、晴ちゃんの立派なお嫁さんになるために毎日ちゃんと頑張ってるからね。」


晴男の胸がチクッとした。

これから鈴に大切な話をしなくてはいけなかったからだ。

黙る晴男に鈴は少しだけ不安になった。

大事な話。

その言葉が頭をよぎったからだ。

ここまでの晴男に何も変わりはない。

何も不安に思う必要はない。

そう鈴は自分に言い聞かせた。

晴男の目に映る鈴の表情が曇っていくのがわかった。

晴男は静かにゆっくりと鈴を抱きしめる。

あたたかな体温が腕の中に広がる。

鈴は今生きている。

この腕の中でたしかに生きている。

鈴は急な展開に胸が激しく脈打ち、少し息苦しさを覚えた。

幸せな息苦しさだが。

晴男の心臓の音が聞きたくて目を閉じた。

かすかに…かすかに、シャツの下から晴男の鼓動が伝わってくる。

晴男は今生きている。

鈴のすぐそばで、ここにいるよと言っているみたいだった。

鈴も晴男を抱きしめ返す。

少し胸板が厚くなったように感じた。


晴男は口を開くのをためらっていた。

今この幸せをいつまでも噛み締めていたかったから。

でも…。

晴男の心はすでに決まっている。


「鈴ちゃん…俺のこと待たなくていいよ。」


大きな岩で頭をぶん殴られたような衝撃。


サーッと雨が降り出した音が廃寺に響く。


雨雲のせいで光が失われていく。


オレノコトマタナクテイイヨ


「な…んで?」


脳が言葉の意味を処理することができずにいる。

晴男は力が失われたようにグッタリとする鈴を抱きしめたまま言葉を続ける。


「俺…この道が鈴ちゃんを幸せにできる道だって思ってた。でも違った。」


鈴は瞬きすらできない。

時が止まってしまったように感じられる。

頭が動かない。


「俺は結局ずっと鈴ちゃんのそばにいられない。卒業したらすぐに部隊に配属になって戦地に行くことになるから。結婚しても…ずっと一人にさせてしまう。ただでさえ…今だって何もできてないのに…。鈴ちゃんを守りたい気持ちに変わりはない。だから戦いに行くことは怖くない。でも…ずっと寂しい想いをさせるくらいなら…。ううん、違う。」


そうじゃない。

ウダウダ言い訳を並べて未練がましくいたくはない。


「俺は鈴ちゃんを幸せにできない。」


晴男が心に決めた事。

鈴を諦める事。

鈴に自分を忘れさせる事。

他の人に幸せにしてもらう事…。


「なんで…鈴ずっと待ってたよ。」


口から言葉が出るのと同時に涙が溢れた。


ゴロゴロゴロ


空も鳴いている。


「うん。でももう待たなくていい。他の人に幸せにしてもらいな。」


晴男は言いたくない言葉を吐きながら鈴を抱きしめる腕に力を込めた。

無意識だった。

本当は離したくなかった心が作用したのだろう。


「嘘つき!晴ちゃんが結婚しよって言った!鈴以外考えられないって言った!」


鈴は晴男を引き剥がして睨むように晴男の瞳を見つめた。


「鈴以外考えられないよ!俺は鈴が大好きだよ!他の人なんて…やだよ…。」


晴男は込み上げる涙をグッとこらえる。

自分が決めたことだ。


「ごめん。ちゃんと聞いて鈴ちゃん。」


「やだ!」


「俺にも色々あったんだよ。」


「知らない!」


鈴は何も聞きたくなかった。

ずっと信じてきた現実が一気に壊されていくから。


「鈴…俺はもう…軍人なんだ。いつこの世から消えてしまうかわからないんだよ。」


「敵から逃げ続ければいい!」


この時代、誰かの耳に入ればどんな目にあうかわからない発言だった。


「その敵が攻めてくるんだよ。人を殺すんだよ。俺が逃した敵がもしも鈴に何かしたら…そう考えるだけで震えが止まらないよ…。」


晴男の身体が言葉通りワナワナと震えていて鈴はハッとした。

晴男の自分を守りたいという言葉の重みを感じた気がした。

言葉に嘘はないのだ。


「…ごめんなさい…。でも…鈴には晴ちゃんしかいないもん。ずっとずっと信じてきたのに。だから頑張れたのに…。」


鈴の目からとめどなく溢れる涙。

晴男の心もまたギシギシと悲鳴をあげてるように痛んだ。

でも言葉を訂正することはできない。

どう考えても…鈴は自分じゃ幸せになどなれないのだ。

ずっと縛り付けるだけなのだ。

自分の幸せのためだけに…。


「鈴。」


晴男が名を呼ぶ。

涙で晴男の表情はハッキリとは見えない。


「ごめんね。」


ピシャーンッ


どこか近くに雷が落ちた。

ただ鈴にはどうでもいいことで、その光も爆音もいっさい自分にはいってこなかった。

晴男は山火事の危険などを察して、慌てて鈴を抱き寄せようとしたが、鈴はスッと右手を伸ばし晴男を拒絶した。


「…嘘つき。」


光を失ったような瞳でそう告げた鈴は、スッと立ち上がり大荒れの外に飛び出そうとした。

雷嫌いの鈴を捕まえようとしたが、ヒラリとすり抜けた。


ちりん


鈴の胸もとから小さな袋が落ちたが、鈴は気にすることなく廃寺を走り去ってしまった。

お守りくらいの大きさのそれの中には、少し古びた鈴が1個と折りたたまれた手紙が入っていた。




晴ちゃん

鈴が生まれた時に父ちゃんが買ってくれた鈴のお守りのすずです。

鈴はもう大丈夫だから晴ちゃんが今度守ってもらってね。




晴男は胸が張り裂けそうに苦しくなって、慌てて廃寺の出口に立った。

ザーッと大粒の雨が辺り一面を濡らしている。

灰色の空には時折一筋の光が走っていた。


「鈴ちゃんのお父さんが怒ってる。」


晴男は荒れた空を見てそう思った。

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