第47話 もうお別れなんてわたし

 旅支度自体は宿をとった当日には終えていた。なので、あとはクラーク共和国での一般常識を得られれば、出発しようと思えばいつでもできた。そもそも持ち物は全部袖下に入っているから、旅支度というほど大がかりなことは何もしていない。


 国境町プレアが良いとか悪いとかじゃない。確かにこの町は異文化の香りもしたし、知らない料理や物も沢山あった。でも、ここはまだアライア連邦国に近しい場所であり、クラーク共和国という国を本当に楽しみたいのであれば、もっと奥深い場所に行かないと。


 まだ知らない土地でまだ知らないものを体験する、それが世界旅行の真髄じゃないかと思うからだ。


「そうですか、分かりました。出発の日はいつ頃を予定していますか?」


「できることなら、明日にでも出発しようと思っている」


「明日ですか……せっかく仲良くなれたのに、もうお別れなんてわたし……寂しいです……うるうる……」


 イシュラは両手で顔を覆い隠し僕との別れを惜しんでくれた。


 彼女のすすり泣く声が、さらに僕の弱った心に追い打ちをかけてくる。

 なんて声をかけるのが正解なのか……と僕が頭を悩ませていた時、それは突然起こった。


 ここ一週間、僕たちの会話に入ろうとはせずに従順なペットの如く、つき従っていた愛猫が盛大に吹き出し笑い転げた。

 その笑い声に呼応するかのように、目の前で泣いていた猫耳少女も徐々に声が変化し始めた。最終的には悲し気な涙声が明るい笑声になっていた。


 あの様子を見る限りどうやら僕は一人と一匹の策にまんまとハマってしまったようだ。


「にゃは……にゃっはは、ごほごほ、にゃははー!」


「うううう……うふ、ふふふ……ふふふふ……」


 過呼吸になりながらも笑い続ける猫と、声が零れないように必死に耐える騎士。


 油断していた。リンとイシュラがこれほど仲良くなっているとは知らなかった。そして、彼女がこんな子供じみた提案を受け入れるとは思いもしなかった。


 やられた……それが最初に僕の頭に浮かんだ言葉だった。


 さて、しょうもない作戦を講じてきた策士を問い詰めるとするか。


 僕は床に寝転ぶリンを抱きかかえた。左手と胴体でガッチリと逃げられないように固定し、リンの背に右手を這わせた。あとはリンが白状するまで撫でるだけだ。生え向きに逆らってただ撫でるだけの簡単なお仕事。


「なあーリン。これはどういうことかな?」


「にゃはっ! にゃ……やめ、やめるのじゃ! 少しばかりやり過ぎた我が悪かった! じゃから、我の毛を逆撫でするのを今すぐにやめるのじゃー!」


 リンの魂の叫びがこだまする。が、僕がその程度でこの手を止めるなどありえない。理由はどうであれ、せっかく手に入れたチャンスを手放すことなどできようか。この毛並みを一度でも経験してしまったら、誰であっても神であろうと撫でる手を止めることなど不可能だ。


 猛烈な撫でまわしにリンはすぐに吐露したが、僕は手を休めることはなかった。なぜならリンは『逆撫でを止めろ』と言っただけなので、普通に撫でるだけなら何ら問題ないからだ。


 僕は決して約束を違えていない。正しく条件を伝えなかったリンが悪い。


「ふふふ……ふふ、ふ……ふふふふふ……」


「そちも笑ってばかりおらんで、メグルに止めるように進言するのじゃ!」


 そんな混沌カオスな状況が落ち着くまでに、三十分近く要することになったが僕としては大満足、最高の一時であった。

 イシュラは笑いすぎたことにより、頬を痛めたようで今度は苦痛に顔を歪めている。


 宿屋、しかも扉も閉めず開けっ放しの状態での迷惑行為だったが、他の宿泊客や女将から注意されるどころか、無愛想なイシュラを笑顔にさせたとして逆に拍手喝采されてしまった。


 彼らに見送られながら今日で最後となる町案内に出向くのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る