第46話 何が不満なのですか
昨日、リンと一緒に行った場所から、知る人ぞ知る隠れ家的な店、張り巡らされた路地裏、町の守護者が集う騎士団の兵舎。町民ですら気軽に行けないような場所まで、本当に町の隅々を丹念に案内してくれた。
歩き疲れたのかリンは途中から僕の袖下に入り込み寝息を立てていた。重心が右半身に偏ってしまい歩きづらかったが、僕を頼ってくれたのだけは嬉しかった。
その様子を見ていたイシュラは目をまん丸にして驚いていた。まあ実際に彼女が目を丸くしたのかは不明、あくまで慣用句としての表現ではある。あの鉄壁の前髪によって、一度もまだ拝めていない。
何時間歩き続けたのだろうか、気づけば町に街灯が灯り始めていた。時間を忘れるほど、没頭したのは本当に久しぶりだ。最初は面倒だと思っていたけど、知らないことを知れることが楽しかった。
これも全て彼女のおかげだ。こちらが気になったことをボソリと呟いただけで、質問していなくても即座に説明してくれる。しかも、常に最短ルートを選択して効率よく町を回ってくれる。
イシュラから町を案内すると言われた時は、午前中とか長くても昼食までと思っていた。まさかここまで長時間とは思ってもみなかった。
逆にここまで付き添ってくれた彼女は大丈夫なのだろうか、騎士の仕事をほったからして半日近く、僕と一緒にいるだけで何もしていない。
だからといって、部外者の僕が口出していい問題ではないはずだ。何かあれば騎士団の方から彼女に連絡の一つでも入るだろうし、気にはなるが大人しく騎士団の厚意を受け取っておこう。
僕は宿屋まで送り届けてくれたイシュラに謝意を伝えた。
「今日は色々と案内してもらって助かりました。本当にありがとうございました」
「それは良かった。では、また明日」
「また……明日?」
「お伝えしてませんでしたか? 明日以降も町を案内します。時間も今日と同じです。では、お疲れさまでした」
「あ~はい、お疲れさまでした……」
その日からイシュラと一緒に過ごす日々がはじまった。朝六時に起こしに来て、朝食を一緒に食べて町を案内してもらう、昼食を一緒に食べてまた町を案内してもらう、夕食を一緒に食べて宿屋前で解散という、謎のルーティンが生じた。
リンとイシュラ、僕の三人? 二人と一匹で町をウロウロする日々は楽しかったが思うこともあった。
事あるごとにリンから鈍感だと揶揄される僕でも、さすがに一抹の不安がよぎる。就寝時間以外ほとんど一緒にいるイシュラのことだ。本業の騎士の仕事に穴を開け続けている。彼女は町を案内することが仕事だと言っていたが、正直なところもう案内してもらう必要がない。
初日で町全体の八割を、二日目で十割、三日目以降は案内済みの場所を周回しているだけで、これだという新たな発見は特になかった。
四日目、五日目、六日目と彼女と一緒に行動するにつれて、これは本当に騎士の仕事なのかと疑問を持つようになった。
そして七日目の朝六時いつもの時刻、イシュラが迎えに来たタイミングで僕は、その疑問をポロっと零してしまった。前述の通り他にも思うこともあってか、それが無意識に僕の背を押してきたのかもしれない。という謎の言い訳が脳裏に浮かんだ。
一週間前の彼女であれば、例え心の中でそう思っていたとしても、僕は言葉にしようとはしなかったはずだ。言い換えれば、あの頃に比べて幾分か仲良くなれた証拠ともいえる。
実際にいまでは互いに名前を呼び捨てあえる程度には友好関係を築けている。もしかしたら、僕の勘違いで一方的にそう思っている可能性がないわけでもないが、そこは彼女の好感度に期待するしかない。
「イシュラって、いま休職中?」
「いいえ、そんな申請はしておりませんが……あー、そういうことですか。もう一度確認のために申しますが、これが今のわたしの仕事です」
「……そ、そうだよな」
「お気になさらずに、では本日もよろしくお願いします」
ノンデリ気味に尋ねてしまったけど、彼女はそれほど気にしていないようで、イシュラは平然とそう切り返してきた。そのまま即座に僕の腕を掴み外へ引っ張り出そうとしている。
昨日までの僕だったら、このまま誘われるように暗くなるまで見慣れた町を彼女とともに歩き回っていたかもしれないけど、今日は今日だけはそういうわけにもいかない。
謎の言い訳はともかく、彼女に告げなければいけないことがあるのは事実。ただこの一週間、毎日指定時刻に訪ねて来る彼女の律儀すぎる仕事っぷりに、水を差すようなことはできなかった。だけど、今なら話の流れに沿ってついでに質問ができそうだ。
「あ~はい、お願いします……の前に、一つだけいいか?」
「なんですか、手短にお願いします」
彼女は腕時計をしていないにもかかわらず、自分の手首を見ながらそう言ってきた。
「じゃー手短に言うけど、これっていつまでやるんだ?」
「これとは? 案内のことでしょうか? わたしの仕事に何か落ち度でもありましたか?」
「いや、落ち度なんてないよ……それどころか完璧すぎて、感銘を受けたほどだ」
イシュラは「なら……何が不満なのですか」と口にしさらに目線を落とした。
その俯く彼女の仕草に僕はダメージを受けながらも話を続けた。
「不満なんてないよ。実はさ、ここに来る前から決めていたことがあるんだ」
「……それはなんでしょうか?」
「クラーク共和国の土地柄や市場についてある程度学んだらこの町を出るってさ。で、イシュラのおかげで予定よりもだいぶ早く把握できたから、出発も早めようと思ってね」
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