第31話 現実を抗うもの

 薄暗い会議室の中、ダンジョン公安庁長官・本間総一郎は、重々しい沈黙の中で書類の山を眺めていた。壁に投影されたホログラムには、日本国内で発生しているS級ダンジョンの現状が一覧表になって映し出されている。


 S級ダンジョンの状況一覧


 01 東京都・砧公園「名称無し」   

 —— 日本が攻略済

 02 栃木県・那須高原「名称無し」  

 —— USAが攻略済

 03 山梨県・山中湖「霊障の回廊」  

 —— 中国・日本で攻略済

 04 福岡県・大濠公園「名称無し」  

 —— 封鎖中、魔素漏れの兆候

 05 北海道・丸山公園「氷縛の渓谷」

 —— USAが攻略中

 06 静岡県・大室山「名称無し」   

 —— 封鎖中、魔素漏れの兆候

 07 宮城県・松島離宮「地脈の蛇穴」 

 —— 調査中、魔素漏れの兆候

 08 京都府・嵐山公園「名称無し」  

 —— 調査準備、魔素漏れの兆候

 09 宮城県・青葉山公園「名称無し」 

 —— 調査準備

 10 広島県・宮島公園「名称無し」  

 —— 未調査



 長く続く会議の中で、本間の目に映るのは冷酷な現実そのものだった。肩を落とす幹部たちの顔は暗く、重苦しい空気が場を支配している。


「政府との協議の結果、東京から東側をUSAチームに、西側を中国チームに任せる、ということで話がついた……」


 本間が静かに口を開く。


「では、やはり日本側の割り当ては無し、ということですね……」


 幹部の一人が苦々しげに答える。


 本間は机の上で指を組み、無言のまま窓の外へと目をやった。デモ集団が拡声器を使って怒号を上げているのがここまで聞こえてくる。だが、彼はまるで気に留めることもなく続けた。


「調査は続けるが……日本単独で攻略ができない以上、致し方あるまい」


 本間の声には諦観が滲んでいた。


「中国チームは、魔素漏れの兆候が強い福岡県、静岡県、京都府の順で攻略を進める予定だそうです。……そして、彼らは我々の帯同を拒否しています」


 その言葉に室内の温度が一段下がったかのように、全員の表情が険しくなる。


「悔しいが、USAも東日本の処理で手一杯だ。中国に頼るしかない。ましてや、福岡、静岡のダンジョンは、まともな調査もできず封鎖しているだけだ。人員すら配置できない状態で、配信者や日本人ハンターを投入するなど無謀すぎる」


「長官、神楽アヤメに協力を要請することはできないでしょうか? 彼女と佐藤カイ、リサがいれば、単独での攻略も不可能ではありません」


 若手の幹部が勇気を振り絞るように提案した。


 本間はしばらく目を閉じ、考え込む。そして重々しく首を横に振った。


「それも考えた。しかし、彼女たちとはここ一ヶ月、まったく連絡がつかない状態だ。ただ……あのアヤメがこの異常事態を放置するとは思えない。きっと何かしら動いているだろう。それを待つしかなかろう」


 幹部たちは無言のままうなだれる。


「では……中国チーム・天威部テンウェイブに、3つのダンジョンの攻略を依頼します」


「そうしてくれ。あとは、島津と西園寺には予定通り、京都府・嵐山公園のダンジョン調査を進めるよう伝えろ。無駄とわかっていても……我々が何もせぬというわけにはいかない」


 本間の言葉に幹部たちは目を見合わせ、苦渋に満ちた表情で頷いた。


「長官……」


 一人の幹部が低い声で口を開く。


「私は……この仕事に誇りを持っていました。しかし、今ほど自分たちの不甲斐なさを悔やんだことはありません。己の郷土すら守れないなんて……こんな屈辱はありませんよ」


 本間はその言葉を聞きながら、拳をゆっくりと握りしめた。


「今は、その悔しさを胸に刻むんだ。いつか、我々が立ち上がる日のためにな……」


 窓の外では、拡声器の音がさらに強く響いていた。本間はその様子をじっと見つめながら、唇を噛み締めていた。


 掌に食い込むほど強く握りしめた拳が、彼の胸中の怒りと無念を物語っていた——



 ◇ ◇ ◇



 霧雨が降り続く中、福岡県の大濠公園に発生したS級ダンジョンポータルを前に、中国洞窟特務隊・天威部(テンウェイブ)の3名は鋭い視線を向けていた。


 ポータルの周囲には公安庁の封鎖区域が設けられ、少数の監視員が遠巻きに見守っている。


「準備は整っているな?」


 李 龍天リー・ロンティエンが静かに確認すると、張 傲剛チャン・アオガンが鉄槌を肩に担ぎながら不敵に笑った。


「もちろんだ。さっさと片付けてやるぜ」


 林 陽華リン・ヤンホワも弓を背負いながら、冷静な声で応じる。


「報告によれば、魔素濃度が高く、S級モンスターが数多く巣食う可能性が高いとのこと。気を引き締めていきましょう」


 しかし、李 龍天リー・ロンティエンはポータルをじっと見つめたまま、眉をひそめた。


「……待て」


 彼がポータル付近に歩み寄り、手をかざす。独特の魔素の流れを感じ取り、遠くにいた公安庁のスタッフを呼び寄せた。


「これはどういうことだ?」


 スタッフは慌てて報告書を取り出し、しどろもどろに説明を始める。


「ええと……実は数日前から、このポータルに突然縮小の兆候がみられまして……その後、魔素濃度が劇的に低下しているようです。まだ原因は分かっていません……」


「それは……このダンジョンが既に、攻略済みだからだ」


 リーの冷徹な声に、監視員は困惑した。


「しかし……一体誰が?公安庁はここ数日、誰も派遣していません。可能性としては……海外のハンターとか」


「馬鹿な。USAは東日本を担当し、たった今も攻略中だ。ここまで手を回す暇はないはずだ!」


 リーは苛立ちながら、言葉を吐き捨てた。


「考えても仕方がない、次に攻略予定の静岡、大室山だ。チャン陽華ヤンホワ、行くぞ」



 ——二日後。


 静岡県のポータルがある大室山頂上の火口跡には小雨が降り、近くに見える天城山の付近から不気味に雷鳴が轟いていた。

 

 現場に到着した天威部(テンウェイブ)の三人は、状況の深刻さを目の当たりにした。


 調査員の報告によると、ここでもポータルの色が薄れ、魔素濃度が低下している。揺らぐ光を見るだけで、攻略されてから日が浅いことが明白だった。


「くっそぉ!まただと……なんなんだよ!」


 張 傲剛チャン・アオガンが鉄槌を地面に叩きつけ、周囲に小さな震動が広がる。チャンの表情は怒りで真っ赤に染まり、拳を振り上げたまま周囲を睨みつけた。


「ふざけやがって!誰だ!こんな真似をしている奴は!俺たちの任務を邪魔するなんざ、許されねえぞ!」


 林 陽華リン・ヤンホワは冷静を装いながらも、硬い声でチャンを諫める。


「怒りはわかるけど、感情に流されても何も解決しない。ここで重要なのは、誰が、どうやってこれをやったかよ」


「……魔素の残留具合を見るに、攻略されてから3日以内だ」


 李 龍天リー・ロンティエンはポータルに手をかざし、かすかに残る魔素を感じ取っていた。彼の目には、普段の冷静さを超えた焦燥が滲んでいる。


「S級ダンジョンを、これほど速やかに攻略する者が日本にいるはずがない。だが、これは事実だ……」


「まさか、超S級の生き残りの……神楽アヤメの仕業か?」


 チャンが苛立ちを込めて問うた。リーはすぐには答えず、しばらくポータルを見つめてから低く呟いた。


「……おそらくな。しかし、一人では不可能だ……例の0級の少年、佐藤カイが一緒かもしれない」


 その名が口にされると、チャン陽華ヤンホワも一瞬表情を引き締めた。


「もし彼が動いているなら、残りのダンジョンも我々が到着する前に奪われる可能性が高い」


リー、どうするの?」


 陽華ヤンホワが問いかけると、リーは一度目を閉じ、拳を握りしめた。


「……次だ。早急に京都の嵐山公園に向かう。ここで止まるわけにはいかない」


リー、聞けよ!俺たちはこの任務で日本側のS級資源を確保するように言われてんだぞ!どれも奪われたままじゃ、俺たちの顔が立たねえ!」


「そんなことはわかっている!」


 リーが低くも激しい声で張を遮った。普段冷静な彼が感情を露わにすることは滅多にない。リャンは一瞬言葉を詰まらせたが、リーの目の奥に宿る苛立ちを見て、これ以上の追及を控えた。


「……必ず間に合う。ここで失敗すれば、天威部テンウェイブの名声だけでなく、我が国の戦略そのものが崩れることになる。全力で進むぞ」


 彼の言葉は冷静でありながら、その奥に隠れた焦燥と責任感が重く響いた。チャンは鉄槌を肩に担ぎ直し、陽華ヤンホワも短く頷いた。


 移動中の車内、リーは窓の外をじっと見つめていた。景色が流れる中、その眉間には深い皺が刻まれ、普段は見せない険しい表情が浮かんでいた。


「……このままでは済まさない」


 彼は自らの手の中で固く握りしめられた地図を見つめる。そこには、S級ダンジョンの位置と攻略予定が詳細に書き込まれていた。その一部が赤い線で引かれ、「奪取済み」と記されている。


「……リー、何か策はあるのか?」


 チャンが横目で彼を見ながら問いかけたが、リーは答えなかった。その沈黙が、彼の内心に渦巻く焦りと怒りを如実に表していた。


「奪われたものは……奪い返すまでだ……」


 小さな声で呟いたその言葉には、冷静な彼の仮面を突き破るような感情の高ぶりがあった。握りしめた拳を何度か緩め、深く息を吸い込んだ。


 そして、メンバーを見渡し、静かに命じた。


「超S級との対人戦闘の準備をしておけ。……嵐山で、決着をつけるぞ」


 

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