第31話 イザベラ・レナトスの思惑①


 約二か月前。イタリア。シチリア島。タオルミーナ。


 武道大会『ストリートキング』の決勝が行われていた頃。


 武舞台であるギリシャ劇場の地下には、神殿が存在していた。


 地面を半円形状にくり抜かれた構造。中央には赤い祭壇があった。


 その場所を背景に、陰謀を巡らす者たちが雌雄を決しようとしていた。


「……その程度ですか? 教皇代理ともあろうお方が」


 声を発したのは、黒いバーテン服を着た長身の男だった。

 

 灰色の髪をオールバックにし、褐色の肌で、左頬には刃物傷。


 両手に装着される白手袋を整え、布地には赤い血が付着している。


 ――男の名はジェノ・マランツァーノ。


 未来から現れ、訪れる災厄を改変するために対敵した。


 焦点となっているのは、『白き神』が復活するのかどうかだ。


 ジェノは止める側。アタシは復活させる側という役になっている。


 ヤツの未来だと、『白き神』が完全復活して、人類の半分が殺害された。


 ――動機は十分。


 むしろ、この日のために代償を払ったと言える。

 

 未来から原因を特定し、ターニングポイントを変える。


 ありがちだが、効果的。究極の後出しジャンケンってやつだ。


 実際、ここで気絶させられるだけで、完全復活は阻止されるだろう。


 復活に必要な最後の工程。月の儀式を制御するのは、このアタシだからね。


 ――だが、そこが大きな落とし穴だ。


 目の前の問題を排除したからといって、万事解決とはならない。


 儀式がこのまま完遂されなかった時のために、次善策も用意していた。

 

「困るねぇ……。こっちは、宗教家。アンタみたいな戦闘狂じゃないんだよ」


 答えるのは、黒いローブを着ている白髪の老婆。


 口元の血を袖で拭い取って、疲労困憊な姿を見せた。


 全て演技演出なわけだが、気取られるわけにはいかない。


 一時的とはいえ、教皇の肩書きを背負うのも難儀なもんだね。


「…………」


 その反応に、ジェノは目つきを鋭くさせている。


 演技に気付いたのか、裏にある思惑を察知したのか。


 どちらでもいい。『シビュラの書』の予言的中率は100%。


 究極の後出しジャンケンができるのは、向こうだけじゃない。


 改変後の未来という確かな情報源を元に、次善策を用意してあった。


「戦闘以外に特化した。センスのリソースは全てそこに割いている」


 沈黙の末にジェノは、至った結論を口にする。


 概ね正しい。というより、9割は正解と言っていい。


 だが、残りの1割が肝心。どんな能力かをヤツは知らない。


「……へぇ、興味深い予想だねぇ。もし、そうだとしたら、どうする?」


 演技ではなく本音で、アタシは会話を進めた。


 『シビュラの書』で分かるのは、未来の骨組みだけだ。


 演劇の台本みたく、会話の節々まで把握できるわけじゃない。


 だからこそ、素で演じられた。ここから先はアドリブ力が試される。


「うかつに手出しできない。まともな使い手ならそう考えるでしょうね」


 ジェノは警戒しながらも、自信があるような態度だった。


 カウンター型の能力だと予想した上で、封じ手があるらしい。


「客観的な意見はいい……。アンタはどうするんだい?」


 未来との辻褄が合うのなら、詳細は記されない。


 結果は揺るがずとも、多少の修正が必要な場合もあった。


「私なら……こうします」


 前置きを挟むジェノは、パチンと指を鳴らす。


 天井付近から現れたのは、一匹の黒い蝙蝠だった。


 蝙蝠は指先に止まって、ギロリとこちらを睨んでいる。


 この時点で察した。未来がどうなるかの予想が付いていた。


「持たざる者よ、等しく首を捧げて、慚愧の至りで朽ち果てよ」


 何も知らないジェノは、詠唱を果たした。


 それは、聖遺物レリックの力を引き出すために必要な工程。


 現れたのは、白色と銀色の一対のナイフを両手で握り込む。


 ――聖遺物レリックの進化段階の一つ。


 動物化<武器化<鎧化<獣化と同調率で変動する。


 武器化の場合、二つの得物に別々の能力が宿る場合が多い。


 銀のナイフの能力は不明だが、白のナイフの方は書に記されていた。


「あなたはこれから私の良き隣人へと生まれ変わります。何か言い残すことは?」


 一対のナイフの切っ先を向け、ジェノは言い放った。


 あくまで会話から読み取ったように、演じなくてはならない。


「記憶を操る聖遺物レリックか、こいつは参ったね……」


 道化を演じ、あたかも、今知ったような口を叩く。


 ジェノは反応することなく、ナイフを十字に構えていた。


 敵の狙いは、記憶を消し、戦う意思そのものを奪うことにある。


 倒さず、殺さず。甘い考えを持つ相手だからこそ付け入る隙があった。


「――――」


 アタシは自らの意思で、白の刃に頭を突っ込ませた。


 頭蓋を貫き、脳天を突き破り、まず助からない致命傷を負う。


 予言通りの結果。死ぬことで発動する、意思能力の条件は満たされた。


「ジェノ・マランツァーノ。確かに、アンタの名前。海馬に刻んだ、よ……」


 呪ってやるように言葉を重ね、目の前が真っ暗になっていく。


 その場にバタリと倒れると、紫色に迸るセンスが天へと放たれた。


 天井をすり抜け、成層圏を抜け、遥か高みに上り詰め、至るのは『月』。


 ――『幕間劇に興じ、白き忘却の刃に倒れる時、次善は整うだろう』。


 シビュラの書の一説が脳裏に蘇り、笑顔を浮かべて息絶える。


 儀式を成し遂げられたなかったという思念を残し、この世を去る。


 その日以降、月は赤い輝きを放ち続け、場が整うのを待ち詫びていた。

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